第195話 黄金期
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――オルカは帝国の出身だ。
比較的裕福な家庭に生まれ、親子三人で不自由なく、幸せに暮らしていた。
しかし、彼女がまだ幼いうちに、両親はともに重い病に冒され、他界してしまう。
身寄りをなくした彼女は祖父母の家に預けられることを余儀なくされたのであった。
オルカが熱心に勉学に打ちこむようになったのは、その頃からだ。
両親を失った経験から、『病で亡くなる人を救いたい』。
そんな単純かつ直球な動機が、彼女を突きうごかす原動力となっていた。
帝国随一の学園に進学したのちも、彼女はずば抜けた成績を残すこととなる。
飛び級でまたたく間に進級していき、若くして卒業したのは十六のころ。
本人の希望もあって、すぐにこの研究所に採用された。
学園での成績優秀者として鳴りもの入りで研究所に勤めはじめたオルカだが、現実はそう甘くはない。
すでに明らかになっている知識を学ぶのと、新たな事実を解明するのとではわけが違うのだ。
彼女はいくつかの研究活動を始めたが、いずれもすぐに行き詰まってしまう。
当時は真面目で純粋そのものだったオルカは、ひとりで思い詰めてしまったという。
そんな彼女の悩みに答え、成功に導いたのが例の上司、アズフォード博士だったという。
彼もまた優れた研究者のひとりで、若くして博士号を取得していた。
「当時の私は勉強ばかりして育ったただの世間知らずで、もちろん恋なんてしたことあるはずもなくてな。
背が高くて、頼りになって、包みこむように優しい彼に……正直、憧れていたよ。
それこそ、うぶな乙女のようにな」
アズフォードの指導のもと、オルカは着実に実績を積みあげていく。
そして実績が積みあげられるのと比例するかのように、彼への思慕も募っていったという。
だが同時に、彼には大切な想い人がいることも知っていた。
彼には長年交際し、婚約している恋人がいたのだ。
何度か、アズフォード博士は恋人を研究所に連れてきたことがあった。
淡い水色のドレスに、つば付きの帽子がよく似合う、可憐な貴婦人だった。
博士は、恋人にオルカを研究助手として紹介してくれた。
「紹介するよ。彼女がオルカ君。
非常に優秀な子で、僕の研究を手伝ってもらっているんだ」
「まぁ、とても綺麗な子ね。
まだお若いのにこんな最先端な研究に携わっているなんて、とても賢いのね」
「いえ、そんな……。
アズフォード博士にはいつもたくさんご指導をいただいていて……」
「この人をよろしくね、オルカさん。
彼、こう見えてとてもそそっかしいところがあるから」
「ははは。参ったな、もう……」
――どこを見ても、非の打ちどころのない女性だった。
オルカは彼女を見て、思う。
世間知らずな自分と違って教養豊かで、心も穏やかで……。
それになにより、身分が違う。
アズフォードは貴族の出であり、その恋人も同じ、貴族の生まれだった。
オルカは比較的裕福な家の娘として生まれたが、貴族ではない。
そもそもアズフォードに憧れること自体が、筋違いなのだ。
……だが、たとえかなわぬ恋だとわかっていても。
彼のそばで研究さえできていればそれでよかった。オルカは幸せだったのだ。
そんな風にして、若き彼女の日々は過ぎていった。
その間、帝国の大規模侵攻が起こる。
閉鎖された社会であるこの研究所ではおよそ影響もなく出来事は進み、気がついたら『帝国が全世界を制覇した』という知らせだけが届いていた。
――さらに時が経ち、およそ八年ほど前のころ。
オルカは十九歳になり、研究者としては一人前となっていた。
……いや、彼女はすでに、一人前以上の活躍を見せはじめていた。
アズフォードに導かれ、研究に没頭した彼女は才能のつぼみを開花させ、次々と驚くべき成果をあげた。
その成果に研究所員たちは舌を巻き、諸々の研究計画も皆、順調に進行していた。
きたばかりのころは少女であるとして目上の男性所員たちに軽く見られていたが、今ではオルカのことを笑う者など誰もいない。
彼女の研究生活は順風満帆。
まさしく人生の黄金期であった。
そんな充実した日々を送っていた、ある日のこと。
研究室の片隅でアルフォードとともに実験をしていたときに、彼から突然、衝撃的な事実を打ち明けられたのだ。
「えっ……!?
博士の婚約者さんが……!?」
「ああ、例の病だ。
まだ初期の段階だが、急いで治療を始めなければならない」
――女性のみがかかる『不治の病』。
病は徐々に進行していき、確実に命を蝕んでいく。
現時点では有効な治療法はなく、罹ったら最後、待っているのは確実な死だ。
「これまでも基礎的な研究は続けていたが、ほかの研究計画は中断し、僕のすべてを『新薬』の開発につぎ込もうと思う。
悪いが、しばらく君の研究の手伝いはできそうにない」
悲痛な面もちで話すアズフォード。
しかしその提案に対し、オルカの答えに迷いはなかった。
「博士。
私にもあなたの研究を手伝わせてください。
あなたがいなくして、今の私はいません。
このご恩を、お返ししたいんです」
アズフォード博士は、謝意を示すように深くうなずいた。
「オルカ君、ありがとう。
君のちからを借りられるのはなによりも心強いよ。君の実力は、誰よりも僕が知っているからね」
こうしてふたりは、基礎研究をつづけていた『新薬』の開発にいよいよ本格的に乗りだしたのであった――。
今回の場面は次回に続きます。
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