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第192話 墓石に浮かぶ影


『ネイジュ・ノア』パート。


 グレイスが薬学研究所の『最下層区画』に侵入していたのと、ほぼ同時刻のエピソードです。


 ――ネイジュは村を追いだされたのち、ひとり座ってたたずんでいた。


 彼女が座っていたのは恐れおおくもなんと、墓石の上であった。

 しかし、墓石の上に座ってはいけないなどというのは人間の価値観であり、そんなこと『氷銀の狐』である彼女にとって知ったことではないのである。


 ……ネイジュがいたのは、ノアたちの村をでて、そう遠くないところにあった墓地である。

 行くあてもなく、ただ死霊の気配がない方向へと歩いていったらたどり着いたのだ。


 村のなかと同じで、どうやら死霊兵たちはこの墓地のなかには立ち入ってこないらしい。

 墓地といえば、死霊にとっては居心地のよさそうなものなのだが。


 この墓地には死霊が入ってこなければ、村人たちも入ってこない。

 それもまた、今のネイジュにとっては都合がよかった。


下板(したいた)』に死霊兵がうろつくようになったのはヴィレオラが帝国軍の将になってからだということだったので、村のなかと同様、この墓地も村人の領域(テリトリー)として不可侵の地にしているのだろう。

 しかし、もともと村と墓地は離れてつくられており、そのあいだには普通に死霊兵が現れるので、結局村人たちはほとんど立ち入らなくなっていたのだ。


 ネイジュは手持ち無沙汰だったので、自分のまわりに広がる墓地を眺めてみた。


 光る草木の林に囲まれて、それなりの広さの墓地である。

 どうやら『(あがな)い』とやらに行かずに村で亡くなった人々はここの墓地に埋葬(まいそう)されているものらしい。


 個々人の墓には簡素だが黒い墓石が建てられており、あたりにただよう霧で表面がうっすらと濡れている。

 村人たちがあまり手入れをしにこなくなったからなのか、墓は荒れ放題だ。


 ネイジュはそんな荒れた墓石の群れに囲まれながら。

 ひとりため息をついた。

 頭に思い浮かぶのは、豹変し、自分をとり囲む村人たちの虚ろな顔ばかり。


 ……べつに、村人に気に入られたくて女性を助けたわけじゃない。

 自分が気に食わなかったから動いただけ。

 そして、そもそも自分は村の一員どころか、人間の仲間ですらない。


 それでも、彼女は自分でも驚くほどに傷ついていた。

 せっかく仲よくなったノアとも、もう二度と会うことはないだろう。


「……なんだか、寒いでありんすね……」


 ネイジュは墓石の上に座ったまま、自分のからだを抱えてひとりつぶやいた。

 寒さを好むはずのネイジュ。

 彼女にとって周囲の気温が低いということはないのだが、今はとても寂しく、そして肌寒く感じられた。


 ネイジュはほかに行くあてもなく、そのまま夜を迎えてしまったのだった。



 あたりはすっかり暗くなり、シャティユモンの草木や虫たちだけが光を放っている。


 今夜は月がでない、新月の夜。

 ただでさえ暗い『下板』の夜はよりいっそう暗く、草木の光がなければなにも見えなくなるほどだった。


 ネイジュが墓石に座ったままウトウトしていると、後ろから誰かが、ささやくように声をかけてきた。


「……ちゃん……」

「……ん?」


 あまりに誰も来ないので、さすがのネイジュもすっかり油断していた。

 敵意がまったく感じられず、気配も小さいので、無意識に接近を許してしまっていたのだ。


「おねえちゃん」

「ノア殿!?」


 ネイジュは後ろを振りかえり、驚きの声をあげる。


 そこには、静かなほほえみをたたえる少女、ノアが立っていた。

 夜の墓地に立つ彼女の姿はまるで、死者の世界に降りたった妖精のようであった。


「ど、どうしてノア殿がここに?

 なんであちきがここにいるのがわかったのでありんすか?

 それに、こんな時間にひとりで村の外にでたら危ないんじゃ……」


 ネイジュの問いかけに、ノアはさも当たり前のことのように答えた。


「おうちで寝てたら、()()()()()が教えてくれたの。

 おねえちゃんがここでひとりで寂しそうにしてるから、会いに行ってあげなさい、って。

 それにわたしはオバケさんが近づいてきてもわかるから。

 夜のお墓は、さすがに怖かったけど……」

「ノア殿の母君に……?

 でも、ノア殿の母君は連れていかれていなくなってしまったはずじゃ……?」


 ノアの答えに、ネイジュは首をひねった。

 いなくなってしまった人から教えてもらうというのは、どういうことなのだろうか。


 それに、ノアの母親はどこからネイジュのことを見ていたというのだろう。

 見知らぬ誰かにずっと見守られていたら、気配に(さと)い彼女なら気づかないはずがない。


 しかしノアが答える理由に、彼女は不思議に納得することとなる。

 そのとき、無人であるはずの周囲の暗がりから、誰かのささやき声が聞こえてきた気がした。


「わたしね、死んじゃった人の声が聞こえるの。

 いつもじゃないけど、ときどき。

 たぶん、死んじゃった人がわたしになにかを伝えたいときにだけ――」

「亡くなった人の、声が……!?」


 ネイジュは信じられないという気持ちだったが、合点が行くところもある。

 ネイジュの居場所を知ることができたのもそうだし、戦うちからをもたないノアが死霊うろつく村の外を出歩くことができるのも、死者の気配を感じる能力があるのであれば説明がつく。


「ノア殿は、ほんとうに亡くなった人の声を聞くことができるのでありんすね」

「うん。

 でもだから、おかあさんはやっぱりもう……」

「ノア殿……」


 ノアはうつむき、悲しげな表情を浮かべている。

 彼女が母の声を聞くことができたということは、すでに母がこの世に存在しないことの証左(しょうさ)でもあった。


 ノアは歩みよってきて、墓石に座るネイジュと背中合わせになった。

 あたりに生える草木の光だけが、寄りそう彼女たちの姿を浮かびあがらせる。


「でもおかあさんが教えてくれたから、またこうして会えたんだよね、おねえちゃん」

「うん。そうでありんすね、ノア殿」


 ネイジュは自身の背中を通じてノアの存在と、その温かみを感じていた。

 温かいのは苦手だが、今はそのぬくもりがなんとも心地よく、(いと)おしい。


 ……彼女の母、ミネスポネも幼いころにはこうして賢王(けんおう)クルクロイと寄りそって過ごしていた時期があったという。

 母もまた、こんなぬくもりを感じていたのだろうか――。



 ふたりは背中をぴたりとくっつけたまま、静かで穏やかな時間を過ごしていた。

 しかしやがて、どちらからともなくふたりは言葉を交わしはじめた。


「でもわたし、びっくりしちゃった。

 おねえちゃん、あの怖い人たちを次々とやっつけちゃうんだもん。

 おねえちゃんって、ものすごく強いんだね!」

「ふふ。言ったでありんしょう?

 あちきはとても怖い怪物だ、って」


 ノアはふるふると首を横に振る。


「ううん、ぜんぜん怖くなかったよ?

 それに、すごいかっこよかった!」

「……ほんとうでありんすか?」

「うん!

 だって、わたしたちを守るために戦ってくれたんだもん。

 でも、おねえちゃんはどうしてわたしたちのために、あんなに怒ってくれたの?」

「それは……」


 ネイジュはなにやら言いづらそうにモゴモゴしていたが、思いなおして素直にその理由を語ることとした。


「ノア殿が、母君がいなくなって泣いてたから……。

 あの赤ん坊も、母親がいなくなったら寂しいんじゃないかと思ったでありんす……」

「おねえちゃん……」


 それではまるで、自分が悪いことをしたのをノアのせいにしているようだ。

 ネイジュはなんだかそんなような気がして、口にだすのを躊躇(ためら)っていたのだ。


「ノア殿のせいにしたみたいで、申しわけないでありんす……」

「ううん。

 わたしの気持ちもわかっててくれてたんだよね。ありがとう、お姉ちゃん」


 ノアは再び、ほほえみを見せる。

 そしてなにかを思いだしたようで、自身の手を打った。


「そういえば、あのおかあさんも、おねえちゃんに『ありがとう』って言ってたよ。

 旦那さんはああ言ってたけど、自分はとても感謝してる、って」

「! それはほんとでありんすか、ノア殿!」

「うん。

 直接お礼を言えなかったから、わたしから伝えてほしいってお願いされてたの。

 それに、村の人たちもめずらしく怒ってたけど、普段はとても優しい人たちなんだよ」


 ネイジュは自分の村での行いに感謝してくれる人がいることに救われる思いがした。


 自分が振るった暴力は決して独りよがりなものではなく、行動の結果、ちゃんと救われた人がいるのだ。

 そう思えるようになっただけで、彼女の表情に明るさが戻ってきた。


「そうなのでありんすね~。

 じゃあやっぱりきっと、村の人たちもほんとうは『贖い』なんて行きたいわけじゃなくて、あの黒ずくめの男たちが怖くてむりやり連れてかれているだけなんでありんすね!」


 晴れやかな顔でノアのほうを振りかえろうとするネイジュ。

 だが……。


「ううん、それは違うよ。おねえちゃん」


「え……?」


 ネイジュの後ろにいたのは、彼女が知るノアではなかった。


 ノアがまとっていた空気が変わる。

 今までの無邪気で温かい空気ではなく、重く、冷たい空気。

 まるで、なにものかにとり憑かれて、別人へと変貌(へんぼう)してしまったかのよう。

 その変貌ぶりは、豹変した村人たちと同等……いや、それ以上の変化であった。


 ノアはネイジュの背中を離れ、前へと歩みだした。


「わたしたち村の人々が『贖い』に行くことを望んでいるのはほんとう。

『贖い』に行くことによってのみ、わたしたちは救われるの」

「『贖い』に行くことで、救われる……?」


 彼女が歩みを進めるごとに、あたりはよりいっそう暗く、空気が重くなっていく。

 ネイジュは呼吸をするのも苦しく感じられ、息をのんだ。


「そう。

 それこそが、わたしたちの唯一の存在意義。

 わたしたちは罪を『贖う』ためだけに、生かされているのだから」


 そこで、ノアはネイジュのほうを振りかえる。


 ――再び、周囲の暗がりから誰かがささやく声が聞こえてきたような気がした。

 ひとりの声ではない。

 ふたり、三人……いや、もっとたくさんいる。


 それは、この墓地に埋葬された村人たちの声。

 ネイジュにも見えていた。

 ノアとともに、墓石に浮かぶ村人たちの影が、いっせいに彼女のことを見つめているのを!


 ノアの唇から再び、言葉が(つむ)がれていく。


「だって、この村は――」


 ……そして、ネイジュはこの村の真実を知ることとなる。




 次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします!

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