第117話 風哭きの谷
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マレローとの二度目の対談を終えた翌日、さっそく俺はレゼルとシュフェルを『風哭きの谷』へと案内し、連れていった。
風哭きの谷は、エミントスから数時間ほど龍で飛んでいったところにある。
エミントスのそばには巨大な大地の溝が曲がりくねりながら延々と地の果てまで続いており、その大地の溝に沿ってずっと進んでいくとたどり着くのだ。
風哭きの谷が近づくにつれ、目下の砂地には巨大な石がゴロゴロと目に付くようになり、やがて固い地盤の岩場になっていった。
龍で飛ぶ上空から目的の場所が見えたので、俺はレゼルたちに指ししめした。
「ほら、見えてきたよ」
「わぁ……」
俺が指ししめした先には、雄大な峡谷が果てしなく広がっていた。
深く、広く、荒々しく。
大地に刻まれたいくつもの溝は複雑に絡みあい、無限に延びているかのように思われた。
人間がどうあがいても模倣しようのない、大自然が生みだした絶景。
さんざん龍に乗って高所には慣れているはずだが、削りとられて赤い岩肌が剥きだしになった大地は美しくも恐ろしげであり、自身の存在のちっぽけさを否が応でも思いしらされる。
「ここから先は危険だし、聖域だから、現地の人でも立ち入らない。
俺も以前に訪れたことがあるのはここまでだ。一度降りて、あたりの様子をうかがってみよう」
「了解です、グレイスさん」
「うぃ!」
俺たちは目についた近くの断崖に降りたった。
こうして自分の足で地に降りたってみると、ますます峡谷の雄大さ、大地が秘めるちからの強さが直に伝わってくる。
峡谷の谷間には、無数の龍が風に乗って、崖から崖へと渡るように飛んでいた。
体色が黄土色の大地の龍と、緑色の風の龍たちである。
野生の龍が多く住むのは、それだけ自然素が濃く、多く集まる場所であることの証でもあった。
いつもはおとなしくて落ちつきのあるエウロも、飛びまわりたそうにそわそわしている。
広大な空間を飛びまわる野生の龍たちの姿を眺めながら、レゼルは思わずため息をついた。
「ほんとうに、すごい景色。
こんな場所が、レヴェリアにあったなんて」
「ああ、絶景だろ?」
「フゥコォメイビィだねぇ~」
シュフェルが知ったかぶって難しい言葉を使った結果、外国語のような響きとなっている。
『風光明媚』な。
「……しかし、こんなところに来いだなんて、オラウゼクスはいったいなにが狙いなんだろうな?
まさか観光にしに来いというわけでもあるまいし。やっぱりどこかに罠でも仕かけられてるんじゃないか?」
俺は出発する前から心に抱いていた疑問を口にだした。
その疑問に対し、レゼルが答える。
「その可能性は無きにしもあらずですが……。
あまり罠とか、そういう姑息な手段を好む人のようには思えませんでした」
「オラウゼクスはそうかもしれないけど、コトハリが絡んでるかもしれないだろ?」
「それは、そうかもしれないですけどね……」
「奴は関係ない。
貴様らがあまりにも情けないから見ていられなかっただけだ」
「!!?」
会話をしていた俺たちの背後には、いつの間にかオラウゼクスがいた!
奴は近くの岩場に何食わぬ顔で腰かけていた。
そのそばには雷龍もたたずんでおり、俺たちが気づくとひと鳴きいなないた。
レゼルが気づかずにここまで接近を許すのは、俺が知るかぎりエルマさんしかいない。
そして、彼女の接近術は武芸の極みが可能とする業。
こいつ、身のこなしまでもエルマさん並みだというのか……!
シュフェルは乗っていたクラムに後ろを振りむかせると、すぐさま剣を抜いた。
「てめぇ、『次会うときは殺す』とか言ってやがったな。
今すぐここでおっぱじめようってのか!?」
「剣を収めろ、小娘。
貴様らが『和奏』を習得できていないことはわかっている。
今戦っても結果が見えているのは貴様らでもわかっていることだろう」
「く……!」
敵とあれば格上が相手でも噛みつくシュフェルが、悔しさを露わにしながらも剣を収める。
それほどまでのちからの隔たりが、今の彼女とオラウゼクスとのあいだにはあった。
「教えてください、オラウゼクス。
この場所はいったいなんなのですか?
どうして私たちを、この場所へ?」
「今の貴様らに足りていないものが、この地にあるからだ」
レゼルの問いかけに、オラウゼクスはゆっくりと答えた。
今現在ではなく、はるか遠く、隔たれた時空の彼方にいる者へと話しかけるかのように。
「『風哭きの谷』。
何千年という昔……。
この地はかつて緑に覆われ、豊富な水をたたえた、広大な河だった。
この自然があふれる島には、水氷・風・大地の三龍神が訪れていたという」
この荒々しく削りとられ、大地に深く刻みこまれた溝は、信じがたいことに巨大な河が干あがった跡だったのだ。
大地を削るのにも、河が干あがるのにも、いったい何年もの月日が流れたのだろうか。
想像することすらできない。
そしてかつてはこの地に自然があふれ、三種もの龍神が訪れていたのだということも。
「あるとき、ふとしたことをきっかけに兄妹である大地の龍神と水氷の龍神が争いを始めた。
長きにわたる争いの結果、水氷の龍神は追いだされ、仲裁に入っていた風の龍神も去り、大地の龍神は安住の地を手に入れた。
しかしその結果、自然の均衡はくずれ、あふれるほどの水を湛えた河はすべて干あがり、あとにはこの荒れはてた大地のみが残ったと言われている」
水氷の龍神はファルウルに宿ったという話であったはずだ。
この地を追いだされたあとに、ファルウルの島にたどり着いたのだろうか。
カレドラルも風の龍神の加護を受けた国ということであるから、ヴュスターデを去ったあとにたどり着いたのかもしれない。
「異なる属性の龍神たちが入り交じり、争ったすえに、この場所は歪な大地となった。
しかし結果として、さまざまな自然の律動――『龍の鼓動』が同居する地になったのだ」
「さまざまな『龍の鼓動』が、同居する地……」
レゼルが、噛みしめるようにオラウゼクスの言葉を繰りかえす。
「耳を澄ましてみろ、小娘ども。
貴様らが求める『答え』が、この地にある」
そこまで言うとオラウゼクスは立ちあがり、雷龍の背中にまたがった。
「……私が教えてやるのはここまでだ。
あとは自分たちでなんとかしてみろ」
「オラウゼクス。あなたは……」
「勘違いするなよ、小娘。
私は至高の戦いを求めているだけだ。
貴様らがその領域に到達できぬようであれば、斬り捨てるまで。
……次に剣を交えるときは、本気で殺すつもりでかかってこい」
最後にそう言って、オラウゼクスと雷龍は悠然と飛びさっていってしまった。
今回の場面は次回に続きます。
次回投稿は2023/3/4の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




