第190話 永遠に輝く絆
前回の場面の続きです。
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「おい、エルマ! 今日も勝負だ!!」
「あら、あなた誰でしたっけ?
もう忘れてしまったわ」
このときエルマ十二歳、レティアス十歳である。
エルマもカレドラルの上級士族の出身である。
周囲の環境と一体となり気配を消す呼吸に、龍に乗りながらにしていっさい音を鳴らさぬ接近術。
彼女の隠密術も、この上級士族の家系で独自に編みだされ、代々受けつがれてきたものである。
ふたりとも幼少時に龍との『共鳴』を成しとげた稀代の英才であったが、エルマの戦闘の才はレティアスをも上まわると評されていた。
そしてレティアスが十歳になったときに騎士団主催の武闘大会に初めて参加し、見事エルマにうち負かされてしまったというわけなのである。
「きのうの勝負を忘れたとは言わせないぞ!
相手が女のコだと思って、ボクも油断していた。
今日こそ本気で戦って、決着をつけよう!」
「いやですわ」
「ガーン!」
まるで相手にする気がないエルマにレティアスは衝撃を受け、がっくりとうなだれる。
しかし、レティアスはめげない。
彼は気を取りなおし、再びエルマに食いさがった。
「頼むもっかい戦ってよ、お願い!」
「私はこれからお花のお稽古ですの。
あなたの相手をしているヒマはないわ」
「じゃあ、稽古が終わるまで待ってる!」
「そのあとは舞踊のお稽古も」
「ぜんぶ終わるまで、待ってる!」
「ハァ……」
エルマは首を振り、これ見よがしにため息をついた。
レティアスは曇りひとつないキラキラしたまなざしで、彼女を見つめつづけている。
……エルマは自分より弱い年下の男子になど興味はなかったが、いちおう現・国王の息子の頼みである。
しぶしぶ勝負を受けてあげることとした。
「仕方ないですわね。
一回だけ相手をしてさしあげますわ」
「ほんとう!? やったー!」
「お花のお稽古が終わるまで、待てるかしら?」
「うん、待ってる!」
「お父さまは、お母さまに挑む立場だったのですね……!」
エルマの話に、レゼルはちょっと驚いた顔をしてみせた。
「ええ。
もちろんレティアスの名は伝え聞いていましたが、それまで彼のことには欠片も興味ありませんでしたわ」
「へぇ、なんだか面白い。
それで、その勝負はどうなったんですか?」
「ボコボコにしてやったわ」
「え」
「完膚なきまでに叩きのめした。
私の圧勝だったわ。
まぁ、普通の人だったら心に消えない傷を負って二度と戦おうとは思わないでしょうね。
ちょっと小さな子には見せられないほどに血まみれだったし。
なにせからだの(※自主規制)から(※自主規制)が漏れでてたのは私も初めて見たものねぇ」
「そ、そこまでしなくてもっ……!」
フフン、と鼻をならす母。
そんな母に本気で引く娘。
話を聞くに、どう考えてもやりすぎである。
もちろん、自分が負わせた傷はエルマが自分で治したとのこと。
エルマはアハハと笑い、懐かしそうに空を見あげた。
「でも、あの人はまた勝負を挑んできた」
ボコボコにされた次の日にも関わらず、負けん気の強い顔でまたやってきたレティアス。
「男の子って、やっぱり女の子に負けたくないと思うのねぇ。
あの人は私に負けても負けても、懲りずに毎日勝負を挑んできたわ」
雨の日も、風の日も。
何度負けてもまた立ちあがり、レティアスは毎日毎日エルマに勝負を挑みつづけた。
「彼は少しずつ、少しずつ強くなっていって……。
そしてある日、とうとう私は負けた」
初めて土をつけたエルマ。
全身で喜びをあらわし、うれし涙を流すレティアス。
子供どうしで戦っていて、彼女が負けたことなど初めてである。
……だが意外なことに、エルマの胸に去来したのは悔しさではなく、相手への心からの賞賛であった。
「不思議なものでね。
そうして毎日顔を突きあわせて、試合をしているうちに、私のほうが彼を好きになってたの」
エルマは目をつむり、今は亡きレティアスと過ごした日々を思いかえす。
彼と初めて口づけを交わした日のこと。
このお腹に命を授かり、レゼルが生まれてきてくれた日のこと。
レティアスがシュフェルを連れてきて、新しい家族の一員が増えた日のこと。
オスヴァルトやブラウジをはじめ、騎士団の仲間たちと過ごす楽しい日々。
帝国の大規模侵攻によって、すべてが崩れさった日。
そして最後にたどり着いた記憶は、レティアスから自身の命を引き換えとして、国民の命を救う策を切りだされた日の記憶である。
泣きくずれる、エルマとオスヴァルト。
エルマは必死になってすがりついたが、レティアスの覚悟が揺らぐことはなかった。
先の帝国皇帝との戦いに敗れてボロボロになったからだを起こし、これから自身を死が待ち受けているのにも関わらず、彼が見せたのはいつもと同じ。
なんの曇りもない笑顔であった。
『レゼルとシュフェルなら、大丈夫。
あの子たちなら必ずやってくれるよ』
「お父さま……」
初めて当時の父とエルマたちの様子を知り、レゼルは胸が締めつけられた。
「レゼル。
あなたとシュフェルには、ほんとうに重い使命を背負わせてしまいました。
あなたがたがいつも傷だらけになりながらも、懸命に戦いぬいてきてくれたことも知っています。
いくら感謝しても、感謝しつくすことはできないわ」
「そんな、やめてくださいお母さま。
私たちは自分たちの夢をかなえるために、自ら望んで戦っているんです。
それもすべて、お母さまたちのお導きのおかげです」
「……うん、そうだったわね。
あなたたちは気高く崇高な夢を胸に秘めて、戦ってくれているのだものね。
私は親として、そんなあなたたちの志を誇りに思うわ」
「……お母さま?」
エルマはレゼルの顔をじっと見つめたのち、彼女の頭をぐっと抱きよせた。
母のぬくもりが、匂いが、愛情が。
抱きよせられたからだを通して、直接レゼルに伝わってくる。
「シュフェルも最高に可愛くて、最高に大事な娘だけど、やっぱりあなたは私にとって特別な子。
だって、このお腹を痛めて産んだ子なんだもの」
……戦場に身を置いてきたエルマだが、それでもあのときは泣き叫んでしまうくらいに痛かった。
そんな痛みを乗りこえて生まれてきてくれたのは、この命に代えても惜しくないほどに愛しい娘。
「あなたが私たちに生きる意味と、喜びを与えてくれたの。
生まれてきてくれて、ほんとうにありがとう」
その母の言葉を聞いた瞬間、レゼルの目から大粒の涙がポロポロと零れおちた。
「え゛っ!」
「うぅ~」
「ちょっと、なんで泣いてるのよ!」
「だって……。
なんだかうれしくて、仕方ないんだもん」
ダーっと涙を流すレゼルと、あわてふためくエルマ。
必死に頭をよしよしして、レゼルをなだめようとする。
いつも冷静なエルマも、愛する娘の涙には弱いのだ。
「ふふ、おかしな子ね。
とにかく次の戦いも勝って、いよいよ帝国本国に乗りこみますわよ」
「はい、お母さま。
でも今は、今はもう少しだけ……」
レゼルは甘えるように、エルマの胸元に頭を擦りつけた。
「このままこうしていさせて」
「どうぞ、お好きなように」
寄りそうふたりを、夕陽の赤い光が優しく包みこむ。
夕陽は沈みゆくけれど。
どうか母娘の絆が、永遠に輝きつづけますように。
※エルマさんの隠密術は彼女の兄の家系へと継承されましたが、残念ながら十年前の帝国大規模侵攻の際に、継承は途絶えてしまいました。
次回からいよいよ、『グレイス・オルカ』パートと『ネイジュ・ノア』パートの謎の解答編へと進んでいきます!
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




