第179話 老いた研究員との会話
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オルカは最初に会った日を最後に部屋を閉めきってしまい、彼女とは会えなくなってしまった。
オルカと会った次の日、俺はさっそく『薬学研究所』での調査を始めた。
彼女からの協力を得るために、俺は自力で彼女の『心を救う』ための手がかりを探しださなければならないのだ。
研究所内での行動の自由は、研究所長であるオルカの権限によって保証されている。
最初こそ面倒くさく思ったものだが、なんだか探偵になったような気分で少しワクワクしてきたのも事実。
レゼルたちの役に立つためにも、張りきってとり組んでいきたい。
ついでにさりげなく、ネイジュの所在を探す手がかりになる情報が入ってきていないかも探ってみたいところである。
さて、捜査の基本は聞きこみだ。
ほかの人から話を聞くというのは、情報収集としてはやはり効率がいい。
記憶し、誰かに話す過程で無意識に情報が整理されているので、聞く側としても要点を押さえやすいのだ。
また、自分ひとりではどうしても考えかたに偏りが生じてしまうものだが、ほかの人からの視点を借りることで思わぬ着想が得られることも多い。
人の記憶は不確かなので、情報の裏を取ることは必要であるけれども。
というわけで、まずはお昼どきに研究所員たちのための食堂に向かうこととした。
滞在期間中は俺もお世話になることになるので、食堂への行きかたはオルカから教えてもらっていた。
お昼どきになり、食堂にはやはりかなりの数の研究員が集まって賑わっていた。
世界最大規模の研究所だけあって、務める職員の数は多いのだ。
研究所員たちは皆、普段は白衣を着て研究所内を歩いている。
しかし白衣にはさまざまな薬液がついている可能性があるので、食事中は白衣を脱いでいるように義務づけられているようだった。
注文した食事を受けとったあとは、考えに耽りながらひとりで黙々と食べている者、食事そっちのけで熱く議論しあっている者などさまざまだ。
だが、俺が話しかけようとするとどの研究員も無視したり、席を移したりしてまともに取りあってくれない。
研究員たちは皆、俺を胡散臭いというか、いかにも怪しい、と言いたげな目つきで見ている。
警戒されているのをひしひしと感じるのだ。
自分の目つきが悪いことをひさびさに悲しく思ったような気がする。
それもまぁ、仕方がないことだろう。
反乱軍が目前まで迫り、このシャティユモンもいつ戦場になっても不思議ではないのだ。
俺は以前のとおり行商人で、所長の友人ということで説明されている。
だが、その説明だけで外部からの人間に完全に心を許せというほうが無茶であろう。
別の方法を考えるしかないか……と思いはじめたところで、誰かに声をかけられた。
「君がオルカ所長のご友人かい?
なにか困りごとかな」
「あっ、はい……」
俺に話しかけてきたのは、男性の研究員だ。
髪は白髪で真っ白で、おじいちゃんと言ってもよいくらいの年齢に見える。
切れ者、といった感じではないが、穏やかで、とても優しそうな顔をしている。
俺は簡単に自己紹介をすると、彼も名を名乗ってくれた。
「みんな君のことを露骨に避けてしまっているが、気を悪くしないでほしい。
こんなご時世だし、そもそも研究者というのは社交的な気質じゃないんだ。
悪気はないんだよ」
「いえ、俺は大丈夫です。
お心遣いありがとうございます」
――ふと、この人ならいろいろ聞いても嫌な顔をせずに教えてくれるのではないかと思いついた。
単純に人柄が良さそうだし、この研究所にも長く勤めていそうだ。
相談に乗ってもらえないか、俺は彼に尋ねてみることとした。
「すみません。
この研究所やオルカ所長のことについていろいろ教えてもらえませんか?
今、彼女の人生相談に乗っているんですが、なかなか彼女のことを理解することができなくて……」
ほとんど嘘はついていない。
ほんとうに彼女のことを知ること自体が、目的なのだから。
「ははは、人生相談とは、君は所長に信頼されているんだね。
私の知ってる限りのことでよければ、教えてあげるよ。
自慢じゃないが万年ヒラ研究員なので、研究所の中枢のことまではわからないがね。
最古参だから昔のことはよく知ってるよ」
どうやら快く教えてもらうことができそうだ。
……さて、いざ教えてもらえるとなると、どこから聞いたものやら。
手始めにオルカのことに関して、思いついたことをいくつか質問してみる。
「正直なところ、研究所員からのオルカ所長の評判はどんなもんなんですかね?
研究所員のなかでも、かなり若いほうだと思うんですが……」
「ああ、彼女はすばらしい研究者だ。
とくに薬学に関して、あの年齢であれだけの業績を残した者は過去をどれほどさかのぼってもいない。
紛うかたなき天才だよ」
「なるほど。
やはり彼女は超一流の研究者ってわけですね。
しかしそれほどの傑物となると、周囲からの風当たりも強かったのでは?」
「そりゃあね。
若い女性だし、おまけにたいそうな美人ときたもんだ。
彼女が所長に抜擢されたときに僻む者は少なからずいたよ。
ただ、業績が圧倒的すぎた。
最初は文句言ってた連中もすぐに黙りこんでしまったよ。
奇抜な性格してるけど、所員の研究に対する指摘は至極まっとうなものばかりだしね」
ふぅむ。
やはり同じ研究者から見ても彼女の業績というのはずば抜けているものらしい。
職員から今も妬まれて悩んでいるというわけでもなさそうだ。
まぁ、もともと周囲からの視線など気にしなさそうな性格ではあるが。
「よほどすごい研究成果をあげてきたんですね。
とくに、所長に選出される決め手になった業績はあるんですか?」
「そりゃあ、なんと言っても『新規治療薬』の開発だよ!
あれにはほんとにたまげた。
なにせ彼女の手によって、不治の病がひとつ、完全に治る病になってしまったのだから!
研究者でなくとも、それがどれほどすばらしい偉業であるかはわかるだろう?」
「ムムム……。
それはたしかに、すごいことですね……」
この老研究者によれば、その病は女性のみがかかる不治の病で、一度病に冒されてしまえば助かることはない。
しかし、オルカが開発した新しい治療薬を使えば、その不治の病がまるで魔法でもかけたかのように完全に治ってしまうのだという。
老研究者は身振り手振りをまじえて、その『新薬』について目を輝かせながら語っている。
心の底からオルカの研究成果を誇りに思っているのが、伝わってくる。
……お世辞ではなく、すごいと思う。
死すべき定めにあった人間を、同じ人間の手で救いあげてしまうのだから。
研究者ではない俺には、遠すぎる世界だ。
だが同時に、小さな疑問も湧きおこる。
「でも、ちょっと前まで俺も帝国にいたんですが、そのような新しい薬が開発されたとは聞いたことがないですね。
それだけすごい薬なら、世界じゅうで大騒ぎになってそうなもんですが」
「まだ大量生産には成功していないからね。
ごく一部の帝国貴族や士族の女性が病に冒されたときだけ、特注で生産しているんだ」
そう言って、老研究者は腕を組んで小難しい顔をしてみせた。
「私のような末端の研究者には、新薬の製造工程は明かされていない。
この研究所最大の目玉となる研究だからね。
だが、オルカ所長なら必ず大量生産にまでこぎつけられるはずだ。
そして彼女は、世界じゅうの不治の病にかかった女性を救ってみせてくれるはずだよ……!」
彼は変わらず、期待に目を輝かせたまま語っていた。
この新薬の大量生産化に関しては、是非オルカのがんばりに期待したいところである。
「研究者として、彼女は順風満帆な生活を送ってきたようですね。
……しかし、それでは彼女はいったいなにを思い悩んでいるんでしょうかね?」
「うーん。
……思いあたる事件があるとすれば、やはりあれかな」
「あれ?」
「ああ。
この話を部外者である君にしてよいのかどうかわからないのだが……」
――オルカにはとある上司がいた。
天才的な頭脳を認められ、少女といってもよい年齢で研究所に勤めはじめた彼女だが、さすがに初めのころは研究が軌道に乗らず、悩み苦しんでいたという。
彼女も研究所にきたばかりのころは今ほど変人……もとい、奇抜な性格ではなくごくごく普通のあどけない少女であったらしい。
そんな思いなやむ彼女を優しく導き、指導したのが、その上司であったというのだ。
彼は今のオルカに劣らないほど優れた研究者で、次期研究所長になるのは彼だと噂されていたという。
……しかし、彼はある日突然、自ら命を絶つこととなる。
ちょうど、オルカが『新薬』開発の基礎を完成させたころのこと。
彼女の上司は遺書も残さずに研究所の自室で首を吊って亡くなっていた。
研究所で用いられていた実験機械の電線コードを、首に巻いて……。
新薬開発の土台を完成させた業績が認められ、次期所長の座にはオルカが据えられることとなった。
だが、その日以来オルカの表情からは笑顔が失われ、彼女は長く長くうち沈んでいたという――。
「年月を経るうちに、オルカ所長も徐々に元気を取りもどしていったが……。
狂気を感じるほどに研究にのめり込んでいったのも、その事件のあとからだ。
彼女の上司が自殺を選んだ理由は、いまだにわかっていないがね」
老研究者は遠くをあおぎ見ながら、ため息をついた。
どうやら、当時の衝撃と悲嘆を思いだしているらしい。
食堂では、食事を終えた研究所員たちが席を立ちはじめていた。
「……さて、私の話はここまででいいかな?
午後から今までの仕事の整理をしなければいけなくてね」
「あ、すみません。
見ず知らずの俺に、こんなに詳しく話してくれてありがとうございました。
これから今までの仕事の整理、ですか……?」
「ああ。
私はちょうど明日でこの研究所をやめて、帝国にいる家族のもとに帰ろうと思っていたところなんだよ。
とっくに規定の年齢は過ぎていたんだが、カレドラル軍も迫ってきていつ戦争に巻きこまれるかわからないからね。
こんな平凡以下の研究者である私を雇いつづけてくれていた研究所には、感謝しかないよ」
そう言う彼の表情は悔いなどない、清々しい笑顔であった。
研究所の内情まで詳しく教えてくれたのは、自身が退職間近であったからか。
……俺に研究者の出来不出来はわからないが、規定の年齢を超えて雇用されつづけてきたのには、彼の人柄や情熱によるところが大きかったのではないかと思う。
俺は彼に感謝を述べ、送りだした。
「……戦乱の世のなかですが、どうかご無事で」
老研究者は笑って手を振り、立ち去っていった。
次回投稿は2023/11/10の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




