第111話 オ・ト・ナの社交場
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ブラウジを騎士団の宿営地に送りかえしたのちも、俺はブラブラと街を見てまわったり、かねてからの知り合いのもとを訪ねたりしていた。
俺が知り合いの工房をでたころには、あたりはすっかり日が暮れており、街を訪れていた騎士団の面々も三々五々にエミントスのほうへと帰っていく。
灼熱のように暑かった昼の空気はみるみるうちに夜の空に熱を奪われ、嘘のように涼しくなっている。
俺は思わず身震いし、ヒュードを迎えに行って帰ろうとした、そのときであった。
「ねぇ」
「ん?」
誰かが服の袖を引っぱるのを感じたので、俺は引かれた方向を振りむいた。
そこにいたのは、シュフェルだった。
シュフェルは暗がりのなかでもわかるほど真っ赤に頬を染めていた。
その後ろではティランも神妙な面持ちをしている。
このふたりがこうした表情を見せているのは、とても珍しい。
「どうした、シュフェル?」
「アタシ、あそこに行ってみたい……!」
「んん……!?」
シュフェルが指さした先にあったのは、真夜中でも煌々と明かりを放っているカジノ。
一見して豪勢な城のようなたたずまいが、見ているだけで富裕層の仲間入りになったような優雅な気持ちにさせてくれる。
しかし、光と影を織りまぜた蠱惑的な色づかいの照明。人間を破滅へと誘いこむかのような、アブナイ香りをぷんぷんと漂わせている。
「お前ら、あんなところ子どもが立ち寄っていいわけないだろうが……!」
「でもでも、カレドラルにカジノなんてなかったから、どうしてもなかを覗いてみたいんだもん!
何ごとも経験なんだから、旅先でちょっと寄るくらいいいじゃん!
オトナの世界を、覗いてみたいの……!」
「ボクも行きたい。オトナの世界……!」
シュフェルとティランは必死の表情だ。
だが、その目はまだ見ぬ世界への期待と希望で輝いている。
「……でも、レゼルやブラウジに怒られるぞ?」
「だから、アンタに頼んでるんじゃない!
さっきこっそり入ろうとしたら、入り口の警備員に『保護者がいないとダメだ』って言われちゃって……。
それにアンタなら、いろんな国を旅してたからこういうトコにも慣れてそうだし……」
「グレイスさん、おねがいします。
このとおり!」
恥ずかしそうにモジモジしてるシュフェルの後ろでは、ティランが深々と頭をさげている。
……本来なら、ひとりの大人として断固拒否し、彼らを叱りつけるべきところだろう。
だが、彼らは若くして戦場に身を置いている人間。いつ明日が訪れぬことになるともわからぬ身なのだ。
限られた人生をせいいっぱい楽しみぬきたいという気持ちはわかる。
そして、俺は良識のある大人ではないし、ましてや聖職者ですらない。
それどころか、かつては裏世界の住人だったのだ。
人間の欲望うずまくカジノは、俺にとって居心地がよい場所でしかない。
よかろう、ガキども。
世間の酸いも甘いも知ったこの俺が、大人の世界というものを教えてやる。
なかに入ってから、ビビったなんて言うんじゃないぞ?
「……仕方ないな。
俺が連れてったって、レゼルたちにはぜったいに内緒だぞ?」
「オッサン……!」
「ありがとう、グレイスさん!」
俺はシュフェルたちを連れてカジノの入り口をくぐった。
警備員たちは見慣れない俺たちの格好を見ていぶかしげな表情を浮かべたが、とくに咎めることはしなかった。
なに、あらゆる国のイカれた金持ちたちが自身の子どもを連れて出入りしているのだ。
入ってしまえば、あとはなにも言われることはない。
「これがオトナの世界……!!」
「ま、まぶしい……!」
カジノのなかに入って進み、ホールにたどり着くとシュフェルとティランはよりいっそう目を輝かせた。
ホールの内部は広く、うす暗い。
しかし、天井に取りつけられた照明がテーブル上の象牙のダイスやうずだかく積みあげられた純金のコインを照らしだし、まばゆく映える。
もちろん、部屋の内装は豪華絢爛そのもの。
ところどころに貴族の調度品のような椅子やテーブルが置かれ、高級な木材を艶がでるまで磨きあげられている。
そして、こうしてつくりあげられた異空間に、礼装した世界各国の金持ちがところ狭しと入り交じり、賭けごとに興じている。
ある者は負けられないと必死な形相で、ある者は遊び半分といった感じで悠々と構えている。
また、賭けごとには参加せずに人脈をつくろうと、勝負を観覧しているほかの客に一生懸命話しかけている者もいる。
まさしく、貴族の社交場だ。
……質素倹約を重んじるカレドラル出身のシュフェルとティランには、刺激が強すぎる光景だろう。
当然、ふたりは大興奮している。
でもまぁ、こういう世界があることも知るのは悪いことではないのではないだろうか。
そんなことを考えていたら、またまた服の袖をグイグイ引っぱられた。
シュフェルが頬を上気させてこちらを見あげている。とてもよい笑顔。
「ね、ねぇねぇ!
アタシたちもちょっとだけやっていい!?
ほんのちょっと遊ぶだけだからさァ」
「ボクもボクも!
いい? グレイスさん!」
「ん……。まぁ、いんじゃない?
あっちがお金とチップの交換場だよ」
「「やったぁー!!」」
俺が簡単にカジノの利用の仕方を教えると、ふたりは喜び勇んで現金とチップを交換しに行ってしまった。
喜びと期待に満ちあふれ、躍動しながら遠ざかっていくふたりの背中。
――そこから先の展開は、語るまでもなかっただろう。
敗者がたどる末路。素人の典型。
「ガハハハハ! やっぱアタシって天才?
なにコレ超チョロいじゃん!」
「ス、スゴい……!
ボクにこんな才能があったなんて……!」
ふたりは初戦から面白いように勝ちが続き、勝ち金を獲得していく。
目の前のチップが、みるみるうちに増えていく。
……人はそれを、初心者的幸運と呼ぶ。
ゲームの神様が、その世界に足を踏みいれた者を祝福し、与えし恩寵。
しかし、その幸運はけっして長続きはしない。
数時間後――。
ホールの隅のほうにひっそりとならべられた休憩用のテーブルと椅子に、少女と少年は腰かけていた。
ふたりとも、魂を抜かれたかのようにちからなく座椅子にもたれかかっている。
俺はそばに立ち、腕を組んでふたりの様子を見守っていた。
彼らはなにも言わずに黙していたが、やがてひとり言をつぶやくように、その重い口をひらいた。
「姉サマにもらったおこづかい、全部使っちゃったァ……」
「ボクもこないだの親からの仕送り、全部すっちゃった……」
シュフェルはおこづかい制だったのか。
カレドラルに残ったティランの両親は、騎士団の重要な戦力の親元として衣食住を保証され、じゅうぶんな給与を与えられているというから、ご安心を。
……でもまぁ、そういう問題でもあるまい。
自業自得ではあるが、心情的には理解できる。
堰をきったように悲しみの感情があふれてきたようで、シュフェルは見る間に涙で顔をくしゃくしゃにさせてしまった。
「んあああああ!
姉サマに叱られるうううぅ!!」
「りょうしんに合わせるカオがない……。
しのう」
シュフェルはテーブルに突っ伏して、号泣。
ティランは虚ろな表情で遠くを見たまま、ブツブツつぶやいている。
こんなところで命を散らすな、若いんだからまだまだいくらでもやり直せるよ。
号泣するシュフェルと、魂が旅だったまま帰ってこないティラン。各々のやり方で悲しみにうちひしがれるふたり。
俺はとうとう見ていられなくなって、ため息をついた。
……仕方ない。
可愛いガキどものために、ひと肌脱いでやるとするか。
カジノ編は次回に続きます。
次回投稿は2023/2/8の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




