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聞き込みと乙女心


* * *


「講堂の桜さん? いいえ、特に見かけていませんね」

 正面広場にたたずむクスノキの精は、風に葉を揺らしてそよそよと言いました。


「んーむゥ。良い門出の日だったとしか覚えとらんなぁ」

 中庭の池に棲む巨大な錦鯉さんは、水面に顔を出してぱくぱくと言いました。


「私は引き籠ってたの。記念写真を心霊写真にしてやるほど悪い子はいなかったから」

 トイレではなく校門に腰掛けていた自称花子さんはクスクスと言いました。



 雷令さんから渡された『校内あやかしリスト』を手に、僕は胸中でぼやきます。

 多い。


「歴史のある学校って、こんなにあやかしさんが沢山いるものなんですか。もう七不思議の七倍ですよ?」


 パソコンで作ったらしいリストはご丁寧にナンバリングまでされています。僕は夜蓋さんに愚痴に近いことを訊ねながら、開いたページの最終行にチェックを入れました。

 さすがに数時間でこの量の聞き込みを終えたわけではなく、大半は雷令さんが聞き込み済だったり、日中には現れないため対象外としてスキップしたのですが、それにしたって多いこと。ちなみに総数は七十四でした。


「リッカの学校はそうでもなかったか? 高校はともかく、小中では」

「あぁ……。由希があやかしさんのことあまり好きじゃなくて、追い出しちゃってたみたいなんですよね」

「そうか。まぁ、ここは中高一貫校でもあるし、こんなものだろう。学校は毎年何百という子供が清濁様々な想いを抱いては残していく場所だ。外界と隔てられた城にして籠。身近でありながら一度(ひとたび)卒業すれば帰り来れぬ特異性。絵や彫刻が比較的早々に付喪神となるのも、学び舎ならではだな」

「なら、うちの高校にもあと何十年かで付喪さんが生まれるかもしれませんね。登校日は少ないですが、玄関ホールのブロンズ像とか、遅い時間に見るとちょっと怖いと評判で……」


 話しながら、僕はリストに添付された校内図で移動ルートを確かめます。

 現在僕らが居るのが理科室や美術室がある特別教室棟の正面入り口前。隣に建っているのが高等部一年から三年までの教室(ホームルーム)がある本校舎。まずは屋外から片付ける予定で回っているので、次に向かうなら本校舎の裏庭でしょうか。


「ん?」


 と、僕はあることに気付き、リストを再びめくります。各ページを上から下へ読んでいき、下から上へもう一度。

 やっぱり、ない。


「どうした?」

「ブロンズ像さんがリストにないんです。セーラー服でお祈りポーズの。今日ここに来た時、動いて話してたと思うんですが。僕の幻覚でしたか?」

「あの声なら私も聞いた」


 幻覚の可能性は低そうでした。


* * *


「あら、あら。あなた、私がお分かりになるのですね。見かけたことのないお顔ですけれど、今春に入学される予定のお嬢さんかしら。そちらはお家の守り神さま? はじめまして、お会いできて嬉しいわ」


 作られた年代による影響か、ブロンズ像さんのお嬢さま口調は少し古めかしいものでした。

 喋って動く彼女は、どこからどう見てもあやかし(付喪神)です。どうしてリストになかったのか。用務員として校内を把握しているはずの雷令さんが、こんな目立つお嬢さんを見逃したのでしょうか? 不思議に思いつつ、この場で熟考する必要もないかと、僕は桜さんのことを尋ねました。

 ブロンズ像さんは痛ましげに「まぁ……」と口元を覆って。


「特に思い当たることは、ありませんの。お力になれず申し訳ありません」

「そうですか。いえ、お話ありがとうございました」

「こちらこそ、我が校の(ともがら)のために、ありがたく存じますわ。桜さんが元に戻れるよう、私も祈らせていただきます」


 彼女は両手を組んで目を伏せた姿に戻ります。

 その姿で思い出しましたが、このブロンズ像さんには別件があったのでした。夜蓋さんも気にかけていたようで、優しく問いかけます。


「良ければ、先ほど若い女性に伝えようとしていたことを聞こう」


 ブロンズ像さんが伏せた目を再び開けました。


「見ていらっしゃったの? では、お言葉に甘えさせていただこうかしら。あちらの植え込みの影に卒業生の落とし物があるはずなので、拾っていただけませんか。風でずいぶん転がっていってしまったものだから、あの子は見つけられなくて」


 彼女が指差した方にはツツジの花壇がありました。近づいてその根本を覗き込もうとすると、スカート姿の僕を制して夜蓋さんが身を屈めます。彼は茂みの下へ手を伸ばして、何かを掴みました。

 僕達はブロンズ像さんのところへ戻り、ハンカチで土汚れを拭った落とし物を見せます。


「あぁ、口紅だったのね」


 ブロンズ像さんが呟いたとおり、それは口紅のようでした。

 円柱型のケースは乳白色で、化粧品としては素朴なデザインに思えます。シンプルな書体で刻まれたブランド名の横には『ORGANIC(オーガニック)』の文字。生徒さんの持ち物であることを考えると、ちょっと高級なリップクリームという線もありそうです。


「中身が汚れていないと良いが」


 と、夜蓋さんはキャップを外しました。

 目に飛び込んできたのは、真紅です。

 予想外に深くも鮮やかな色に、僕は少しばかり驚いてしまいました。『お嬢様学校』や『オーガニック製品』という要素から勝手に抱いたイメージとは全く異なる、艶やかな赤です。口紅の先端はほとんど削れておらず、卒業記念に新調した物かもしれません。

 夜蓋さんは口紅を繰り出して状態を確認すると、逆回しにして引っ込め、キャップを被せます。


「汚損はないようだ」

「あぁ、良かった。あの子、式の後にずいぶん浮足立った様子でお化粧をしていて、ポーチをひっくり返してしまったんですよ」

「こんなところでメイクですか? あ、先生から隠れて?」

「ふふ。お化粧品の持ち込みはたしかに禁止ですけれど、先生方も卒業式の後くらいはお目零(めこぼ)しくださるものですよ。でも、こっそりとしたかったのでしょうね。その口紅、ずいぶんと大人びた色ですもの。お化粧慣れしてない子にはすこし勇気が要りそうですわ」


 乙女心というやつでしょうか。ブロンズ像さんはいかにも微笑まし気に目元と口元を和らげています。

 夜蓋さんは口紅を上着のポケットへ丁重に仕舞いました。


「持ち主はもう帰ってしまったか?」

「ええ、そのようです」

「なら、これは金髪の用務員に届けておこう」

「……用務員さん?」


 夜蓋さんの言葉に、ブロンズ像さんの眼がきょときょとと焦ったように瞬きをします。


「それは、雷令さんのこと? お二人は雷令さんのお知り合い?」

「ああ」

「やだ、どうしましょう」


 彼女は慌てた様子で両頬に手を当てました。銅製でなければ頬を赤く染めているのが想像に難くないリアクションです。


「ねえ、雷令さんは私のこと――私が付喪になっていること、ご存じでしたの?」

「いえ。むしろご存じない様子ですよ。雷令さんから頂いたリストに載ってませんから」


 僕は手に持った『校内あやかしリスト』をタイトルが分かるようにして掲げます。全部のページを捲って見せることはしませんでしたが、彼女は僕の言葉を信用したようで、ほっと息を吐く所作をしました。


「でしたら、お二人とも。私が化けていること、彼には黙っていてくださいませんか?」

「分かった」


 夜蓋さんが非常にすんなりと同意しました。


「え。あ、ありがとうございます?」


 ブロンズ像さんは拍子抜けした顔をして、語尾の発音を迷子にさせてしまいます。それは、そうなりますよねぇ。時に物分かりが良すぎる店主に代わって、ここは僕が訊いておきましょう。


「雷令さんのことお嫌いなんですか?」

「……いえ。いいえ。まさかそんな。雷令さんはとても良くしてくださったもの。でも本当に良くしてくださったから……。あなたは、ブロンズ像の手入れの仕方をご存じ?」


 僕は知りませんけれど、夜蓋さんは知っていました。


「半年から一年に一度の頻度で、水洗いの後によく拭い、十分乾燥させてからワックスを塗り、乾拭きで磨く」


 僕はあらためてブロンズ像さんを見ました。

 よく手入れされた像です。雨だれの跡や鳥の糞害による汚れはなく、服の皺がリアルに表現されているスカーフも、結び目の奥までしっかり掃除が行き届いて、苔や砂埃の堆積はありませんでした。

 なお当然ですがスカーフの結び目は胸元にあります。


「銅像の身ですから、いやらしいこととは感じませんけれど。自分をすみずみまで拭ってくださった方が相手となりますと、ね? どうか恥じらいをご理解くださいまし」


 これもまた乙女心でしょう。僕は澄ました声で「承知しました」と答えました。



* * *



「……まあ狐は探し物とか探し人は得意だし、持ち主に返すくらいは楽勝だけど」


 僕達が『偶然見つけた』落とし物を手に、雷令さんが呟きます。

 ブロンズ像さんと別れてから約一時間後。

 更に数人への聞き込みを終えた僕と夜蓋さんは、講堂前で雷令さんと落ち合いました。お互いに情報交換をしましたが、僕達も雷令さんも、有力な証言は得られていません。

 ですから、もしかすると、この落とし物こそが最大の手掛かりかもしれませんでした。

 口紅の中身を確認した雷令さんがぽつりと言います。


「似てるね」

「そうだな」


 夜蓋さんが短く同意しました。何の話かは分かりきっています。僕が一目見て驚いた口紅の色は、桜を汚した赤色と、とてもよく似ていましたから。


「講堂に行って見比べてみますか?」


 僕の提案に、夜蓋さんは首を横へと振りました。


「この口紅が原因なら、今の彼女に近付けるのは避けたい。呪いがどう作用するかわからない」


 血液の立てるごぼりと濁った水音が耳の奥によみがえります。僕はそうですねと頷きました。けれど、この口紅と桜さんの赤色が一致するか否かが、判断しておきたい重要なポイントであることも事実でしょう。

 僕は雷令さんへと手を差し出します。


「それ、ちょっとお借りしても良いですか?」

「ん? 何か気になった?」


 言いながら雷令さんは口紅を渡してくれました。受け取った僕はそのキャップを外し、口紅を自分の手へ塗ろうと――


「リッカ」


 ――塗ろうとしたところで、夜蓋さんに手首を掴んで止められました。更に雷令さんが「こらこら」と言いながら僕から口紅とそのキャップを取り上げます。


「なにやってんのリッカくん」

「色と質感を確かめようかと思ったんですが。芯のままよりも、塗った方が分かりやすいので」


 僕は夜蓋さんがすぐに放してくれた手首を、別に痛くも痒くもありませんが、さすりながら答えました。


「いやダメだって。これ持ち主に返すんでしょ? 口に触れるもんなんだからさ」

「あ。僕の手を消毒してからが良いですかね? 夜蓋さん、何か持ってます?」

「除菌ウェットティッシュならあるが」

「そういう問題じゃなくて」


 口紅のキャップをしっかり閉じて、雷令さんが言います。


「どっかのお嬢さんとリッカくんの手が関節チューになっちゃうでしょーが」

「ちゅう」

「そうだよ。チュー。キス。接吻」


 雷令さんは自分の唇をトントンと指で叩いてみせました。


「唇同士でなくてもダメだから」


 またまた乙女心の問題でした。

 ……いや、別に乙女に限った話ではありませんか。年齢性別とは無関係に、皮膚に触れるものを他人と共有するのを生理的に受け付けない人は多いはずです。これは、呑気な性質(たち)が過ぎましたね。

 僕は叱られた犬のようにしゅんと肩を落とします。


「ごめんなさい」

「わかればよろしい」


 雷令さんは項垂(うなだ)れた僕の頭を、撫でるとも叩くとも言える手付きでポスポスとやりました。荒っぽい励ましをありがたく頂戴し、僕は乱された前髪をそのままに言います。


「じゃあ、えっと。新品買ってきます? どこで売ってるか調べてみましょうか」


 ブランド名が刻印されているので、ネットで調べれば取扱店はすぐ分かるでしょう。僕の提案に、夜蓋さんは、ごく当然そうに雷令さんに訊きました。

「簡単に手に入るか?」


「いや、そこらの薬局(ドラスト)や百貨店じゃ売ってないっす。それ確か限定品なんで」


 雷令さんはスラスラと答えます。


「化粧品にお詳しいんですか? あぁ、お姉様のご影響で?」

「あー、うん、まァね。姉貴の店の手伝いさせられるからってのもあるんだけど」


 雷令さんはすさまじく嫌そうに顔をしかめます。苦々しさのあまり犬歯が出てしまうくらいでした。


「あの女、毎シーズンに新作コスメ買いまくって試すの。それに付き合わされんのよ」

「荷物持ちですか」

「いーや。使用感を見るのに塗って落とすの繰り返したら肌に悪いからって、弟の顔を使いやがる」

「それは……、ご苦労様で?」

「マジでね! ってワケで今から姉貴のとこに口紅借りに行ってくるけど、どうせまたイジメられるから、帰ってきたら労わって!」


 吠えるように言った雷令さんの姿が炎に包まれます。人の姿は瞬く間に溶け消えて、尾が五本ある狐のかたちとなった火の塊が、流れ星のように飛び去っていきました。


「なんというか、大丈夫なんでしょうか?」

「気にすることはない。あれはあれで仲がいい姉弟だ。じゃれ合い半分、女狐の面目を保つための『ムーブ』半分だろう」

「お約束的に手玉に取られてあげてると」

「どうも人の想像から生まれたあやかしというのは、人のイメージ通りの、ステレオタイプな行動を好みがちでな」


 夜蓋さんは言葉を切ると、僕の手首へ視線を落としました。


「掴んですまない。痛んだか?」

「え? ああ、いえ別に。叱られるのも嬉しいなと噛み締めてただけです」


 無事を示してぷらぷらと手首を振ってみせます。夜蓋さんは何とも言い難そうに数秒沈黙してから、それでもやっぱり「そうか」の一言で受け止めてくれました。



 仲良し狐姉弟の間でどのような交渉が成されたのか、三十分後にすっかりげんなりとして戻ってきた雷令さんは、口紅をひと塗りした懐紙を持ち帰ってくれました。

 彼には自販機で買い求めた豆乳ドリンクを献上して休んでもらい、僕と夜蓋さんが講堂へ入って、桜さんの花弁を染めたものと口紅の色を比べます。


 結論は『同じもので間違いない』。


 色と質感はそっくりでしたし、何より、呪いに呼応して懐紙に血が滲み出したのです。落とし物の口紅を直接持ち込まなかった夜蓋さんの判断は、正解でした。大事な卒業生の持ち物がこんな風に穢れてしまったら、桜さんも気に病んだことでしょう。なお、血臭を放つ懐紙は雷令さんの手で跡形もなく焼却処分されました。

 原因が分かれば、どのあやかしに何を頼めば良いかは明白です。

 それに、桜さんが誰にも助けを求めなかった理由も、分かりました。


「リッカ」


 夜蓋さんが僕の肩に触れて言います。


「この後のことを任せたい」


 任されました、と、化生屋の助手は請け負うのでした。



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