第121話 想いを乗せて運ぶ歌
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俺とレゼルは、ルナクスに連れられて『月の楼宮』の屋上へとのぼった。
屋外は砂漠の夜の冷たい空気がたちこめている。
そして、屋上からは月明かりに照らされて淡く光るエミントスの全貌が見おろすことでできた。
眼下に広がる夜景に、隣にいたレゼルはうっとりとした表情を浮かべ、思わずため息をついた。
「ほんとうに……。何度見てもきれいですね、夜のエミントスは」
「ああ。月の楼宮の屋上から見ると、また格別だなぁ」
自分たちが立っているこの楼宮の建物自体も光を放っていて、まるでほんとうに月の世界に降りたったのかと錯覚してしまうほどに幻想的な世界だった。
俺とレゼルがそんな風にして夜景を楽しんでいると、ルナクスが光の届かない、遠くのほうを指さした。
「ミカエリスがいるのはあそこだ」
ルナクスはシャレイドラの中央にそびえ立つ『太陽の楼宮』を指さしていた。
雄大で豪華な楼宮なので月夜でも大まかなかたちがわかるほどだが、ここからでは遠すぎて、その細部までは見えない。
「あの楼宮のどこかにミカエリスが囚われていて、もう何年も閉じこめられたままだ。
彼女は歌を歌うことをなによりも愛していたし、僕は彼女の歌を聞くことがなによりも好きだった。
だから僕はこうして、夜になると『月』を浮かべて、歌を聞く準備ができたことを伝える。
この『月』は、僕から彼女への合図なんだ」
そう言うと、ルナクスはいつも自身のまわりをふよふよと浮かんでいる『満月の盾』に手をかざし、空へゆっくりと浮かべた。
盾は、まるでもうひとつの月のように浮かび、夜空で光を放っている。
……それが、ルナクスからの合図。
――どこかから、歌が聞こえてきたような気がした。
……いや、たしかに聞こえる。
これはこのあいだシャレイドラの広場で聞いた、ミカエリスの声。
そんなわけはなかった。
たとえ声の太い男が大声で叫んだとしても、シャレイドラの楼宮からこの場所まで、人間の声がとうてい届くはずはないだろう。
だが、レゼルのほうを振りむくと、彼女も俺のほうを見かえしてうなずく。
彼女の耳にも、たしかにその歌は届いているようだった。
――あるいはそれは、音波の伝達ではなかったのかもしれない。
想いが歌声を乗せ、遠くの空へと運んでいく。……こちらに向けられているのだ、心が。
ルナクスは目をつぶり、歌声に耳を傾けている。
やがて彼はうっすらと目をひらき、言葉をつづけた。
「この数年間、僕は毎日こうして屋上で彼女の歌を聞いている。
たとえ戦いに傷つき、倒れた日であっても、僕はこの屋上まで這ってのぼる。
彼女もまた、僕が合図をすれば必ず歌を届けてくれた」
「数年間、毎日……!」
「……たとえ距離は遠く離れていても、おふたりはずっと、心を通わせつづけてきたのですね」
――この歌が聞けるから、僕は今日まで心折れずに戦いつづけることができた。
ルナクスは再び、目をつむった。
「そうだ。
僕たちはずっと離れ離れだったが、心はいつもそばにいつづけた。
……それでも僕は、彼女に会ってこの手で抱きしめたい」
ルナクスがはるか遠く、エミントスの楼宮で『月』の合図を浮かべたとき。
ミカエリスはいつものとおり自室の窓を開けはなって、歌を歌いはじめた。
時には明るくさえずる小鳥のように。
時には我が子を慈しむ母親のように。
彼女は自分が知るかぎりの、さまざまな歌を歌いつづけてきた。
遠く離れたこの場所で、彼の今の気持ちを知ることはできない。
だから彼女はさまざまな歌を歌った。
悲しい気持ちなら明るくなるように、悔しい気持ちなら励みになるように。
彼女は、ルナクスがこの数年間、自分やエミントスの民のために戦いつづけてきたことを知っていた。
激しい戦いがあった日、どんなに遅くなっても彼は月の合図を送ってくれていたことを。
――今、あなたはどんな顔をしていますか?
私の歌は、あなたのちからになっていますか?
歌にかたちはないけれど。
遠く離れたあなたのもとへ、この空を超えて届きますように。
そんな歌を、私は送りたい。
次回投稿は2023/3/20の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




