48話 町
三章スタート(≧▽≦)
規則正しい車輪の音が、草原の風に溶けていく。
魔道馬車は陽光を受けながら、ゆるやかな丘を越えて進んでいた。
荷台の縁に腰かけた森人の少女が、目を輝かせて外を見つめる。
「フローシープだ! 可愛い~!」
声の主はイナ。
彼女は森の奥の村から旅立ったばかりの少女で、村にやってきた人間の旅人――フォルナに半ば勢いでついてきた、筋金入りの衝動型である。
その背後では、フォルナが外の様子を見張りつつも、同じように風景を楽しんでいた。
反対に、魔族のトゥラは壁にもたれて目を閉じ、ゆるやかな寝息を立てている。
そして鬼人の朱里はというと、『体が鈍ってきた』と言い残して馬車を降り、今は草原を自分の足で駆けている最中だった。
遠くで響く笑い声と足音は、正直、モンスターよりも迫力がある。
しばらくして、イナは外気を胸いっぱいに吸い込み、満足したように荷台の中へ戻った。
その様子を横目で見ながら、フォルナが口を開く。
「行きたい場所があると言っていましたね」
「うん、ザハールだよ! 海に囲まれた島国で、貿易が盛んな国なんだって。種族の垣根を越えて、いろんな文化や魔道具が集まってるらしいんだ~」
「海に囲まれた国、ですか・・・・・・」
フォルナの声には、かすかな興味が混じっていた。
海を見たことのない彼にとって、それは想像の及ばない世界だったが、イナの語る景色には不思議と惹かれるものがあった。
イナはリュック(詰め込みすぎて形がいびつになっている)を引き寄せ、
その中からくしゃくしゃの地図を取り出して床に広げた。
「ちょっと古いけど、主要な道は変わってないはず。今いるのがこの辺り。そこからずっと東北東に進めば目的地だね。でも、いいの? 私の行きたいところを優先しちゃって」
「ええ。俺たちは特に予定を立てていませんでしたし、むしろ目的地ができた方が有難いです」
「最初聞いた時も思ったけど・・・・・・なんというか、とってもスリル満点な旅の仕方だね?」
あまり上手い言葉が思いつかず、イナはどこか誤魔化すような調子でそう返した。
旅に出る前にも、フォルナは似たような説明をしている。
行ったこともない場所の詳細など答えられるはずもなく、彼はそのとき「俺たちは場当たり的な旅をしてきたから、あまり参考になる話はできない」と言葉を濁したうえで、旅の舵を自分の独断で取るのではなく、イナと共に決めていこうと提案したのだった。
当初は「経験者に任せるべき」と身を引いていたイナも、その一言で肩の力が抜けたらしい。
以来、目的地やルートについて、思いつくままに意見を出してはフォルナと話し合うようになった。
なみに、他の二名(トゥラと朱里)は完全にお任せモードである。
「もう少ししたら町が見えてくると思う。あぁ、なんだか緊張してきた~」
「・・・・・・町に着く前に、一つだけ言っておかなければならないことがある」
緊張しているイナに、トゥラが静かに声を掛けた。
「町では、基本的に一人での行動はやめた方がいい。見目の整った少女が一人で歩いていれば、どんな場所であれ、よからぬ考えを浮かべる者が出てくる。移動したいときは、最低でも俺たち三人のうち誰かを同伴させるんだ。・・・・・・想像している以上に、人の欲は深いからな」
少女が一人で出歩けるほど、外の世界は穏やかではない。
不同意での行為、新鮮な臓器の摘出、人攫い――そうした犯罪は、ここブラン王国ではいずれも重罪とされている。
それでも、完全には消えない。
人の心に欲がある限り、必ず影は生まれる。
生活の格差があれば、倫理の線引きも人それぞれで、どれほど厳罰を設けようとも、その根は断ち切れない。
「はい。おじいちゃんからいろいろ聞いています。そういうことも知識としては知っているつもりです。・・・・・・むしろ、皆が離れようとしたら大声で叫んで追いかけますから!」
少し踏み込んだ言葉に驚くでもなく、平静のままイナは言葉を返した。
トゥラが言葉を濁した部分までの生身の部分を、祖父であるユナンがしっかりと伝えていたからだろう。年齢ではフォルナより上ではあるが、わざわざ背伸びして危険な状況を作るつもりははなからなかった。
「分かっているなら構わない。旅の気分に水を差したな」
「いえいえ! 私のことを考えての発言じゃないですか。水を差したなんて思いませんよ」
これからもお願いします!と溌溂とした表情で言うイナ。
(口を閉ざしていた方が楽なはずなんだが、ついつい喋りかけてしまう。・・・・・・まったく、得な性格だな)
かつては、その立場ゆえに一歩引かれ、誰からも壁を置かれることが当たり前だった。
だがイナには、そうした距離感というものがない。
他人の懐に自然と入り込む。いや、境界そのものを無視してしまうような性質を持っていた。
自分に孫がいたら、こんな感じなのかもしれない。
そんな想像をして、トゥラは思わず頬を緩めた。
一度大丈夫だと認めた相手なら、誰に対しても同じように接する姿は、俗世と離れて過ごす者にも、そしてまだ他者との交流に慣れていないフォルナにとっても有難いもの。既に彼女は魔道技師の実力とは別に、旅に同行する者として受け入れられていた。
◇
しばらくして、草原の先に堀と石壁が見えた。
「町だよ町! 早く中見たいな~ 見れないかな~?」
興奮した様子で指さしながら、塀の上から町並みを除こうと背伸びしたりしゃがんだりを繰り返すイナ。倒れそうになったところをフォルナは支えながら、彼もまた緊張気味に小さく息を吐いた。
――久しぶりの人族との会合。
都市を出て、一応森人と出会い言葉を掛け合いはした。
が、あれだけ他者に寄り添えるということが普通ではない事はフォルナも理解している。となれば、今から出会う人間の想定は、以前にフォルナが住んでいた場所にいた人間達となる。
人外じみた師匠を除けば、人間という存在に抱く印象は、あまり良いものではない。
裏路地から見た光景、貧しさと欲、そして、それを隠そうともしない人々の現実。
フォルナは胸の奥で小さく息を整えた。
最低でも、他者を蹴落としてでも欲に縋る者がいる。
それを念頭に置いておかなければならない
初見の魔物に臨むような心境のまま、一団は町の門まで辿り着く。少し前に朱里も足を止め、馬車の中に合流済みだ。
門の前には二人の門番が立っていた。門を通過する前に一度止まるよう声を掛けられる。
「変わった馬車だな。魔道具か」
「力作です!」
イナが胸を張って答えると、門番は目を丸くした。
「お? もしかしてお嬢さんが作ったのか? そりゃあ大したもんだ。にしても、変わったパーティだな」
門番の視線が馬車の中をゆっくりと流れていく。
森人、鬼人、魔族、そして人族。
数十年の職務経験を持つ男にとっても、一目で判断できない面々だった。
定型の手続きを機械的にこなすことなど、到底できそうにない。
「町への目的は?」
「ザハールに向かっているんだが、一度物資の補給をしておこうと思ってな」
「なるほどな。だがザハールか・・・・・・あそこは冒険者向けの土地じゃねえぞ?」
無難に目的を述べるトゥラに対し、荷台に見えるフォルナの大剣を見ながら門番は疑問を口にした。後ろに控えているパンプアップした筋肉男も勘違いの原因の一つだろう。
「私達の目的は旅なのさ。戦闘は二の次だな」
「おっと、そうなのか。なんだかおたくらの佇まいが妙に風格があるもんで、勘違いしちまった」
そろそろ無駄口も止めねえとなと、門番は腰の袋から一つの水晶を取り出した。
「んじゃまあ、取り敢えずこれに触れて貰えるか?」
「なんですこれ?」
「嬢ちゃんは知らないか。これは七、八年ぐらい前に作られた魔道具でな、国から指名手配されている人物の魔力を記録していて、触ったら反応する仕組みになってんだ!」
「凄い! 似たような魔力の波長もあるのに、個人を完璧に特定できるんですか!」
「はっはっは! 仕組みの方は俺もさっぱりわからんけどな!」
イナが興味深そうに水晶を覗き込み、そっと手をかざす。
水晶は沈黙したまま、微かな光も放たない。続くフォルナも同様。
次に手を伸ばしたトゥラの指先が、ほんの僅かに震えた。
内心では焦燥が走っていた。
(まさかこんな魔道具が作られていたとは・・・・・・)
――自分の元の立場を考えれば、もしかすると反応する可能性もある。
かざした掌に魔力を集中し、水晶の構造を探る。
もしわずかでも光れば、その瞬間に構成を書き換える覚悟で神経を研ぎ澄ます。
「・・・・・・問題ないな」
「当然だな」
内心の安堵をおくびにも出さず頷くトゥラ。
そして最後の朱里も、トゥラと似たように一抹の不安を抱える身だった。
とはいえ彼には魔道具の知識はない。
(ま、もしヤバかったら知覚するより早く破壊すっか)
結果として高価な魔道具が壊されることはなかったが、もし彼の脳内をイナが見たらきっとふくれっ面で怒ることは間違いがないだろう。
無事に門での確認を終えた四人は、そのまま門を潜る。
「わぁ・・・・・・! 町だ~!」
イナの弾んだ声が、街の喧噪に溶け込む。
石畳の道を往来する人々、立ち並ぶ露店から漂う香辛料の匂い、鍛冶屋の金槌が刻むリズム。
破壊されていない“日常”の景色が、フォルナの目にまぶしく映った。
しばらく立ち止まり動かないフォルナの視界で、大きく手を振っているイナが映った。
「さぁ、フォルナ君! まずは宿を確保しなければならないと思うのですが、どうでしょうか!」
「え、あ、そうですね」
「ちなみに、さっきの門番さんにおすすめの宿も聞いたのでお任せ下さい!」
イナは持ち前の行動力で既に自分の輪を広げていた。
既に門番にはばっちりと印象付けも済んでいるようだ。
気を持ち直したフォルナもイナの意見に賛同したいところだが、一つ問題があった。
「すいません。ちょっと今手持ちがなくて、なにか物を売って路銀を確保してきます」
今まで路銀を得られる環境ではなかった、あるいはあっても意味がなかったため、フォルナは手持ちがない。
『ここは俺が出そう』と風を切って前に出ようとした魔族の誰かさんは、一度立ち止まり己の懐事情を確認する。
――気まずそうに咳払いして、すっと足を下げながら顔を下に向けた。
その光景を傍目に鬼人の男は含み笑いを浮かべながら、『仕方ねえな、俺が』と意気揚々と一歩踏み出そうとして、己も一度確認する。
――瓢箪を逆さにしても、酒の一滴もでなかった。
「宿も時間がたったら空きがなくなっちゃうかもしれないし、ここはお姉さんに任せて!」
満面の笑みでフォルナの手を引くイナ。
肩を小さくしてその後ろをついていく大の大人二人は、自分たちより遥かに年若い子供におんぶして貰っている現状を自覚して、己の価値を早々に証明しなければと内心で焦りを抱いていた。
((早めに、何かしら役に立たねば・・・・・・!))
その決意だけが、彼らの背中をかろうじて支えていた。




