第177話 この空に伝わる蒼き伝説
前回の場面の続きです。
◇
俺はシャティユモンの『薬学研究所』が誇る天才科学者、オルカの私室へと運びこまれていた。
そして自分が、彼女のちからを借りるためにわざわざここまでやってきたのだということを思いだす。
俺は藁にもすがる思いで、彼女に尋ねてみた。
「なぁ、オルカ。
俺たち翼竜騎士団は今、帝国の死霊兵の軍団に有効な攻撃手段がなくてお手あげ状態なんだ。
俺はあんたなら、良い手立てを知ってるんじゃないかと思ってやってきた。
死霊どもを消滅させる薬とか、なにか役に立ちそうなものはないか?」
「ん? あの死霊どもか?
すべて消滅させるというのは無理だが、撃退することくらいならできなくもないぞ」
彼女はさも大したことでもなさげに、さらりと答えてみせた。
さ、さすがだ!
俺の見込みに間違いはなかったのだ。
命を懸けてやってきて、ほんとうによかった。
機龍をぶっ飛ばす薬に、俺を死の淵から救ってくれる薬。
おまけに死霊をやっつけてくれる薬ときたものだ。
コイツのこの万能感、なんでもアリな感じ。
――それはこの空に伝わりし伝説。
未来の道具を授け、子どもたちのどんな夢もかなえてくれるという蒼き伝説の妖精、『ドゥーラエ・モォン』のようであった。
「よし!
それじゃあさっそく俺たちにちからを貸してく……」
「いやだ」
「な、なにぃ! なぜだっ」
オルカは散らかった部屋のなかを歩きだし、自分の書記机に備えられた椅子にドカッと腰かけた。
長身だが細身の彼女には不似合いなほどにごつい座椅子。
彼女は立派なひじ掛けに頬杖をつくと、クックックと笑いだした。
「今のお前が気に食わないからだ。
ちょっと前までのお前は自分を取りかこむ世界のすべてを憎んでいるのが伝わってきていた。
口にださずとも、私にはわかっていたんだ。
私は、お前のそういう尖ったところが気に入っていたのだというのに」
オルカはいかぁ~にもわざとらしくため息をつき、首を横に振ってみせた。
「それがなんだ、今のそのお前の有り様は。
顔の真んなかに『ぼくは幸せです』だなどと書きおってからに。
まるで発情していきりたった(※自主規制)を丸出しにして歩いているようなものだぞ。
そんな醜態をさらしてて恥ずかしくないのか?」
オルカに指摘されて、なぜか俺の脳裏にレゼルとの思い出が蘇る。
ヴュスターデの『太陽の楼宮』で彼女に贈りものをしたとき。
彼女の頭のてっぺんにある小さなつむじ。
ふわりと鼻先をくすぐる清らかな香り。
幸福な記憶。
……俺はそんなに幸せそうな顔をしていたのだろうか。
たしかにそう言われてみると、なんだかとても恥ずかしいことのようにも思えてきた。
――レゼルたちと会うまでの俺は、荒みに荒みきっていた。
帝国に復讐することだけを生き甲斐にして、それでいていっこうに目標の達成に向けて前進している実感を得られなかったからだ。
しかし、誰かに頼ることも、相談することもできやしなかった。
オルカもまた、人生に絶望している人間であるということが、一度目を見合わせただけで伝わってきていた。
彼女は決してその理由を語ってはくれなかったが、なにか重くつらい過去を経験してきているのだろう。
心に傷を抱えた人間どうしが、お互いの傷を舐めあってせめてもの励ましとするように。
誰にも言えない秘密と、世界に対する憎しみ。
そして頽廃的な快楽のみが、俺とオルカの絆をつなぎあわせていたのだ。
それが久々に会ってみたら、どうだろう。
暗いつながりをもつ仲間だったはずが、俺だけ憑きものが取れたように人生に前向きになっていた。
彼女からすれば、抜けがけされたということになるのだろう。
それに対して、なにか報いをしろということなのだ。
「それじゃあ、いったいどんなことをすればちからを貸してくれるって言うんだ……?」
「そうだな、私を抱いてくれるというのなら考えてやらんでもないぞ?
私の機嫌を損ねた責任をとれ」
「あんたを抱く、だと……?」
「あぁ、そうだ。
昔のお前だったら、利用価値があると踏めばどんな女でもすぐに抱いてたはずだろう。
初めて私と出会ったときのように、な。
どうした?
今のお前にはできない理由でもあるのか?
ほれほれ」
「んぐっ」
そう言って、オルカは自身の短くきつめなスカートをピラピラとめくり、太ももを見せつけてくる。
以前と比べて痩せほそってしまったとはいえ、白く長い脚を組んで座るさまは妙になまめかしい。
……だがどうしても、今の俺にはエメラルドの瞳が頭にちらついてしまうのだ。
「ふっ。
騎士団の連中には黙っててやるというのに。
とんだ腰抜けになったものだな」
「……ほかに、なにか俺にできることはないか……?」
「ん? ほかにできることか?
そうだな……」
そう言ってオルカは少し考えるような素振りを見せたが、なにか思いついたのかニタリと笑いを浮かべた。
普段からニタニタと笑う奴だが、とびきり悪戯っぽい笑顔で。
「私の心を救ってみせろ。
からだで悦ばせられないというのならな」
「心を……?」
「所長の権限をもって、お前の研究所内での行動を許可する。
どうしたらいいのかは自分で考えろ。
手がかりは自分で探せ。
答えは私も知らない。
知っていたらとっくに自分で解決させているだろうからな」
「答えは、自分で探せって……?」
――そんなこと急に言われてもなぁ……。
唐突に『心を救え』だなんて言われても。
そもそもなにを気に病んでいるのかもわからないし。
「オルカさんは頭がよくて素敵な人です」
「取ってつけたように言ってもダメだ。
お前は私をバカにしているのか?
めんどくさがらずにちゃんとやれ」
――うぅむ……。
これはひと筋縄ではいかなさそうだ。
「おっと待て、食事の時間だ」
俺が思いなやんでいるとオルカはそう言って、おもむろに席を立った。
「食事は三食決まった時間に摂るのが基本だからな。
からだは食べたものでかたちづくられる。
お前と飲み明かしていたころのことを反省して、最近では食事に細心の注意をはらっているんだ」
彼女が部屋の隅に置いてあった箱をひらくと、そこには赤、黄、紫などさまざまな色合いの錠剤が、ぎっしりと詰めこまれていた。
「この各種錠剤にはビタミン、蛋白質、無機質とからだに必要な栄養素がすべて取りそろえてある。
これを適当にひとつかみ食うだけで、一食に必要な栄養素を過不足なく摂取することができるのだ」
「え……」
彼女は錠剤の山のなかに思いきり手を突っこむと、手いっぱいに錠剤をつかみ取る。
そしてそれをそのまま口もとへ運び……
バリッ! ボリッ! バリッ! ボリッ!
「ひいいぃ……!」
彼女は大量の錠剤を頬ばり、美しくかたちの整った顎をいっぱいに動かして噛みくだいている。
うまそうに喉を鳴らして錠剤を飲みこむと、彼女はニタァと笑みをうかべて俺のほうを見た。
「お前も食うか?
からだに非常に良いぞ。
それに錠剤の表面は糖質で被覆してあるからな。
口に含むとほのかに甘いんだ」
「えっ、遠慮させていただきます……」
「そうか?
遠慮なんてしなくていいんだぞ。
『健康』は常日頃から気を配っておくべきものなのだからな。
ククク……」
あれ? 『健康』って、なんだっけ……?
俺は彼女の狂気じみた振るまいにすっかり混乱してしまっていた。
彼女は『健康』という言葉の意味をなにか履きちがえているとしか思えない。
――正直なことを言おう。
身近なところだとレゼルをはじめとして、シュフェル、エルマさん、サキナにセシリア。
他国であれば女王マチルダやミカエリスなど。
敵であればミネスポネや氷の双子、最近だとヴィレオラまで……。
レゼルに出会ってからというもの、俺は会う女性会う女性みんな『超』がつく美人ばかりで、内心驚いていたのだ。
しかし、どの美人もなにかしらひとクセある人ばかりで、最近では『美人にまともな人はいないのではないか』と思いいたってしまうほどであった。
(正直、レゼルもちょっとヘンだと思う)
オルカもまた、これらの名だたる美女たちにまったく引けをとらないほどの美貌のもち主である。
……だが、これだけは自信をもって言える。
コイツは美女たちのなかでも、最上級の変人だ!
オルカはもう一度だけ俺のほうを見て、ニタリと笑った。
「私の心を救えばお前の願いをかなえてやるが、失敗したらホルマリン漬けにしてやるからな。
覚悟してろよ……?」
――はたして俺は、こんな奴の心を理解することなどできるのだろうか!?
※『ドゥーラエ・モォン』はかつて異世界からこの世界へと転生してきた、二十二世紀のネコ型ロボットであったというウワサです。
次回投稿は2023/11/2の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




