第125話 『声』
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コトハリはにこやかに語りかけているが、レゼルは真剣な表情を崩さずに彼を見返した。
「帝国は強大です。
とくに帝国皇帝は、今の私たちが束になってもかなわないほどの相手なのはあなたも重々承知のはず。
私たちが手を結べば勝てるという、その根拠は?」
「ふふふ……。
単純な武力の比較であれば、あなたの言うとおりでしょうね、レゼル様。
しかし、帝国皇帝のもとにまでさえたどり着ければ、それでじゅうぶんなのです。
……マチルダ様、あなたはご存知のはずだ。
『陽光の歌姫』ミカエリス様が秘めている、すばらしきちからの存在を……!」
「!!?」
皆の視線がミカエリスへと集まった。
彼女は青ざめ、怯えたように両手で顔を覆っている。
「はて? ミカエリスが秘めたちからとはいったいなんのことでしょうか……?」
「ふふふ。とぼけてみせても駄目ですよ、マチルダ様。
私は知っているのですから。
ミカエリス様に秘められたちから、それは……」
――『絶対服従の声』!
数百年に一度、ヴュスターデ王家の血を引く者のなかには『絶対服従の声』をもつ女が生まれてくると言われている。
『絶対服従の声』のもち主はその声だけで人心をかき乱し、たった一度だけ、命じた相手をどんな命令にでも従わせることができる!!
……ミカエリスは、その『絶対服従の声』のもち主なのであった。
「『絶対服従』の声があれば、いくら帝国皇帝が強かろうと関係ありません。
なにせ彼に近づいて、『死』を命じればよいだけなのですから!
皇帝も、ミカエリス様にそのすばらしくも恐ろしいちからが備わっていることは知らないはず。
……ね、簡単でしょう?」
コトハリの指摘に、マチルダのからだから静かな怒りがほとばしる。
かつて王国随一の女騎士と謳われた彼女の気迫は、剣の切っ先のように鋭いものであった。
「ミカエリスが『声』を発現していることは王家の秘密のはず……。
なぜあなたが知っているのですか……?」
「ミカエリス様がちからを行使しているところをたまたまお見かけする機会がありましてね。
いや、大変すばらしいおちからですよ、ふふふ……」
ミカエリスの顔はますます青ざめていき、ガタガタと震えだした。
彼女の哀れな様子を見て、マチルダはますます怒りを募らせる。
「あなたの真の狙いは、ミカエリスの『声』だったのですね……!」
マチルダが怒りのまなざしを向けるも、コトハリはまったく動じる気配がない。
彼は芝居がかった様子で肩を竦めてみせた。
「すべては我が友マレロー殿のためですよ。
いかがでしょうか、マレロー殿?
いまやエミントスや翼竜騎士団のちからを借りるまでもありません。
シャレイドラはこの十年間で経済的にも軍事的にも成長・発展し、ちからを蓄えてきました。
帝国に反感を抱く国々に近づき、『声』と財力で買収して軍を立ちあげれば、あの帝国とも渡りあうことができるでしょう!」
コトハリは自身が立てた計画の美しさに酔いしれ、恍惚とした表情を浮かべていた。
「マレロー殿、あなたこそがこの世界を統べる王となるのです。
さぁ、手始めにミカエリス様に命じ、そこの女王たちをあなたの言いなりにさせてみましょう……!」
コトハリの手が、マレローへとさし伸べられた。
禍々しくも、人の心を惹きつけてやまない艶美な邪悪さを身にまとわせて……!
――まずい!
コトハリの言うことが真実であれば、マレローとミカエリスがひと言発するだけで、自分たちは彼らの支配下に置かれてしまう……!
レゼルはミカエリスの口を抑えにいくべく動きだそうとしていた。
……しかし、マレローの口からでた言葉は、その場にいた皆の予想に反するものであった。
「それは……ならん」
「なに……!?」
マレローのまさかの返答に、コトハリは眉をひそめた。
「ワガハイが望むのは世界の覇者となることではない。
『学殿』での研究を完成させ、我が娘ミカエリスとともに幸福に生きていくことである!」
「父上……!」
ミカエリスは両手で顔を覆ったまま、自身の父親を見つめた。
今のマレローの顔には、決意と覚悟が満ち満ちていた。
「ワガハイが帝国に従属し、この国の王になることを選んだ理由。それは――」
――富国王マレローが、富に魅入られ、王になることを選んだ真の目的。
それは、彼にかけられたミカエリスの『声』による束縛を、自分自身のちからで克服すること。
それはすなわち、『絶対服従の声』によって見えなくなった彼女の姿を、再びその眼に映しだすことであった。
彼は自身にかけられた呪縛を自らのちからで解き、娘の姿を再びその眼で見ようとしていたのだ。
すべては、誤って実の父に呪いをかけてしまった彼女の心を、救済するために!
――十年前の帝国侵攻のとき、『太陽の楼宮』での出来事。
自軍では帝国軍にかなわないことを即座に悟ったマレローは、勧告されたとおり降伏することを心に決めていた。
おまけに帝国側は、彼の王位を認めてくれるつもりだという。
しかしまだ十の齢にも達しないミカエリスは、すでに王家の一員としての誇りと自覚を備えていた。
彼女は、帝国に国を売ろうとしている父を諫めようとしていたのだ。
「父上!
帝国に従属するなんておやめください!
王家の誇りを守り、エミントス軍とともに戦いましょう!」
「いいや、ミカエリス。
これはまたとない好機なのだ。
帝国はワガハイたちをヴュスターデの真の王として認めると言っておる。
分家に生まれたというだけで見下される、ワガハイたち一族の歴史と運命を覆せるのだぞ!」
「そんな……!
王位のために、エミントス王家とのつながりを切り捨てるというのですか!?」
ミカエリスの頬を、ひと筋の涙が伝いおちる。
父が、分家に生まれた自身の運命を呪い、嘆いて生きてきたことは知っている。
そしてその運命を、自分に引き継がせることに申し訳なさを感じていたことも。
……自分は、父に愛されて生きているだけで幸せだったというのに。
「そのとおりだ。
まずはワガハイが王となる。
そしてワガハイの次はミカエリス、お前がヴュスターデの真の王に……!」
「いや……!」
ミカエリスは頭を抱え、首を横に振った。
そんなことを、自分は望んでなどいない。
だがしかし、マレローの目に映るのは未来の女王として君臨するミカエリスの姿。
目の前の娘など、今の彼にはとうに見えなくなっていた。
狂気じみた野心に満ちたまなざし。
マレローはミカエリスへと手をさし伸べた。
「さぁ、ミカエリス。ワガハイとともに王になろう……!」
「やめて……!
そんな目で、『 私 を 見 な い で 』!!」
「なっ!?」
ミカエリスの言葉の波動がマレローの全身を駆けめぐり、彼の脳髄を刺しつらぬいた!
マレローは全身が脱力し、その場に倒れる。
……そして次に起きあがったとき、彼の目はすでにミカエリスの姿を映さなくなっていた。
「おお……ミカエリス!
我が最愛の娘よ、お前はどこに行ったのだ……!?」
「父上……!?」
まだ幼かったミカエリスは感情の制御ができず、意図せずして『声』のちからを発動させてしまった。
――以来、彼女は悲しみにうち沈むこととなる。
十年にもおよぶ軟禁生活のなかで歌が数少ない心の支えであった彼女は、歌うことをどうしようもなく愛していた。
しかしそのいっぽうで、呪いにも似た『声』のちからをもって生まれた自身の存在を、忌みきらってもいたのだ。
……そして彼女がそのようになるきっかけを作ってしまったのは自分であるということを、マレローは自覚していた。
彼は当時のことを克明に思いだしながら、語る。
「ワガハイは後悔した。
悔いても悔いても、後悔しつくせぬほどに。
地位や財産に目がくらみ、ワガハイはとっくに、道を踏みはずしていたのかもしれぬ。
ミカエリスにも、たくさんの悲しみを味わわせてしまったかもしれぬ。
……だが、自分で選んだ道である以上、その道を歩む責任は自分でとる。
そして必ずや再び、この眼でミカエリスの笑顔を目のあたりにしてみせる!」
彼は集めた資金を使って『学殿』を築き、世界中から医学者や研究者を集め、人間の眼や脳の研究を進めはじめた。
彼自身も被験体として、研究者たちと積極的に論議をかわした。
……しかし世界が誇る屈指の頭脳を集結させ、莫大な研究費をつぎ込んでも、『絶対服従の声』による束縛を解除する方法はいっこうに見つからない。
眼の問題なのか?
脳の問題なのか?
はたまた精神に作用しているのか?
原因はまったくといってよいほどわからなかった。
――だが、必ずや自分自身のちからで原因を究明し、この『障害』を克服してみせる!
ミカエリスが後悔を乗りこえられるように。
そしてこれから先、彼女が同じ過ちを犯しても後悔しなくてすむように。
そのためなら、たとえ自分が金の亡者になりさがっても構わなかった。
マレローは自身の過去を語りおえ、コトハリへと告げる。
「ワガハイのこの十年間は、すべて娘、ミカエリスのためにあった。
たとえそれが、彼女の望むかたちではなかったとしても、な。
皇帝を殺すために、娘を危険な戦地に赴かせるつもりは毛頭ない。
そしてなにより……」
マレローはミカエリスがいるであろう方向へと目を向けた。
そのまなざしには、娘を想う愛情とぬくもりであふれていた。
「ミカエリスの声を、人殺しの道具になど使ってもらいたくはないのだ。
悪いがコトハリ君、今回の話はなかったことにしてくれたまえ」
マチルダとレゼルからだけではなく、マレローからも提案を拒絶されるかたちとなったコトハリ。
コトハリはがくんとうなだれた。
その場にいた誰もが、彼はうち沈んでいるのだと考えていた。
――だが、それは違う。
それは、新たな狂気と悲劇の始まりなのであった。
次回投稿は2023/4/5の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




