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第171話 死後の世界のひとり旅


 今回は騎士団と死霊兵の軍団が戦った直後の話、グレイスがシャティユモンへと向けて出立する前日の話となります。


 シャティユモンの大地へと無事に着陸したネイジュ。

 彼女は『下板(したいた)』へと着地したのち、どこへ行くというわけでもなく歩きだしていた。


 島の外側から見ると『上板(うわいた)』と『下板』のあいだ、『支柱(しちゅう)』のまわりには深い霧が立ちこめていたが、こうして降りたってみると地表近くは思いのほか霧がうすい。

 渦まく気流の影響もなく、いたって静かなものである。

 上を見あげると深い霧の向こうがわ、はるか上方にはシャティユモンの『上板』が大きくせりだしており、さらにその先にはもっと巨大な帝国の島底が天井のように空を覆っていた。


 この『下板』には陽の光がろくに当たらず、うす暗い。

 空気や地面もどこかジメジメしていて、人間だったらたちまち憂鬱(ゆううつ)な気分になってしまいそうだ。


 しかし、ネイジュは氷雪(ひょうせつ)の化身。そのからだは水氷(すいひょう)の自然素で構築されている。

 もともと強い陽射しは苦手だし、湿度が高いのも大歓迎である。


「ふむふむ。

 意外と居心地はよさそうなところでありんすな」


 だが、上空には飛んでいる龍は見当たらない。

 どうやら騎士団は撤退し、死霊の軍団も『上板』のほうに帰還したようだ。


「どうすれば主様(ぬしさま)のところに戻れるでありんすかねぇ。

 主様があちきのことを探しにきてくれるといいのでありんすが……」


 ネイジュが乗っていた龍は、首を貫かれて死んでしまった。


 グレイスがすぐに探しにくるのも、難しいだろう。

 この島には敵となる死霊兵がうろついているわけだし、そもそも自分の所在どころか生死すらもわからないのだ。

 危険を冒してまで探しにくるとは思えない。


「……それでも探しにきてくれたら、うれしいのでありんすけどね」


 ポツリと、独りごとをつぶやくネイジュ。


 ……くよくよしていても仕方がない。

 彼女は自分で騎士団のもとに戻る方法を探すこととした。


「よし、龍を貸してくれる人を探してみるでありんす!

 がんばれあちき!

 あちきは強くてできる女!」


 彼女は自分を奮いたたせると、目をつむって人間の気配を探りはじめた。


 ……複数の人間の気配を感じる。

 どうやら『支柱』のほうに向かって歩いていった先に、人間たちが住む集落がありそうだ。


 ネイジュは『支柱』のほうに向かって歩きだす。

 途中には敵の死霊兵もたくさんうろついていそうだ。気をつけて進まなくてはならない。


 ――彼女は持ち前の超感覚で気配を探る天才であったが、同時に気配を消す天才でもあった。


 足音を消し、呼吸を抑え、『鼓動』を静める。

 まさしく、獲物を狙って音もなく忍びよる獣そのもの。

 それもまた、彼女が秘める野性のなせる技なのだ。


 死霊兵たちは命あるものを赤い光として見ることができるが、気配そのものを感じることができないのでは彼女の存在に気づくのは容易ではない。

 さらに、ネイジュが気配を消すために自然素の『鼓動』を静めていることが、はからずも命の赤い光自体を見えにくくしていた。


 ともかくそんな風にして、ネイジュは死霊のうろつくシャティユモンの『下板』をなんなく進んでいく。



 空を別の島や『上板』に覆われている地形が特徴的なシャティユモンの『下板』だが、その地表に生息する生きものたちもまた、特徴的だ。


 死霊たちに喰われてしまい、大型の獣はほとんどいない。

 小動物や虫が多いが、天敵が少ないので暗闇のなかで光るものが多い。

 シャティユモンの暗い環境のなかでも、仲間どうしの位置を知らせあうためである。

 このように暗闇で光る動物がいるのは、世界でもここと『ルシウル』がいるカレドラルくらいである。


 というより、ルシウルももともとはこの島の生きもので、はるか昔に遠い空を隔てたカレドラルへと移り住んだものだと言われている。

 彼らが遠路はるばるカレドラルの地にまで移り住んだ理由は不明だが、それもまた、生命の神秘なのである。


 動物たちと同じく植物も光を求めているのか、道端に生えている草花やキノコも、暗闇で淡く発光するものが多い。


 それらの植物は種類によってさまざまな色合いで光り、あたりを彩っている。

 人魂(ひとだま)のように空中をただよう虫たちと相まって、まるで死後の世界を歩いているかのような気分になる。


 ――(あやかし)である自分には本来、このような世界こそふさわしいのではないだろうか。

 はじめて見るものばかりでなんだかワクワクしてきた。


 ネイジュはなんだか、そんな風に思いはじめていたのである。


「るん♪

 たまにはひとり旅というのも悪くないものでありんすねぇ」


 鼻歌まじりで、気分も上々である。

 と、彼女が新しい環境にも慣れてウキウキしてきた、そのときのことであった。


「う……う……う……」


 すぐ目の前の草むらから、女のすすり泣く声が聞こえてきたのである。

 か細くて、幼き少女のような声。


 ――しまった!

 浮かれていたらつい気を抜いてしまっていた。

 人間の集落にも、もうすぐでたどり着くところだったというのに。


 ……とはいえ、死霊がそんなそばまで近づいていたなら、さすがに気がつく。

 近くに禍々(まがまが)しい気配がないことをわかっていたからこそ、こちらも安心して気を抜いていたのだから。

 ネイジュは不思議に思い、草むらをかき分けた。


 ――そこにいたのは、ひとりの少女だった。


 年のころはシュフェルと同じくらいだろうか。

 ……いや、もっと幼そうだ。

 十代前半といったところだろう。


 白に近い銀の髪に、水晶を嵌めこんだような澄んだ瞳。

 顔をあげると、目にはいっぱいに涙を浮かべていた。


 彼女はしゃがみこんで、泣いていたのだ。

 こんな草むらのなかで、ひっそりと。


 ネイジュはそんな少女を見て、首をかしげた。


 ――妖精?


 ……いや、違う。

 この少女からは自分のような『自然素の鼓動』を感じない。

 紛れもなく、人間なのだ。

 妖精のように可憐(かれん)で、どこか存在感が希薄ではあるが。


 ネイジュは、おそるおそる少女に話しかけてみた。


「ぬしは、どちらさまでありんす……?」


 声をかけられた少女は、ネイジュのほうを振りかえった――。




 今回の話は次回へと続きます。


 次回投稿は2023/10/9の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。

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