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第170話 夜風がひゅるり

 会議を終え、俺はヒュードを率いて自分のテントへと急ぎ戻ろうとした。

 明日、シャティユモンへと出発するための荷づくりをするためだ。


「ううぅ……!」

「痛ぇ……」


 テントへと戻る途中の夜道では、傷つき倒れた兵士たちの姿が篝火(かがりび)の明かりに照らされている。

 傷からにじむ血がてらてらと光を跳ねかえしており、見るも痛々しい。


 重症で命に関わる傷を負った者たちはすでにエルマさんの治療を受けていたが、軍全体の規模が大きくなったので、以前のように全員に治療をほどこすわけにはいかない。

 ある程度の怪我は自分たちで手当てし、傷を癒すしかないのだ。


 エルマさんが敵軍を撤退に追いこんでくれなければ、もっと被害は甚大だっただろう。

 ほんとうに軍は壊滅状態に陥っていた可能性すらある。


 せっかく次へと望みをつないでもらったのだ。俺も期待に応える働きをしなければなるまい。


 そう考えて俺とヒュードはテントへと戻る足を速める。

 しかしそこで、背後から誰かに呼びとめられた。


「グレイスさん」


 レゼルと似て聞く者に安らぎを与える声質だが、さらに柔らかで深みのある印象を与える声。

 俺が振りかえると、そこには当のエルマさんがいた。


「よければ少し、話をしませんか」

「ええ、もちろん。喜んで」


 エルマさんの頼みとあれば、話は別である。

 俺とヒュードは歩みを緩め、エルマさんと並んで歩いた。



 夜風がひゅるりと吹きぬけ、隣を歩くエルマさんの髪をなびかせる。

 彼女はいつもどおりの、優しげほほえみを浮かべていた。


 話って、いったいどんな話なんだろう?

 と思いはじめたところで、エルマさんのほうから話しかけてきた。


「こうして夜中にふたりで話をするのは、カレドラルであなたに『探査(イノーケンス)』をキメた日以来でしたかしらね」

「そういえば、そうですかねぇ」


 キメたって……。


 俺はあの夜の衝撃的な体験を思いだして苦笑いする。

 今となっては、大変よい思い出である。


「あの夜、私はあなたに自身の『価値』を示せと言い、そして見事にそれを証明してみせた。

 今ではあなたは、騎士団にとって欠くことのできない人物です」


 気づけば、エルマさんは思いつめたまなざしで俺の顔を見つめていた。


「グレイスさん、いつもあなたに騎士団の命運を背負わせてしまってごめんなさい。

 明日のシャティユモンへの潜入も、非常に危険なものになることでしょう。

 いくら感謝しても、感謝しきれるということはありません」


 彼女から気遣いと感謝の言葉をいただいて大変ありがたいと思いつつ、なんだそんなことか、とも思う。


「ぜんぜん大したことないですよ、エルマさん。

 今回の潜入で収穫が得られる保証はないですし……。

 それに、いつもレゼルとシュフェルが背負ってる重荷と痛みに比べたら、俺がこれまでにしてきたことなんて些細(ささい)なもんですよ」


 俺がそう言うと、エルマさんはレゼルそっくりの笑顔でくすくすと笑った。


「フフフ、それはそうでしたわね。

 でも、わかってるのかしら。

 あなたが亡くなったら私の可愛いレゼルが泣きますからね?

 死んでも死ぬんじゃないですわよ?」

「き、気をつけますっ……」


 相手の実の母親に冷やかされて、思わず顔が火照(ほて)るのを感じる。

 まったく、相変わらず困ったお人である。


 ……だが、それでいい。

 エルマさんに思いつめた顔なんて似合わない。


 いつも軽やかで、涼しげで、腹黒(はらぐろ)で……。

 それでいてどこまでも優しいのが、エルマさんなのだ。

 彼女にはいつもどおりのほほえみを浮かべていてほしいというのが、俺のワガママなのである。


「と、いうわけで。

 シャティユモンでは、くれぐれも気をつけてくださいね」

「了解です。……あ、そうだ。エルマさん」

「ん?」


 俺が問いかけると、エルマさんは不思議そうな表情を浮かべた。

 少女のように首をかしげる仕草が、なんとも言えず可愛らしい。


「前から聞きたいと思ってたことなんですけど……」

「なにかしら」


「エルマさんが本気をだして戦ってたら、オスヴァルトもミネスポネも、なんなく倒してたんじゃないですか?」


「…………」


 夜風が再び、ひゅるりと吹きぬけた。


 黙するエルマさん。

 彼女は先ほどまでと同じほほえみを浮かべていたが、その瞳の奥を見透かすことはできない。


「今日のエルマさんとセレンの動きは、レゼルでも追いきることができないものでした。

 もしかしたらミネスポネどころか、オラウゼクスだってやっつけられたんじゃ……」

「ふふっ。

 それはさすがに私を買いかぶりすぎですわ、グレイスさん」


 彼女は目をつむり、自身の胸に手を当てた。


「ヴュスターデで『和奏(わそう)』の存在を知って以来、私もひそかに鍛錬(たんれん)を積んできましたが、実戦で使える域には到達できませんでした。

 それに比べて、あの子たちは今では当たり前のように『和奏』を使いこなしている。

 ……つまりは、そういうことですわ」

「レゼルたちの才能は、いまだに底が見えぬと?」


 エルマさんは、深くうなずいた。


 レゼルたちが習得した『和奏』は、そんな短期間で易々と習得できるような代物(しろもの)ではなかったのだ。

 俺も曲がりなりにも『共鳴』ができるようになった身として、あそこまで龍と一体になることがどれほど難しいことか、今ならわかるような気がした。


「レゼルとシュフェルが秘める潜在能力と可能性は、計り知れません。

 だからこそ亡き夫・レティアスとオスヴァルトは命を賭してあの子たちを生かし、未来を託したのですから」


 そう言って、エルマさんは星々の浮かぶ夜空を見あげた。

 その胸に去来するのは、いなくなってしまった者たちへと捧げる哀悼(あいとう)なのか。


(たぐ)いまれなる才能をもつがゆえに、あの子たちにはあまりに重い使命を背負わせてしまいました。

 これから、さらに過酷な戦いも待ちうけていることでしょう。

 ……グレイスさん、どうかあの子たちを最後まで、支えてあげていてくださいね?」


 ……エルマさんからのお願いを、この俺が断るわけがない。

 彼女の問いかけに対し、迷うことなくうなずいてみせた。


「必ず」




 俺はエルマさんと別れを告げ、自分のテントへと戻った。

 明日からの支度を進めながら、自身の決意を確かめる。


 ――どうしようもないほどに、エルマさんたち親子の役に立ちたい。

 だからこそ俺も命を投げうって……。


 いや、絶対に収穫を得て、生きて持ちかえるんだ。

 ……絶対に!




 次回投稿は2023/10/5の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。

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