第153話 プレゼント返し
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理知の女王と同盟の約束も取りつけ、ヴュスターデを出立する数日前のこと。
「グッ……グレイスさん!」
「ん?」
シャレイドラの楼宮のホールを歩いているとき、後ろから呼びかけられた。
振りむくと、レゼルが走って追いかけてきていた。
彼女はわざわざ追いかけてきて走ってきたというのに、そばまでやってくるとなぜか頬を赤く染めて、うつむいている。
あたりにはちょうど、俺たちのほかには誰もいなかった。
「レゼル、どうした? 俺になにか用かい?」
「おっ、おっ、おっ……!」
彼女は言葉がだせなくて、ひきつけを起こしたかのように上下動している。
この子、大丈夫かな……?
心配になって見守っていると、彼女は意を決したように言いきった。
「お誕生日っ……!
おめでとうございます!!」
「誕生日?
……あぁ、そうか。
そういえばそうだったっけ」
俺は彼女の勢いに思わず気圧されてしまったが、今日が自分の誕生日であったことを思いだす。
この数日間に色々なことがありすぎたせいで、自分の誕生日のことなど頭のなかからすっかり吹きとんでしまっていた。
……だが、彼女がわざわざ自分のために走ってきてくれたことを知って、素直にうれしいと思えた。
「ああ、ありがとうレゼル。
君からお祝いの言葉をもらえてうれしいよ」
俺は彼女に感謝の言葉を述べたが、なぜか彼女は下を向いたまま、悲しそうな顔をしている。
「ええ……。
でっ、でもでも、ほんとうはお祝いの品も準備してたんですけど、オラウゼクスとの戦いで部屋に置いてあった品物もすべて壊れてしまったみたいで……。
だからあの、その……」
そう言うと、彼女はしゅんとして黙りこんでしまった。
目には涙をたたえ、今にも泣きだしてしまいそうだ。
……馬鹿だな。
俺の誕生日は、俺を拾い育てた者が名前を付けた日。
俺はみなしごだから、ほんとうの誕生日なんて誰にもわからないってのにさ。
「そっか。
それは俺も残念だけど、そういうこともあるから仕方ないさ。
でも、祝ってくれる気持ちだけで、じゅうぶんうれしいよ。
お返しといっちゃなんだけど、俺からもちょうど君に渡したいものがあったんだ」
「え……グレイスさんから?」
彼女はようやく顔をあげ、涙でうるんだ瞳でこちらを見かえした。
俺は懐から品物を取りだし、彼女の手に乗せた。
「はい。
『和奏』習得と、オラウゼクスに勝ったお祝い」
俺が彼女の手のひらに乗せたのは、『合わせ星の砂』の指輪。
彼女は指輪を見ると、驚いたように瞳を輝かせてくれていた。
そのとき、レゼルは手のひらに乗せられた品物を見て、必死に思考をめぐらせていたのであった。
――そこにあったのは、たしかに『合わせ星の砂』。
指輪の石座に乗るように、彼女が購入したものよりはひとまわり以上小さいもののようだ。
三日月のかたちをした貴石は夜空を思わせる深めの青紫色のなかに、星粒のような粒子を煌めかせていた。
「これ、どうして……!」
「君が街でセシリアと必死な顔して店先で『合わせ星の砂』を眺めてるのを見かけたからさ。
そういうのが好きなのかなって」
「あっ……」
彼女は思い当たる節があったようで、口を開けて驚いている。
「この国の知り合いに指輪職人がいるからさ。
指輪の部分だけゆずってもらって、あとは工房を借りて俺が石座に『合わせ星の砂』を乗せてみた」
「……この石、グレイスさんが……?」
レゼルは指輪を近づけて、まじまじと眺めている。
……正直に言うと、このプレゼントを準備するのはけっこう大変だった。
指輪の石座に貴石を乗せる作業なんてもちろん初めてだったし、レゼルの指のサイズを調べるのも苦労した。
セシリアに相談するとすぐに本人にバラされそうだから、なんとか情報を得るのに苦労したのだ。
その苦労した部分は包みかくして、俺は解説を続けた。
「……そしたらさ、知り合いの職人が『女に渡すのか?』って冷やかしてきやがって、俺の分の指輪もくれたんだよ。
まぁ、それはそのとおりだったし、初めてやる作業で面白かったからつい言われたままもうひとつ作っちまった。
せっかくだからこっちは俺がもらおうと思う。
……って、いきなりプレゼントが揃いの指輪だなんて、重たいよな……?」
「…………」
レゼルは黙って俺のことを見つめたままだ。
俺は自分でも照れくさくなって、頭を掻きながら笑ってしまった。
気持ち悪がられても困るので、自分の分は売り物にしようかな。
そんな風に思っていたら、彼女は俺の胸に頭をもたせかけてきた。
彼女のやわらかい香りが、ふわりと鼻先をただよう。
「ううん、すごいうれしい。
うれしいです。
ありがとう、グレイスさん」
「お、おぅ。
喜んでもらえたみたいでよかったよ……」
俺の角度からはレゼルの頭のてっぺんしか見えないので、彼女がどんな顔をしているかはわからない。
だが急に、俺までどぎまぎしてきてしまった。俺もしかして、とんでもないことしちまったか……?
でもまぁ、いいか。
うまいこと彼女に喜んでもらえた。
その事実が、今の俺にはこの上なくうれしい。
――戦いのなかで、レゼルが死の淵に立たされたとき。
もう会えなくなると思って、心が張りさけそうになった。
だから、気恥ずかしくてもせいいっぱいの贈り物をしたくなったんだ。
ともに生きて過ごすこの時間が、とても愛しくて、かけがえのないものだと気がついたから。
……レゼルがグレイスに寄りそっていたとき、ホールの反対隅の柱の陰に、彼女はいた。
レゼルの無二の親友、セシリア。
彼女は柱に背中を預けたまま、ひとりごとのようにつぶやいた。
「……あんた、邪魔しに行かないの?」
柱をひとつ挟んで、別の柱の影にはネイジュがいた。彼女もまた柱に背中を預け、腕を組んでいる。
セシリアの問いかけに対して、彼女はさも瑣末な事柄であるかのように飄々と答えてみせた。
「ふん。まぁ、たまにはいいでありんす。
恋は障害があってよりいっそう燃えあがるもの。
たまには恋敵に華をもたせてあげるのも、あちきの器の広さなのでありんすなぁ」
「……あんたってさぁ」
「ん?」
「意外と悪い女じゃないよね」
「……! うるさいでありんす!」
ネイジュは背をもたれかけていた柱から離れると、舞う粉雪のように軽い足取りでホールの出口へと向かった。
出口をくぐる間際、くるりとセシリアのほうへ振りかえる。
彼女が見せた笑顔は艶美にして優雅で、誇り高く。
「あちきは殿方の心を奪い、虜にする妖。
多少の浮気心なんて屁でもござりんせん。
主様は必ずやあちきのものにするでありんすから、覚悟しておくんなんし」
そう言って、ネイジュは立ち去った。
セシリアは彼女のことを小憎たらしく思いながらも、不思議に清々しい気持ちになる。
……たしかにネイジュの言うとおり、恋愛は早い者勝ちで、他人が口出しする問題ではないのかもしれない。
恋の行く末がどうなるかは神のみぞ知ることだが、奥手なあのふたりも一歩前進、といったところか。
彼女は柱の陰からそっと顔を出し、ふたりの様子を覗きこんだ。
「……よかったね、レゼル!」
第一部と第二部が合わせてひとまとまりの章だとしたら、この第三部は独立したひとつの章としてつくったつもりです。
独立したエピソードとして、それなりの仕上がりになったのではないでしょうか。
……おっと、忘れていました。
第三部はあと二話。
あと二話だけ続きます。
次回投稿は2023/7/26の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




