第110話 陽光の歌姫
前回の場面の続きです。
◇
俺とブラウジは街の大広場へとたどり着く。
大広場の中央には派手な舞台が設えてあって、なにやら催しものがひらかれるようであった。
俺とブラウジがなにごとかと思って眺めていると、司会を務める男の声が聞こえてきた。
「皆様たいへんお待たせいたしました。
ミカエリス様の、ご登場です!」
司会の案内に続いて舞台の中央にひとりの人物が現れ、観客は大きな歓声をあげた。
舞台の中央に現れたのは、女性。
年のころは、レゼルやルナクスと同年代。
愛くるしい顔立ちをしているが、民衆が思わずひざまずいてしまうような気品さもあわせもっている。
輝く柑子色の髪は不思議な暖かみをもち、見る人に陽光を思わせた。
彼女に余計な装飾などはいっさい不要であり、簡素な絹のドレスを身にまとっているのみである。
使われている絹は、遠くから見てもわかるほどの最高品質のものであるが。
……俺は恐らく、彼女のことも知っている。
『陽光の歌姫』。
ヴュスターデの王家の血筋で、このシャレイドラを治める領主の娘、すなわちマレローの娘である。
格別な美貌はもちろんのこと、彼女の歌声は万人を魅了する美しさであるという。
ミカエリスと呼ばれた女性が定位置につくと、司会の男が歓声に負けじと声を張りあげ、彼女を紹介した。
「我らが国家ヴュスターデの正統なる王位継承者、ミカエリス様です!
本日は我われ民衆のために、そのやんごとなき御姿と歌声を披露していただけることと相成りました。
皆様どうぞ、心してご静聴くださいませ!」
観衆がぴたりと歓声をあげるのをやめる。
ミカエリスが息を吸いこみ、歌いはじめると、観衆は一気に引きこまれた。
ミカエリスの歌声は空を伝わって遠くにまで響きわたり、街じゅうに散らばった騎士団員たちのもとへも届く。
歌声はレゼルとセシリアのもとにも届いていた。
彼女たちは声がするほうの空を振りかえり、耳を傾ける。
「うわぁ、すごい綺麗な歌声。
こんなの初めて聞いたね、レゼル」
「ええ、ほんとうね。でも……」
レゼルは遠くから聞こえてくるその歌声に心から感動しつつも、不思議な引っかかりを覚えたのであった。
聞くだけで身も心も浄化されていくような清らかで深みのある声質。
低音と高音の移りかわりの滑らかさ、節の強弱の付けかたの巧みさ、切なく揺れるビブラート……いや、彼女の歌声は歌唱技術の巧拙などでとうてい語ってよいものではない。
彼女が歌っているのは、ヴュスターデの国歌のようだ。
たとえ故郷を離れることがあっても祖国を愛し、想いつづける望郷の歌。
観衆は皆、目を閉じて聞きいり、なかには両手で顔をおおってむせび泣いている者までいる。
帝国の貧民街に捨てられて育ち、心に想う故郷などないはずの俺でも郷愁の念のようなものが湧きあがり、鼻の奥がツーンとなってしまった。
このままだとうっかり泣いてしまいそうだったので、気を紛らわすために隣のブラウジのほうを振りむいた。
「ほんとうにすごい歌声だな……ってうわ、泣いてる!」
「ずまん……年をどると涙もろぐでのぅ……」
隣を見ると、ブラウジがどばどば涙を流し、髭をびしょびしょに濡らしていた。
みっともなくて見てられなかったので、懐から手巾をだして渡してやった。
「ほれ、手巾」
「ずまん……ズビー!!」
ブラウジは手巾を受けとると涙を拭き、鼻をかんだ。
鼻までかむなっつーの。
歌はちょうど間奏に入ったところだ。
ミカエリスの背後で演奏している管弦楽団が弦をかき鳴らし、哀愁ただよう切なげな調べを奏でている。
「なんと……なんとすばらしき歌い手なのじゃ。
こんなに心をつかまれ、揺さぶられるとは。
ワシはすっかり、あの歌姫に魅了されてしまったワイ……」
「ああ。噂には聞いていたが、恐れいった。
心に染みいるよ。だが……」
俺は再び、舞台に立つミカエリスのほうへと視線を向けた。
「どうしてあんなに、悲しそうなんだろうな」
単純に、そういう趣の歌だからなのかもしれない。彼女が心から歌を愛していることも伝わってくる。
でも、俺には彼女がとてつもない悲しみを抱えているようにしか見えなかった。
悲痛すぎて、見ているこちらの心が張りさけそうになるほどに。
そういう風に見えるのも、彼女の技術がなせる業なのかもしれないが……。
その後も数曲、ミカエリスはその見事すぎる歌声で、歌いあげた。
いずれの楽曲も『陽光の歌姫』の名に恥じぬすばらしさで、なかには明るい曲調の歌もあったが、ついぞ彼女の笑顔を見ることはできなかった。
ミカエリスが退場したあとも、会場は鳴りやまない拍手に包まれていた。
隣を見ると、ブラウジが余韻にひたって呆然としたまま突っ立っている。
心がもぬけの空になって使いものにならないので、俺はブラウジを街の入り口まで連れていくこととした。
ブラウジを彼の龍に乗せ、エミントス側に設営した騎士団の宿営地にまで連れて帰るように指示し、見送った。
まったく。世話のかかるジイさんだ。
※柑子色とは、蜜柑色をややうすくしたような明るい黄赤色のこと。
『明るいオレンジ色』の認識でよいと思われます。
次回投稿は2023/2/4の19時に予約投稿の予定です。何とぞよろしくお願いいたします。




