第189話 母娘の対話
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太陽が無限の空の彼方へと沈みゆくころ。
渦まく深い霧に覆われたシャティユモン。
覗きこむように帝国本島の下へと射しこむ夕陽の光が、霧に包まれたシャティユモンを朱く染めあげていた。
それは敵地でありながら雄大で美しく、それでいて見る者に胸が苦しくなるほどの切なさを抱かせる日没の光景なのであった。
そしてレゼルはそんな光景を、遠くの空から眺めていた。
……ここはルペリオントの領空にある騎士団の基地、そのそばにある高台である。
レゼルは高台の頂上で岩に腰かけていた。
無心になって空を眺める彼女の背中に、声をかける者がいた。
「レゼル、こんな所でたそがれてどうしたのかしら?」
「お母さま」
いつの間にか現れたのは彼女の母、エルマだった。
相変わらず、近づいてくるときの気配が感じられない人である。
実の母親ながら困ったものだが、そんなのレゼルはとうに慣れっこである。
彼女は夕陽に染まるシャティユモンを見つめながら、今の心情を母に語った。
「今日はグレイスさんが帰ってくるといった期日です。
明日には彼の帰りを待たずに騎士団は再出撃することになります。
それまでにほんとうに、彼は帰ってきてくれるのかどうか……」
「グレイスさんのことが、心配?」
「きききき、騎士団の一員として当然ですっ!」
エルマがニンマリとして自分の娘の顔を覗きこむ。
レゼルは夕陽の光のなかでもわかるほどに赤く頬を染めていた。
「もっ、もちろんネイジュさんのことだって心配ですし……。それに……」
そこでレゼルは、表情に影を落とした。
彼女が抱える漠然とした不安を象徴するかのように、シャティユモンを覆いつつむ霧はよりいっそう深く、濃くなっていく。
「それに、この戦いでは大切ななにかを失ってしまうことになりそうな……。
そんな胸騒ぎがして、仕方ないのです」
「レゼル……」
不安げな表情を浮かべるレゼルの隣に、エルマも腰かけた。
「安心なさい。次の戦いにも私はでるわ。
あなたからは、なにも大切なものを奪わせはしない」
「お母さま……」
「それに、グレイスさんはあなたがお慕い申しあげている方なのでしょう?
必ずやネイジュさんとともに、あなたのもとへと帰ってくるわ。彼を信じなさい」
「……うん」
……実際のところ、エルマの言うことにはなんの根拠もなかった。
しかし彼女が言うとそれはまるでたしかな事実であるかのように感じられ、レゼルは安心するのであった。
そうしてふたりは並んで腰かけたまま、夕陽が沈みゆくさまを眺めていた。
しかしふと、レゼルはなにかを思いついたかのようにエルマに話しかけた。
「ねぇ。
お母さまは、お父さまのどういうところが好きになったの?」
「レゼル……」
娘からの問いかけに対し、エルマの顔にはみるみるうちにニマ~とした笑顔が浮かんだ。
「あなた、今まではそんなこと絶対に聞かなかったのに。
やっとそういうことを気にする年ごろになったのねぇ」
「おかあさまっ!」
真面目に質問してる娘に対し、口を押さえてプププと笑うエルマ。
ほんとうに困った母親である。
顔を真っ赤にさせてぷりぷりしてるレゼルをなだめ、エルマは話を始めた。
「いいわ。
私と彼が出会ったころの話をしてあげる」
――まだレゼルが生まれるよりも、ずっと前のこと。
彼女の父、レティアスは前・カレドラル国王にして翼竜騎士団首領のひとり息子としてこの世に生を授かった。
その出自に恥じぬどころか、父をも超える剣の才を秘めると言われ、幼少時より期待されていた。
その明るく朗らかな人柄も相まって、次代もカレドラルは安泰であるとまで言われていたのである。
……しかし、そのレティアスをもはるかにしのぐ早さで戦いの才を開花させ、実力を如何なく発揮していた者がいた。
「はっ、 はっ、 はっ……」
まだ少年であったレティアスは、カレドラルの野を駆けていく。
そして彼は、立ちどまる。
銀の髪を風になびかせ、エメラレルドの大きな瞳が見つめるその先にいた者とは……。
「おい、エルマ! 今日も勝負だ!!」
「あら、あなた誰でしたっけ?
もう忘れてしまったわ」
このときエルマ十二歳、レティアス十歳。
紡がれていくのは、ふたりの出会いの物語――。
今回の場面は次回に続きます。
次回投稿は明日の19時に予約投稿の予定です。余裕があれば少し早めに手動投稿します。何とぞよろしくお願いいたします。




