第122話 大いなるちからの胎動
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――時は、いくら人が待ってほしいと乞い願っても残酷なまでに立ちどまらず、一定の速度をもってして過ぎさっていく。
マレローとの次の対談まで、あと数日に迫っていたころ。
レゼルとシュフェルは今日も『風哭きの谷』を訪れ、『和奏』の訓練に明けくれていた。
オラウゼクスからの教えを受け、訓練の合間には風が奏でる『和奏』の音へと耳を傾けていた。
レゼルたちは風が奏でる音から学習し、訓練を積みあげ、着実に練度をあげることができていた。
しかしどうしても、『和奏』の状態に到達し、あとは龍から自然素を引きだして奇跡を呼びおこすだけという段階で、龍との連結が解除されてしまう。
……あともう少しの月日があれば、必ずやレゼルたちは『和奏』の技術を習得していたことだろう。
だが彼女たちにはどうしても、絶対的な経験値が足りない。
オラウゼクスとの再戦がいつになるかわからない状況のなか、残された時間は刻一刻と過ぎさっていた。
今日ももうじき日が暮れるという時刻になるまで訓練を続けていたが、『和奏』の完成にはいたらず、とうとうシュフェルが膝に手をついてしまった。
「はぁっ、はぁっ……!
くそ、あともう少しでできそうなのに。
どうしてもできねぇ……!」
レゼルも肩で息をしながら、答える。
「少しだけ休憩をとりましょう、シュフェル。
日が暮れるまで、もうちょっとだけ時間があるわ。
休憩をはさんで、もう一度挑戦よ」
シュフェルはレゼルの提案に素直に応じた。
ふたりは谷底で訓練を行っていたが、岩場の陰になっていて風が吹きこんでこない場所へと移動した。
それぞれエウロ、クラムを背もたれにして腰かけ、ふぅっとひと息つく。
シュフェルはクラムの背中の上でびろん、と腕を伸ばしてゴロゴロしている。
「あ~、このゴツゴツしたところが、背中のツボに入るのよねぇ」
クラムの黒い体毛は硬めだが、それはそれでコシがあって気持ちよい。
からだの要所を守るように黄金色の鱗も生えていて、それがゴツゴツと背中に当たっているらしい。
実際には背中に凝っているところなどないのだが、とりあえず大人っぽいこと(?)を言ってみるのが、どうやら最近の彼女の流行りらしいのだ。
「ぷっ。
なにそれシュフェルったら、可笑しい」
レゼルはシュフェルが急に変なことを言うので、思わず吹きだしてしまった。
ちなみにエウロの背中は、風になびく草原に寝ころがったかのような心地。
彼女はくすくすと笑いつつ、懐から『合わせ星の砂』を取りだした。
師匠……ではなく、貴石店のお姉さんの助言を受け、石を包むように麻ひもを編みつけているのだ。
こうすれば装身具として首にかけたり、装備品に結いつけることもできる。
こうしてちょっとした休憩の合間に少しずつ作業を進めており、ひとつは完成して、今はもうひとつのほうの仕上げの段階に入っている。
シュフェルは起きあがって覗きこみ、レゼルの長くて繊細な指が器用にひもを編みこんでいくさまを眺めた。
「姉サマ、最近ソレちょくちょく作ってるよねぇ」
「うん。
……贈り物にと思って、ちょっとね」
そう言って、姉は愛おしそうに貴石を見つめた。
つらい訓練の合間の、よい気分転換になっているのだろう。
心身ともに疲れきっているはずだが、彼女は鼻歌を歌いながら作業を進めている。
……シュフェルには渡す相手が誰なのかだいたい検討はついていたが、野暮なことはつっこまない。
それもまた、オトナのたしなみなのだ。
ふと思いつき、シュフェルはレゼルに質問した。
「ソレって、ふたつひと組の石なんだよね?
なんてゆー石なんだっけ?」
「これ?
これはね、『合わせ星の砂』っていうの、よ……」
レゼルは自身の言葉を言いおえぬうちに、手のなかにあった貴石を目の高さにまで持ちあげた。
今日持ってきたのは正円のかたちをしているほうで、三日月形のほうはエミントスの楼宮で借りている部屋に置いてきてある。
ひとつひとつのかたちはいたって単純だが、ふたつの貴石はまるで違うかたちをしていた。
なにも知らない者が一方の石を見ても、もう片方の石のかたちを思いうかべることは難しいだろう。
ひとつひとつの石のかたちは、とても簡潔なものだというのに……。
レゼルは『合わせ星の砂』を見つめたまま、シュフェルに声をかけた。
「シュフェル、少し試してみたいことがあります。訓練を再開しましょう」
「試してみたいこと……?」
そのとき、『風哭きの谷』に猛風が吹きあれた。
一日に一度、谷から吹きだされて砂嵐を巻きおこすという風のように。
そして、清澄でありながらにして深い響きをともなった『和奏』の波動は、夕焼けに染まる空を伝わって、ヴュスターデ全土へと波及していた。
『太陽の楼宮』の屋上で雷龍とともにたたずんでいたオラウゼクスは、たしかにその波動を感じとっていた。
それは、大いなるちからの胎動。
彼は『風哭きの谷』がある方角を見つめ、つぶやく。
「……たどり着いたか」
彼はようやく機が熟したことを知る。
それは待ちに待った、戦いの時が近づいていたことを意味していた。
『和奏』の波動を感知した者は、オラウゼクスだけではなかった。
エミントスの近くに設営された騎士団の宿営地、その一角。
研ぎすまされ、常人の域を超えて鋭敏になった身体感覚が、空を超えて伝播する波動を感じとった。
「これは……」
彼は、ちからの波動の震源地となる方向の空を見あげた。
紅蓮の瞳が夕焼け空を映し、よりいっそう赤く染まりながら。
次回投稿は2023/3/24の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




