「ハプニング」「まだら」「微分積分」
(お先に本編「序」をお読みください)
『ある女子と夜蓋さんが出会わなかった話。』
夕立といえば激しいものと決まっているけど、それにしたって、あまりに容赦ない豪雨だった。
土曜日の予備校帰り。図書館近くでバスを降りた途端に、ザァッと来た。私はさいわい折り畳み傘を持っていたけれど、その油断が良くなかったらしい。
バッグの中が濡れている、と気づいたのは図書館のエントランスに入った時だった。確認したら折り畳み傘の一部が破れていた。そこから垂れた雫が、大きめのバッグの口から、ダイレクトインしていたようだ。
最悪、と呟きつつ、ハンドタオルで中をざっと拭い、荷物の状態を確認した。
数学は青いノートと決めている。
その表紙が、水濡れでまだらに色を濃くしていた。
「あぁぁ……」
水気に貼り付く用紙をめくる。幸いシャープペン派だった私の字は滲んでいない。けど、湿ったノートで存分に自習するのも、難儀だろう。ただでさえ微積分は苦手なのに。
げんなりと溜め息を吐く。
と、そこに、白い手が差し出された。
「良ければ乾かそう」
妙に掠れた声をかけられる。司書さんか何かが助けてくれるらしい。
ありがとうございます、と答えて顔を上げた私は、あやうく悲鳴を上げそうになった。
どんなモデルさんにも例えようのない、きれいな顔がそこにある。
真っ白い髪をした、背の高い、おとこのひと。
この図書館で偶に見かける、前から気になっていたひとだった。
……いや、別に、彼氏にしたいとかそんなんじゃない。本当にだ。
こんなきれいな人の恋人になるとか心臓も自尊心ももたないし。
ただ、一度だけでもお話できたらなぁ、なんて。夢見るような憧れを抱いていたのも本当のことで。
そんな男の人が、私に手を差し伸べてくれている。
「す、すみません」
呆然としている場合ではなかった。私は恐縮しながらノートを手渡す。
そして、あれ? と思った。
司書さんだったら、図書館の備品が使えるだろう。本の修理も仕事だというから、きっと水濡れに対応するために、ドライヤーなんかもあるんだろう。
でも、わたしの知る限り、このひとは利用者であって司書さんではない。
ノートを乾かすって、どうやって?
不思議がった私の前で、彼は青いノートにふっと息を吹きかけた。
すると。うそ、すごい、なにこれ!
ノートを濡らしていた水気が、次々と小さな魚になって宙に舞い出して――
雨が、ザァザァ降っている。
――私は幸運にも、夕立の始まる数秒前に図書館に入ることができた。
念のため確認したノートも無事だった。湿気のためか少しだけ波打っているような気もするけど。まぁ、書き込むのに問題はない程度だ。
私は自習スペースへ向かって歩き出す。ちょっと憧れている人とすれ違って、ラッキー、なんて思ったりして。
ふと、足が止まる。
なんで止まったのかは分からない。
新刊の棚には、魚の絵本が置いてあった。




