「春夏秋冬」「惑星」「電気信号」
『運び屋』さんが化生屋へ一枚の葉を送り届けてくださったのは、二月の終わりのことでした。
それは、ツツジの葉を少し大きくして、艶を足したような葉っぱでした。
「リッカ。水盆の用意を頼む」
ご指示のとおり僕は、薄い鉢に水を満たし、テーブルに乗せます。
夜蓋さんがそこへ葉っぱを浮かべると、鉢を挟んで向こう側の席に、ひとりの女性の姿が浮かび上がりました。
「突然の訪問、失礼いたします……」
おっとりと話す彼女は白地の着物姿で、黒髪を華やかに結い上げています。帯には、やはりツツジに似た白い花が刺繍されていました。
「石楠花の精でいらっしゃるか」
夜蓋さんの言葉に彼女は頷き、「純子ともうします」と名乗りました。
「こちらのお店では、対価として自らの一部を差し出せば、望んだとおりの身体をお与えくださると聞きました」
「あぁ。相違ない」
「では、熱に耐えうる身をいただくことは、可能でございましょうか?」
石楠花は本来、涼しい山の花で、猛暑には弱いのだそうです。
夜蓋さんはいつもどおり背筋を伸ばしながら応じます。
「可能ではある。なぜ熱に耐えうるあなたを望むのか、動機をお聞きしても?」
黒猫さんに向けたのと同じ質問です。
ただし純子さんには猫のように捻くれた様子はなく、素直に語り出しました。
「主人が遠くへ行ってしまいましたの」
一瞬、僕と夜蓋さんが、お悔やみの空気を醸し出します。ですが、それが慰めの言葉となって発される前に、純子さんが「あ、いえ」と手のひらを振りました。
「長期出張ですわ。ブエノスアイレスへ」
僕は脱力します。
「それはまた、たしかに、随分と遠方でいらっしゃいますね。お仕事ですか?」
「はい。身内自慢でお恥ずかしいですが、私のようなモノを妻に迎えるくらいですから、それはもう肝の据わった、仕事のできる良い男なんですの」
それは自慢というか惚気でしたが、はっきりとした語り口に鬱陶しさは無く、芯の通った愛情を感じるのみです。
夜蓋さんが「なるほど」と相槌を打ちます。
「南半球のブエノスアイレスなら、今頃は、まだ残暑の厳しい季節だな」
「えぇ。三日後が夫の誕生日ですから、せめて顔を見せて祝いたいのですが……。『運び屋』様にも、この季節の渡航はオススメできないと、渋られてしまいまして」
それで化生屋様を頼りましたの、と純子さんは話を結びました。
彼女の事情に疑義は無いように思います。
夜蓋さんは次に『対価』を提示するでしょう。
――と、僕は考えていました。
ですが実際に彼が口にしたのは、
「やめておくべきだな」
という、お断りの文句でした。
「だめ、ですか」
純子さんが、悲し気に睫毛を伏せます。
「私には払いきれぬほどの対価でございましょうか」
「対価もそれなりに高くつくが、仮に葉を一枚もらうだけで済む話でも、その動機なら同じように断ったよ」
「どうして?」
「私は対価を喰うからだ」
まぁ、と、石楠花のちいさな口がそれなりに驚いた声を出します。
「こんな体とはいえ、今の私は男。たとえ一口ぶんだろうと、自分の誕生日のために妻が別の男に『喰われて』、喜ぶ夫もおるまいよ」
「それは……、おっしゃるとおりです」
純子さんは納得しながらも、肩を落としました。
「ではカメラに映るようにしてもらうだけ、というのも、ダメですね。偶には私の声だけでなく、表情も届けたかったのですけれど」
彼女はそう呟きます。
つまり、声は届けることができている、ということです。おそらくは電話で。
「もしかして、ビデオチャットしても、姿が映らないのですか?」
「映らない、というわけでもないのですが……。撮ってみてもらえば分かりますわ」
僕は「失礼いたします」と言ってから、彼女にスマホのカメラを向けました。
画面には着物姿の女性が映ります。
ただし、その顔は、びっしりと白いシャクナゲの花に覆われていました。
これは確かに……、映したところで表情が読み取れません。
夜蓋さんも、僕の横からその画面をのぞき込みました。
「……先程の話しぶりからすると、ご夫君はあなたの正体をご存じか」
「えぇ。昔から霊感のある人でしたの」
「であればビデオ通話をするといい」
彼の言葉に、純子さんが少し眉をひそめます。
「顔が映らないのでは意味がないではありませんか」
「意味はある。今はあなたの開花時期ではないから、このように瑞々しい花を見れば夫君はおどろき、喜ぶだろう。人が人の顔ばかりを尊ぶわけではないよ」
純子さんが、ぱちくりと目を瞬かせました。
その仕草は、何か特別で、大切なものを見つけた人の様子でした。
数秒して、彼女は僕へと顔を向け、訊ねます。
「あなた、ご店主さんの尾はお好き?」
えぇ、はい、もちろん。
そう答えるのは簡単ですが、僕もまた数秒考えてから、言葉を紡いでみました。
「夜蓋さんは小波みたいな『足音』をしているんですよ」
気持ちはきちんと伝わったのでしょう。
春の花の精は、温かそうに微笑んでくれました。




