猫とチョコレート
なぁ人間。
オレが子供に化けたいって聞いて、猫又が自力でヒトに化けられねえのかと思っただろ? それとも尾っぽの短さで察したかい。
化け猫にも色々あるが、俺は二十年生きると尾が裂けて人に化けれるようになる一族だ。
そうなる前でも普通の猫より頭は回るんだが、野良猫してるヤツが大半で、二十になる前に死ぬ方がずっと多い。俺は久しぶりに「尾が裂ける」ってんで地元じゃそこそこ注目の的だった。一目置かれて、調子にも乗ってた。
けど、あと少しってとこで。
……まぁ、人間にも猫にも、タチの悪いヤツはいる。
切られた傷から腐り出した尾っぽは、二又に裂けた時に半ばで千切れて落っこちた。
そのせいかね、俺は猫又になってもこんなガキみたいな声が出るだけで、姿を変える「どろん」はできなかった。
オマケにこの声、大抵の人間サマには聞こえないんだぜ? 猫又が猫の顔で喋ってる時は、ただの幻聴みたいなもんだからな。「猫は喋らない」と思ってる人間のお固いアタマには響きやしねぇ。
いやぁ、荒れたぜ。
野良猫仲間には笑われるか、気味悪がられるかばっかりだ。俺はずっと不機嫌だった。誰彼かまわず喧嘩吹っかけて、縄張り荒らして。人間で言うところの不良ってヤツさ。毎日毎日、耳をそり返らせながら歩いてて。
あの婆さんを見つけたのはそんな時だった。
塀の上から覗いた部屋ん中で、そいつはテーブルに手を這わせてた。その指が菓子の籠にぶつかった時、ああ、眼が見えてねぇんだなって気付いたよ。で、オレは思いついた。
『盲目の婆さんなら、オレでも化かせるんじゃねぇか?』
ってな。
オレはさっそく婆さんに声をかけた。
別におどかすような台詞じゃねぇぜ? 通りがかった近所のガキですって調子で「コンニチワ」ってだけ。婆さんは驚いた後、なーんも疑わないで「こんにちは」って返してきたよ。
最初は、それだけだ。
それだけなんだが、オレとしちゃあ、思いつきが見事にハマったもんだから、そりゃあ気分が良かったぜ。ちゃんと人間を化かしてやったと思ったら、変な話、まともに化けられる猫又連中よりもオレの方がよくできた化け猫だって気もしたよ。
こういう感覚はクセになっちまうもんでな。
オレは、尾っぽや声をバカにされるたび、婆さんのところへ行くようになった。
それで。
あぁ、そうだ。チョコレートだ。
婆さんの菓子籠に入ってたのは色んなチョコだった。チョコレートが好きなのかって聞いたら「あなたも好き?」とか聞いてくるんだよ。好きだって答えられたらオレに分けてくれる気満々な言い方でさ。
――好きなわけない。
たとえ人間の身体に化けられなくても、俺はただの猫よりアタマが回るんだ。自分の舌が人間の舌と違うのを知ってる。人間に食える色んなものがオレには食えないのも知ってる。
けどオレは、元気に「うん」って答えた。
だって人間の子供はチョコが好きなんだろ。
だから、嘘ついた。
婆さんがえっちらおっちら立ち上がるより先に、窓から部屋に上がり込んで、籠に鼻先をつっこんだ。口に一個だけ咥えた食えもしないチョコは、初めて狩ったスズメよりも嬉しかったぜ。
それからは毎回おみやげにチョコ貰ってさ。
オレの寝床に積まれてく色んなチョコの包みが、キラキラして。
ははははは。
サァ、こっからが大事なトコだぜ、兄ちゃんたち。
三日前のことだよ。婆さんが居ないもんだから、俺は塀の上で退屈に丸まってた。そしたら手伝いのヤツらが来てな。
あいつら、なんて言ってたと思う?
『子供にチョコをあげるんだって話してたけど』
『誰もそんな子供、見てないのよ』
『ボケが進んじゃってたのかもね。それとも――』
『――そんな嘘を吐くほど、寂しくて、かしら』
* * *
「そういうわけで」
猫さんは幼い声で話を締めくくります。
「オレはチョコが大好きな人間のガキに化けて、今度こそ正面から堂々と婆さんを訪ねてやりたいのさ。『おばあちゃんにチョコをもらってたのはボクです!』ってな」
「ご婦人の名誉のためにか」
「はん、野良猫がそんな殊勝なモンかよ」
夜蓋さんの問いを、猫さんは黒い鼻先で笑い飛ばしました。
「オレはただ、オレが化かしてやってたのを、婆さんがボケてただけだって思われてるのが気に入らねぇだけさ。獲物を横から掻っ攫われたみてぇでな」
とても言い訳くさかったです。
指摘はしません。それくらいのデリカシーはあります。
「で、どうだい、化生屋さん。しょうもない悪戯猫のお願いを聞いてくれるかい?」
「対価に、毛皮の黒色すべてと、舌を先から五ミリほど」
お客様の言葉に、化生屋さんは代償を示すことで答えました。
「なんだ、それだけかよ? 脚の一本でも取られるかと思ったら、ずいぶん良心的じゃねぇか」
「声は今よりつたなくなるだろう」
「別にいいぜ。それで頼む」
「では残る問題についてだが」
「んぁ!? まだあんのかよ!?」
声を上げた猫さんに、夜蓋さんは冷静に「ある」と返します。
「保護者はいないのか」
「……話、聞いてたよな? オレ、声はこんなでも大人だぞ?」
「訂正しよう。『保護者役』だ。十にも満たぬ子供が一人で訪ねて来たのでは、親や学校へ連絡せねばと思う者も多い。引き止められているうちに人前で変化が解けでもすれば、子供が訪ねてきたという記憶も消えかねない。それでは水の泡だ」
「うぁ、人間ってのは過保護だな。ならアンタが俺の親のフリしてくれよ」
呆れたように言った猫さんは、たぶん夜蓋さんが保護者役を了承すると思っているのでしょう。
しかし、彼は「生憎と」と答えます。
「私は、嘘がとても苦手だ」
「おいおい、化生屋ともあろう御方が嘘も吐けないってか? 声でも裏返っちまうのかい?」
「骨が砕ける」
猫さんが口を半開きにして硬直します。
ええ、お気持ちは分かりますよ。
嘘が苦手なタイプでしょうと訊ねて、この答えを聞いた時は、さすがの僕も唖然としたものです。
「マジか?」
猫さんは思わずというように呟きました。
疑いというよりは驚きによる言葉でしたが、夜蓋さんは、律儀に答えます。
「いや、嘘だ」
その瞬間、硝子の砕け散るような音が響きました。
すべての背骨と肋骨が木っ端微塵に粉砕されて、あたりの床に散らばります。支えをなくした夜蓋さんの上半身がテーブルの上に崩れ落ちました。人間の形であるその背さえ、どこかぐんにゃりとしています。
……嘘である、という、嘘をついた結果が、これ。
「何やってるんですか!?」
僕は無意味に手をあわあわとさせながら叫びました。脊椎損傷した怪我人を無闇に揺さぶってはいけないと聞きます。もう怪我だか何だか分からない粉骨ぶりですけれども。
夜蓋さんはテーブルに突っ伏したまま喋ります。
「百聞は一見に如かず、という。どうせなら、私の助手に一度見せておくのも、良いかと思ってな」
「リスクを考慮して百聞を選ぶべき場面もあるでしょうに……!」
「見た目ほど大したリスクではないよ。すぐ治る」
その言葉どおり、散らばった骨は磁石で引き寄せられたように瞬く間に集まり、癒合していきました。十秒後には夜蓋さんはテーブルに手を付いて顔を上げ、三十秒後にはいつもどおり背骨を立てて身を起こしました。直らなかったのは乱れた髪だけで、そこに手櫛が入れられるとすっかり元通りです。
「ご覧のとおりだ。役者には向かない」
お客様に向かって、夜蓋さんはあっけらかんと言いました。
「お、おぅ。そうみたいだな。となると……」
猫さんは、いまいち頼り甲斐がなさそうに僕を見ます。僕は何とか気を持ち直して、お客様に向けて自信ありげに言いました。
「分かりました。お任せください。僕が保護者役をしますよ」
「けどアンタじゃ若すぎるだろ」
「確かに父親役は難しいですが、弟の世話をしている兄役なら務められますから」
「あぁ、そっか。人間なら兄弟でも面倒みるもんな」
よろしく頼むわと言われて、任されましたと応じます。さぁ、これでいよいよお客様を変化させるのですね。と、密かに意気込む僕の肩に夜蓋さんの手が触れて、内緒話をするような距離まで近付かれます。
「どうしました? 初日のバイトに任せるのはご不安ですか?」
「違う。リッカが不快なら、別の伝手も頼れる」
言われた意味がわかりませんでした。数秒考えて、あぁ、と夜蓋さんが何を気に病んだのか理解します。僕は兄弟というものに色々と思うところのある身でした。
「弟役は嫌ですが、兄役であれば」
「……そうか」
ならば任せた、と囁かれた声が、ちょっとくすぐったい。
夜蓋さんはお客様へと向き直り、背骨を曲げて深く一礼をします。
「では、ヒトの子に化ける望み、承った」
そして空の手をテーブルに伏せたかと思えば、その手の影から奇術のように水晶のかけらを取り出して、猫さんの前に置きました。宝石としてのカッティングや研磨はされていない原石で、薄っすら紫がかっています。夜蓋さんの眼と同じ色調でした。
「これを食べれば化けられる」
猫さんが首を伸ばし、水晶のにおいを嗅ぎます。
「色の割にずいぶん美味そうだけど、なんだ、これ?」
「私の肉の干物」
「ふーん……。そりゃあまた、結構なもんで」
猫さんは少し警戒したように尾を揺らめかせました。
「どんな味するんだ? けっこう固そうだけど、牙とか欠けねぇよな?」
「味は美味いらしい。牙は問題ない。口に含めばすぐ溶ける」
そう表現すると、なんだかチョコレートに似てますね。
「抵抗感があるなら錠剤や粉薬に加工したものもある。刻んで食事に混ぜてもいいぞ」
「だからガキじゃねぇって言ってんだろ。このまま、いただくよ」
猫さんは覚悟を決めたように意気込んで言って、パクリと夜蓋さんの干し肉に食い付きます。
すると、彼の身体が、融けました。
まさに一瞬のことです。黒い毛並みの輪郭が陽炎のように揺らぎ、膨らみ、その波が鎮まった時には猫は小さな男の子になっていました。ソファに呆然と腰かけた彼は、ちゃんと服も着ています。動きやすそうなウィンドブレーカーとスニーカーが、この寒い季節にも日焼けした顔に似合っていて、やんちゃそうな雰囲気が良く出ていました。
「おぉ、おおー……?」
化け猫さんは感嘆の声を漏らします。唇は人間の喋り方で動きましたし、声帯を震わすための息遣いもありました。
なのにその声は、猫の時とまったく同じです。
それがかえって不思議なのか、彼は口元や喉に触り「あいうえお」と発声を確かめます。
「ん、んん? これ、大丈夫なんだよな?」
「問題ない。元通り話せている」
「なら、まぁ、こんなもんか」
及第点らしき評価に、夜蓋さんは静々と一礼を返しました。




