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第197話 生まれてきたことの意味


◇グレイスの視点です

◆神の視点です


 オルカは再び、研究にのめり込んだ。

 今はもう、自分を導いてくれる者はいない。

 手探りで、血眼(ちまなこ)になって、自分で自分の道を切り(ひら)いていくしかないのだ。


 幸いなことに、亡くなったら研究に身を捧げてくれる『ご献体(けんたい)』は次々と見つかり、研究材料には事欠かなかった。

『ご献体』の斡旋(あっせん)は、研究所長をはじめとした上層部でやってくれる。


 何日も何日も、彼女は孤独な戦いを続けた。

 心がばらけ、肉体から精神が分離されていくかのようだった。


 研究は困難を極めたが、ゆっくりと、だが確実に一歩ずつ、進んでいく。


 そうしてついに、研究は真の完成を迎えた。

 人間の心臓から有効な成分を抽出(ちゅうしゅつ)し、不完全だった『新薬』と合成することに成功したのだ!


 オルカはばらけて浮遊していた心が、肉体へと還ってくるのを感じた。

 研究室の片隅でひとり。

 あふれてくる涙が、彼女の頬を伝う。


「博士、ようやく完成しましたよ。

 これからはもう、同じ苦しみを背負う人を救えるんです」



 苦境をはねのけ、人間が『不治の病』を克服するという偉業を成しとげ、オルカの名声はいよいよ頂点に達した。


 老いた研究所長の退任にともない、彼女が新たな所長に就任した。

 今や、異論を唱える者など誰ひとりとしていない。


『新薬』の生産には『ご献体』の提供が必要であったため、帝国貴族や士族の貴婦人が病に(かか)ったときにだけ、特注で作成されることとなった。

 当面の課題は、人間の心臓からしか得られない成分をほかの生物で代替(だいたい)できないかを模索することであった。


 しかし、オルカが研究所長として月日が経ち、研究所の内情を深く知るにつれ、()()()()に気づくのであった。

 その事実とは――。



下板(したいた)』、夜の墓地で。

 ネイジュが見つめるなか、ノアの唇が言葉を(つむ)いでいく。


「ここは、『罪人の村』。

 かつて帝国で大罪を犯した人々の末裔(まつえい)が住む村だよ」


 ノアはとうとう、彼女が住む村の真実を明かした。

 ネイジュは訳がわからなくて、動揺と混乱を隠すことができなかった。


「罪人の、村……!?」

「そう。

 わたしたち村に住む人々のなかから、神の思し召しによって『(あがな)い』に行く人が選ばれるの。

 そうして誰かが身を捧げることによってのみ、わたしたち先祖が犯した罪が、許されていくんだよ」


 彼女がいう神とは、もちろん神聖軍事帝国ヴァレングライヒの主神である闇の龍神のことである。


 ――かつて、帝国に司法制度が成立するよりもはるかに昔のこと。

 皇族や貴族に対する窃盗、侮辱(ぶじょく)、殺人……あるいは国家への反逆など。


 許されざる罪を犯した者は死にも等しい責め苦を与えられたのち、『人ならざる者』として帝国を追放され、このシャティユモンの『下板』へと島流しにされた。

 その島流しにされた者たちが集まり、やがて村をなしたのが、ノアたちが住む『罪人の村』であったのだ。


「わたしたちは、ただ生きつづけさえすればそれでいい。

 そして、神からの使命を受けたとき、この身を捧げる。

 そのことだけが唯一、わたしたちがこの世に生まれてきたことの『意味』なんだよ」


 人にして、『人ならざる者』。

 祖先の罪を償うためだけにこの世に生を受けた存在。

 それこそが、村人たちの希薄な存在感の理由であったのだ。


 ……だがしかし、帝国政府の手によって長い年月をかけて村人たちの記憶や思想を改竄(かいざん)し、従順に身を捧げるように洗脳されているのだということ。

 そしてその捧げられた肉体は薬学研究所へと運ばれ、薬剤の原料や試料としてさまざまな方法で利用されているのだということを、ノアたち村人は知らない。

 彼らはまさしく、帝国に飼われている家畜なのである。


 ……ネイジュもまた、そういった事情や経緯があるということは知らない。


 彼女は今まで、騎士団とともにさまざまな国をめぐりわたってきた。

 なかには帝国政府によって弾圧を受け、もだえ苦しむ国の人々もたくさん見てきた。


 だが、『罪人の村』に住む村人たちは、彼女が今まで見てきたどの国の人々とも違う、と。

 ネイジュはそう感じていた。


 ――神に身を捧げて罪を償うことだけが、生まれてきた『意味』……?


 どんなに苦しく絶望し、嘆いていたとしても。

 自身の存在意義について、そんな虚しいことを言う人々はどこの国にもいなかった。


 ネイジュは知っている。

 人間とはどんなに辛い環境であっても生にしがみつき、自身の存在意義を主張する生きものだ。

 人間は肉体的にも弱く、そういった性質は見苦しくこそあれど、ときにまばゆいほどの輝きを見せることがある。


 ファルウルの北の山脈で彼女にうち勝ってみせたグレイス。

 数々の苦難を乗りこえ、自身をはるかに上まわる強敵たちを破ってきた騎士団員たち。

 そして帝国の圧政に苦しみながらも、たくましく生きる国の人々。


 そうした人間たちがときに信じられないほどの強さを、命の輝きを見せるのだということを、彼女は知っている!

 彼らが皆どんな逆境にあっても、懸命に自身の存在意義を訴えてきたことを、彼女は知っている!


 ……そんなネイジュだからこそ。

『罪人の村』の真実を知ったとき、彼女はある疑念にとらわれることとなった。


『祖先の罪を償うことだけが役割の人間なんて、ほんとうにいるのだろうか……?』




 次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします!

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