「雪の朝」「さいころ」「描く」
本編の世界観で三題噺をぽつぽつ載せています。
――そして、後日お礼にいらした彼女は、左手を無くしていました。
* * *
六月だというのに、その朝、店のドアを開けると、ちらちらと雪が舞い込んできました。
ここは『化生屋』。あやかしたちに、かりそめの身体を貸し与える店です。
ドアの前で開店を待っていたのは一人の女性でした。
肌は白く、膝まである黒髪は艷やかで、唇の紅いひとでした。白いワンピースには氷の結晶を模した刺繍がされています。厚手の日傘を差していて、その傘の骨にはうっすら霜が付いていました。
「いらっしゃいませ。……雪女さんでしょうか?」
「えぇ」
お邪魔いたします、と、彼女は楚々とした仕草で傘を閉じました。
冷房を最大出力にして、僕と、店主である夜蓋さんはお客様の話を聞きます。彼女は雪乃と名乗りました。
いつ、何のために、どんな身体が欲しいのかと問われて、雪乃さんは答えます。
「八月✗✗日に、溶けない身体がほしいのです。……夏コミに行くために」
おや。またですか。
話には聞いていましたが、この時期、ほんとに多いのですねぇ。コミケ参加希望のお客様。なんでも出店(ではなく「サークル参加」が正しいらしいですが)の当落が出るタイミングだとか。
夜蓋さんは、いつも通り落ち着いた声で、動機を深堀すべく尋ねました。
「差し支えなければ教えてほしい。一般参加か? サークル参加か?」
「一般で」
「目当てのものは?」
「ボードゲームと、TRPGのシナリオブックです」
僕は寡聞にしてTRPGを知らなかったので、雪乃さんと夜蓋さんに説明してもらいました。架空のキャラクターを演じ、運命をダイスに託してシナリオに立ち向かう。簡単に言えば、高度なごっこ遊びのようです。夜蓋さんは何度か遊んだ経験もあるとのことでした。
「私たち、真夏になったら電波も入らないような山奥に避暑するものですから、アナログな暇つぶしには目がなくって」
「代行や通販のアテは無い、ということで良いか」
「えぇ。それに、できたら直接お会いしたい方が、何人かいらっしゃるの。最近は夏がどんどん長くなっているでしょう? 去年も本当に楽しませていただきました。そのお礼と応援をお伝えしたいのです。冬コミでは会えなかったもので」
承知した、と、夜蓋さんは頷きます。
「溶けない身体を与えよう。ただ……、あいにく、その時期は先約がある。付き添いはできないと思う」
「構いませんわ」
「水分補給と休息は忘れない。体調不良があれば絶対に無理をしない。約束できるか?」
「もちろん。合言葉は『いのちだいじに』、です」
雪乃さんは白い手を、胸の前でぐっと握って見せました。
* * *
そうして、二ヶ月と少し後。
「ごめんください」
夏の夜。お礼に寄りました、と言ってドアを肩で押し開けた雪乃さんは、右手に大きな袋を持っていました。
そして、左手は、無くなっていました。
「その手どうなさったんですか」
「溶けたのか」
僕と夜蓋さんが狼狽して口々に言うと、雪乃さんはにっこりと笑みました。
「そんな顔をなさらないで。化生屋さまのお仕事ぶりに間違いがあったわけではありません。自分の意志で、左手だけ雪女に戻したんですのよ」
「何故」
「隣にいたお嬢さんが、熱にやられて倒れてしまったものだから」
雪乃さんは手を無くした腕を軽く振って見せます。
「大丈夫。冬になって雪を食べれば、ちゃんと元に戻りますわ。ダイスを振るのは片手で十分ですしね。それより、リッカさんに受け取ってほしいものがありますの」
袋をテーブルに置き、残った右手が中を探ります。取り出されたのは一冊の薄い本でした。
「どうぞ、お土産です。……布教、とも申しますけれど」
本の表紙には『クトゥルフ神話TRPGシナリオ 白い絵』と書かれています。
「もし、わたくしに人助けのご褒美をくださるなら、ぜひプレイしてくださいな」
ウィンクするあやかしさんから、僕はその本をありがたく受け取りました。




