第142話 君へと向ける合図
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コトハリの技によってルナクスと部隊長たちが倒れ、激しい戦いを繰りひろげられていた空中庭園は一転、静けさに満たされていた。
……しかしやがて、どこからか悲しげに歌う女性の声が聞こえてきた。
その空間内で唯一意識があったコトハリは、頭上の鳥かごを見あげた。
歌を歌っていたのはミカエリス。
彼女は両手を組み、目をつむって歌っていた。
その頬を、涙が伝う。
――彼女が歌っていたのは戦いに傷つき敗れ、故郷に帰ってきた戦士たちを慰め癒す歌。
紡ぎだされるのは、悲しくも優しい調べ。
「くははは。死者への弔いのつもりか?
安心しろ、こいつらはまだ生きている。
ミカエリス、お前にはまだまだこれから働いてもらわなければならないからな」
そう言って、コトハリはルナクスのほうを指ししめした。
「私のために働かぬというのであれば、あの『月明かりの王子』を人質に取るまでさ。
お前が毎夜のごとく歌を送っている、あの雑魚王子をな……!」
コトハリは知っていたのだ。
ミカエリスとルナクスが、いまだに想いを通わせあっていることを。
だからこそ、躊躇なく彼女の面前でマレローを殺害してみせた。
自分に従わなければルナクスを殺すのを厭わないことの、見せしめとするために。
――なんて卑劣な男……!
ミカエリスは悲しみとともに、怒りとも憎しみともつかない感情がわきあがってくるのを自覚していた。
そこにいり混じるのは、過去の自分の行動を悔いる後悔の念。
彼女は、心にふたつの後悔をかかえていた。
ひとつは、父に誤ってかけてしまった、自身を『見るな』という呪い。
この呪いにより、父は自分を見ることができなくなり、彼の人生を狂わせてしまった。
……そしてもうひとつは、コトハリにかけた自身に『触るな』という呪い。
好色なこの男は、幾度となく自分を手籠めにしようとしてきた。
ある夜のこと。
宮殿の寝室にとうとう彼が押し入り、自分に触れ、押し倒そうとしたとき。
彼女はとっさにこう叫んでいた。
「私にその手で、『 触 ら な い で 』!!」
「なにっ!?」
……それ以来、コトハリは彼女に触れることができなくなっていた。
彼女が『絶対服従の声』をもつことがコトハリの知るところとはなったものの、彼女の貞操は守られたのだ。
だが、彼女はその命令を後悔していた。
あのとき自分はなぜ、コトハリに死を命じなかったのか、と!
伝承では、ヴュスターデ王家の家系では数百年に一度、『絶対服従の声』をもつ女が生まれてくるという。
ヴュスターデ王家はその『声』のちからをもってして人心を操り、王位について自分たちの権限を絶対的なものにしたのだ。
……しかし、前回の『絶対服従の声』の持ち主は他人に『死』を命じたことにより、目的を果たした代償として自身も命を落としたと言われている。
『声』を呪いとして使用したことにより、その反動が自身に降りかかったのだろう。
王家が秘匿していたため、コトハリはこの歴史的事実を知らない。
……だが、ミカエリスはその歴史を知っていた。
知っていたからこそ、彼女は自身の過ちを強く後悔していた。
自分はなぜ、コトハリに『死』を命じなかったのか。
その理由は、彼女自身が誰よりもよくわかっていた。
……他人に『死』を命じるのが怖かった。
自分が死ぬのが怖かった。
彼女はそんな、自分自身の弱さを恥じていたのだ。
自分があのときコトハリに『死』を命じていれば、父も、この国のたくさんの人々も命を落とさずにすんだのに!
歌うことを心から愛するいっぽうで、彼女は自身の呪われし声を忌みきらっていた。
何度この喉をかき切って、死のうと思ったことだろう!
ただひとつ、遠くで戦いを続けているルナクスに歌声を届けることだけが、彼女に死を思いとどめさせていた。
……だが、彼女の父マレローは死の間際にこう言った。
父は彼女を愛していたのだと。
どうか自身の『声』を愛してあげてほしい、と。
この世には、たしかに自分を愛してくれる人がいた。
――お願いです、神さま、父上。
どうかもう一度、このちからを使うことを許して……!
ミカエリスは歌をとめた。
そして両目にたくさんの涙をあふれさせながら、せいいっぱい叫んだ。
「お願い、みんな!
『 立 ち あ が っ て 』!!」
声の波動は同じ空間内にいたコトハリにも伝わり、それがかつて自身の身体を貫いた『声』と同質のものであることを感じとっていた。
「なんだと……!?」
『絶対服従の声』の発動条件。
一.相手が音声を認識できる範囲内にいること。
二.相手が深層心理内で実現可能と考えている内容であること。
上記の二条件を満たした場合のみ、相手の生涯のうちでたった一度だけ、どんな命令にでも従わせることができる。
彼女の声は、空中庭園のなかに響きわたった。
対象となる者が深層心理内で『不可能』と考えている命令は、実現しない。
……そのとき、その場にいた者たちのなかで、誰ひとりとして命令に従わなかった者はいない。
身体はとうに限界を超えていたはずだ。
だが、誰ひとりとして、『あきらめている』者はいなかったのだ。
そして、彼らは立ちあがる。
皆それぞれの武器をにぎりしめて。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
ガレルは自身の剣をにぎりしめ、相棒の龍とともに立ちあがった。
からだは鉛のように重く、まるで自分のからだではないかのようだ。
だが、心のなかの闘志は倒れる前よりもはるかに熱く燃えたぎっている。
彼は自身の頭上にいる敵を見あげ、にらみつけた。
「俺らはまだまだ強くなるんだ。
こんなところで負けてらんねぇんだよ……!」
「よくもみんなを痛めつけてくれたね。
ミカエリス様のことも泣かせて、ぜったいにゆるさない」
「たとえこの命を引き換えにすることになっても、私たちがあきらめることはないわ」
「我らの誇りと絆を甘く見るな。
ちからを合わせ、必ずお前をうち倒してみせる」
――そして、ルナクスのそばで『満月』の光がまたたいた。
……一日たりとも欠かすことなく送りつづけた。どんなにからだが傷つきぼろぼろになっても、彼女に送りつづけた。
それは、彼から愛する者へと向けて送られる合図。
「ミカエリス……君は僕が必ず救いだす……!」
コトハリは彼らを見おろし、忌々しげに歯噛みした。
「死にぞこないどもが……!
よかろう、貴様らが望むのならば。
真の地獄へと叩きおとしてやる!!」
次回投稿は2023/6/12の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




