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第191話 猛毒

 俺は盗んだ鍵をまわし、その重い扉をひらいた。


 扉をくぐり抜けた先は、一見して今までいた研究所の廊下と変わらない(たたず)まいである。

 ただでさえうす暗い廊下が、よりいっそう暗くなって視界が悪くなっただけだ。


 ……だが、立ちこめている空気がぜんぜん違う。

 息をするだけで苦しくなってしまうような威圧感と閉塞感。

 まるで、無数の人々の怨念(おんねん)が満ち満ちて、このからだにまとわりついてくるかのよう……!


 進めば進むほどに廊下は暗さを増してきて、ほんの少し先までも見えなくなってきた。


 人の気配はなく、聞こえてくるのは自身の息の音と忍ぶ足音のみ。

 そして胸の鼓動はよりいっそう強まっていき、音としてまわりに聞こえてしまうのではないかと思えるほどだった。


 そうして一歩ずつ進んでいき、とうとう最初の部屋にたどり着いた。



 ――たどり着いたのは、『解体室』のようであった。

 上層の『研究区画』にも薬剤の原材料となる生物の解体室はあったが、この区画にも解体室があったようだ。


 室内は非常灯の赤い光で真っ赤に染まっていた。

 部屋の中央には人間がひとり寝そべることができるほどの幅がある作業台が置かれている。


 周囲の棚には金属のナイフや(はさみ)、ピンセットが並べてあり、非常灯の明かりを反射して無機質に光を放っている。

 それぞれの道具はしっかりとした造りをしており、どうやらそれなりに大きな生物を解体するための道具が揃えられてあるようだ。


 床は室内を容易に洗い流せるように細かな穴の開いたうすい金属板が敷かれていて、清潔に保たれている。

 だが、室内にはかすかに鉄錆(てつさび)のような匂いがただよっていることに気づく。


 ……間違いない。

 これは新鮮な血の匂いだ……!


 俺は背筋が寒くなるのを感じながら、『解体室』の奥にある扉の先へと進んだ。



 次にたどり着いたのは、『実験室』のようだった。

 これまた上層の『研究区画』で見かけたようなさまざまな実験装置が並んでいる。


 鉄の箱のようなものから、巨大な顕微鏡のような複雑な形状をしたものまで。

 なかには夜どおし動いている機械もあるようで、低い作動音をうならせながら、ガタゴト震えている。

 研究所員が機械の様子を見に戻ってくる可能性があり、注意が必要だ。


 暗い実験室のなかを注意深く進んでいく。

 テーブルの上にはガラス製の注射器やフラスコなどがたくさん転がっている。


 実験室の片隅には小部屋も併設(へいせつ)されている。

 なかにはひとり掛けの作業机(デスク)が置いてあり、ちょっとした書斎(しょさい)になっているようだ。


 小さな書斎には本棚もあり、文献が詰めこまれている。


「ここを調べれば、この『最下層区画』のこともなにかわかるかもしれないな……!」


 俺は周囲に人の気配がないことを再度確認し、(ふところ)から小さなランプを取りだして灯りをともした。


 暗いなかランプをかざして、文献の背表紙をひとつひとつ確認する。

 ここに並べられているのも普通の学術書ばかりのようだが……。


 ――あった。

 オルカが開発したという、不治の病を治す『新薬』の研究報告書。

 正式な発表論文ではなく、所内で開発に役立てるための研究記録のようだ。


 例によって聞き慣れない成分の名前や専門用語ばかりで内容を理解することは難しかったが、読解できる箇所を探してページをめくってみた。

 ……そして俺は、衝撃的な記述を目のあたりにすることとなる。


「なんじゃあ、こりゃあ……!」


 ――三十例中、二十八例。

 開発段階にある『新薬』の、人間に対する投与実験の成績である。


 ……それは薬で病が治った人間の数ではない。

 薬の毒性、つまり()()()()()()()人間の数だ。


 文献には亡くなった女性たち、つまり被験者の名前や年齢、病状に加えて亡くなったときの様子が詳細に記録されていた。

 被験者たちは皆、病そのものは治癒(ちゆ)したものの、毒性によってより(むご)く、残酷な死を迎えたようだ。


 全身の血管が破れ、からだじゅうの穴という穴から血を噴きだして亡くなった者。

 脳が破壊され、狂人と化して亡くなった者。

 全身のありとあらゆる臓器が機能停止して肺に水が溜まり、陸で溺れて亡くなった者……。


 あまりに悲惨な死の数々に、俺はとうとう文献から目をそらしてしまった。

 この『最下層区画』に入ったときに感じた、数多くの人々の怨念の気配。

 それらの怨念はこの、紙面から(あふ)れだしてきていたものなのではないかと思えてしまうほどだ。


 なんということだろう。

 不治の病を治す夢の『新薬』だなんてとんでもない、投与した人間のほとんどを殺す『猛毒』じゃないか……!



 俺は夢中になって本棚に手を伸ばし、ほかの文献を(あさ)りはじめた。

 気になる文献は本棚から取りだし、作業机(デスク)の上に並べておく。


 開発段階にある『新薬』の研究記録から、少し月日が経ったころの報告書が目についた。

 その報告書によれば、未完成だった『新薬』になんらかの改良がほどこされたようだ。


 改良によって、毒性の問題はなんとか克服(こくふく)された様子。

 改良のためにどんな処理がなされたのか俺にはとうてい読み解くことができなかったが、毒性の克服によって『新薬』はいよいよ輝かしい発明として認められたようであった。


 しかしその輝かしい発明は、数多くの犠牲のうえに成り立っていたものだったのだ。

 これだけの死者がでたのであれば、なんらかの因縁が生じていても不思議ではない。

 亡くなった被験者の家族や親しい人々など、研究者たちを怨みに思う者もいたことだろう。


 当然、開発者であるオルカもこの結果を知っているはずである。

 この事実が、彼女の心に影を落としていたのかもしれない。


 ――と、そのときだった。

『実験室』のなかに、男の怒号(どごう)が響きわたる……!


「誰だ!!」


 しまった!


 すっかり油断していた。

 衝撃的な記述を見つけて興奮し、俺は思わず気配を隠すのを忘れてしまっていたのだ。


 この『最下層区画』にはまだ研究所員が残っていた。

 奥から戻ってくる途中で、俺の気配に気づいてしまったものらしい。


 俺はあわててランプの灯を消し、作業机(デスク)の影に身を潜めた。


 研究所員の男はランプをかざしてあたりを警戒しながら、『実験室』のなかを巡回している。

 そして最後に『書斎』へとたどり着き、小窓から部屋のなかを覗きこむ。


 ドアのノブを捻り、男が小部屋のなかに侵入してきたのを気配で感じる。

 いよいよ音となって男に伝わるのではないかと危惧(きぐ)するほどに、心臓の鼓動が高鳴っている。

 俺は必死に呼吸を抑えた。


 ――見つかれば、俺は男をこの場で消さなければならなくなるだろう。

 なにせ、これだけ重大な秘密が隠されている場所に潜入していたことを知られてしまうのだから。


 ……だが、今の俺は昔の俺とは違う。

 不要な殺しなどしたくはない。

 頼む、俺を見つけないでくれ……!


「気のせいだったか……」


 男は『書斎』をでると、『最下層区画』の出口のほうへと向かっていった。


 ……危ないところだった。

 作業机(デスク)の上に並べていた文献はあらかた調べおわっていたので、少しずつ片づけていたところだったのだ。

 おかげでとっさに二、三冊だけ手にとって隠れることができたのだが、もう少し遅かったら間に合わなかっただろう。


 気を取りなおして、自身の呼吸を整える。

 そして俺はさらなる手がかりを探し、『最下層区画』の奥へと歩みを進めていった。



 ――いくつかの部屋をくぐり抜け、最終的にたどり着いたその部屋。


 その部屋は、生体材料の保管庫であるようだった。

 うす暗い部屋のなかには防腐処理のための薬液が詰められた瓶が無数に並んでおり、ホルマリンのどこか甘みを含む刺激臭が鼻につく。


 薬瓶とともに目につくのは無尽蔵とも思えるほど大容量の冷蔵庫と冷凍庫の数々。

 それらの機械は、重く低い作動音を途絶えることなく唸らせつづけている。


 冷蔵庫の重い扉をひらいたとき。

 なかに保管されていたのは薬の原料となる有益(ゆうえき)な生物でも、研究の対象となるような稀少な生物でもなかった。


 そこに保管されていたのは……。

 そして俺は、この研究所の真実の姿を知る。




 次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。

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