43話 原初
「はっはっ!!」
最新の魔道具を抱いて森を走る影が一つ。
イナは息を切らしながら崖の方へと向かっていた。
村の門に人が集まっていることに気付き、わざわざ裏手の柵を超えて来ている。少し体が汚れているのは、道中に樹の根に足をかけて派手に転んだのが原因だ。
(まだ、間に合うはず・・・・・・っ!)
彼女が持っている魔道具は、瘴気を浄化する魔道具の改善版だ。
より瘴気に対しての効果を発揮し、戦闘に役立たせるように不眠で作成した作品。
ある程度の性能が確認された後にイナは飛び出してきた訳だが、彼女は逸る気持ちをなんとか抑えて足を前に進める。まだ間に合うはずだ、全滅するような事態にはなっていないだろうという楽観的希望をもって。
その裏付けにユナンの実力が挙げられるが、一年前の調査の失敗で彼女の不安は消える事無くチクチクと恐怖を刺激する。
イナの心は限りなく限界に近かった。
不眠による疲労とは別に、まだエルフの中では未発達の精神には重すぎる出来事が連続していたからだ。
――おじさん・・・・・・?
帰って来ることを疑わなかった存在は、その最期すら分からずにただ死んだことを告げられた。否定する事は容易いが、片腕を失ってでも状況を告げた調査メンバーの姿を遠目に見て、否が応でも現実を直視することになる。
自分とは離れた位置にあると思っていた「死」が、いきなり目の前に現れた。
そして、なにかできないかと模索した中で瘴気を吸収する魔道具を作るに至る。
強力な力を持つ完成系であったなら良かっただろう。しかし、それ程の効力はない「ある程度」のものが出来てしまった。
魔道具を作成できるのは一人。
瘴気の進行は未知数。
(早く作らないと、早く、早く、でないと皆が)
どれだけ快活に振舞っていても、まだ幼いエルフが背負うには重い重圧。
自分でも気づかぬうちに、ぴしりと心に罅が入っていた。
不安から眠りが浅くなったか、イナはよく夢を見るようになった。
夢の中には不穏な気配は一つも無くて、いつも通りの長閑な森が続いている。
そして死んだと言われているおじさんたちも無事で笑顔で過ごしている。偶に一緒に遊んで、いたずらで作った魔道具で困らせたりして・・・・・・笑いながらイナは夢の中で涙を浮かべる。
ああ、これが現実ならどれだけ良かったろうと。
無くなって、かけがえないものだと初めて気付く平穏。
他人の笑みだけを考えて魔道具を作っていた頃には戻れなくて、これ以上に日常が壊されるのが怖くて、切迫感に耐えながらひたすらに魔道具を改良する日々。
起きたくない。
けれど、目を逸らせばまた大切な人がいなくなる。
夢の最後は、いつもおじさんが少し悲しそうな顔をして頭を撫でてくれる。
頑張り過ぎるなよ。なのか、死んで悪いななのかは分からない。
もう声は聞けないから。
けれど、心配していることだけはイナは感じ取れていた。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
足を徐々に緩め、止める。
日はすっかり落ち、辺りを暗く染めていた。
しかし、ある程度暗さに慣れた目が眼下の状況を正確に把握する。
イナが辿り着いたのは、一班が戦闘を行っていた場所だ。
「・・・・・・あ、ああ゛ぁ」
手から零れた魔道具が音を立てて地面に落ちる。
胸の奥底から湧き上がる衝動が感情を掻きまわす。
「う゛っ」
嘔吐感にも似た気持ちの悪さに左手を口元に持っていき、右手で胸を抑える。
最早立っていられる程の気力もなく、力なくその場に膝を付いた。
滲む瞳でぼやけていても眼前の光景は変わらない。
それはまるで『お前が間に合わなかったからだ』と指を刺されているようにさえイナには感じられた。
そして頭の回転の速いイナは現状を限りなく正確に把握する。
仲間が死んでいる現状、それがそのままに放置されていること、崖の近くにまで来たのに戦闘音が聞こえないこと。
考えたくないと思いつつも、彼女の脳裏には『全滅』の二文字がありありと点滅する。
無意識に伸ばした手は過去のユナンの背を掴もうとして、力なく落ちる。
「はい、深呼吸」
その手は途中で何者かによって握られた。
イナの背後から彼女の目を覆い、伸ばした手を握っている。
その体が薄く透過しているのは彼女の種族故だ。
精霊種。
森人と関係を持ち互いに共存している種族。
イナもなにかを感じ取ったのか、安心させられる声に従って深呼吸をする。
(精、霊・・・・・・? だけど――)
イナの知る精霊とは随分と違った。
精霊とは浮遊している小型の超次元的存在であり、彼等特有の言語で持って意思疎通を図る。自由気ままな性格をしている子供のような存在という認識だった。
しかし、今後ろにいる存在は『人の言語を喋る』。
そして落ち着いていてとてもイナの知るものには合致しない。
「イナちゃん。お願いがあるの。その魔道具で彼等の中にある瘴気を取り除いてくれるかしら?」
言葉を返す気力はなかった。
ただ、少し落ち着いた心を無理矢理に動かして死体の元へと赴く。
死体は二つ。一人は今朝、胸を叩いて『任せておけ!』と笑っていたまだ年若いエルフだ。もう一人は奥さんを村に残している。
そんな彼等が、血だらけで木にもたれ、切刻まれて地面に転がされている。
彼等の体に残る瘴気の残滓を魔道具で取り除いていく。時間はそう掛からなかった。彼女の作った魔道具はその効力を遺憾なく発揮し、瘴気の残り香程度であれば即座に消滅させることができた。
イナは終わったことを告げるように精霊に顔を向ける。
「頑張りましたね」
精霊はイナの頭を優しく撫でる。
「イナちゃん、あなたはなにも責任を感じることはありません。もしもより強力な魔道具が完成していたとしても、なんら結果に影響はなかったでしょうから」
イナの横を通って、精霊は二人のエルフの前で止まる。
「大事なのはそこからです。無力を感じたのなら、それを次はどう打開するかを考え、行動するのです。その先にしか望む未来はないのだと私は思います」
そして徐に手をかざす。
「これはまだ踏ん張れていることと、あの子の一歩に強力してくれたお礼です」
光が集まる。
暗闇に支配された森の中、一切の闇を寄せ付けんとする光が膨れ、木々の間からその威光を知らしめる。
「魂の送還」
幾重もの魔方陣が連なり、精霊によって魔力を通されることで魔法が発動する。
その効果は魔法名の如く。
「・・・・・・かはっ!」
死んだはずの男達が咳をして喉に溜まった血だまりを吐き出す。
血に塗れてはいるものの、見に見える外傷が塞がり正者としての肌色を取り戻していた。
「いずれ意識も戻るでしょう。あまり他者の命に干渉はしたくありませんが、今回は特別です」
イナははっと意識を取り戻すと、この奇跡を体現した精霊に必死に縋りつく。
「あ、あのっ! おじいちゃんが、きっとおじいちゃんも! だからっ!」
イナの中ではユナンが生きている可能性は限りなく低く、死んでいることを半ば確信していた。そんな中で、死者を生き返らせる術を持つ者が現れれば、一も二もなくその力に縋りつきたくなるのは道理だろう。心から愛している家族ならば尚の事だ。
精霊は少し困った顔を浮かべながらも、くしゃりと顔を歪ませるイナを我が子のようにそっと抱き寄せる。
「大丈夫。大丈夫ですよ。ほら」
イナの髪を優しく撫でつけながら、精霊は崖の方に指を向ける。
草木が擦れる音と共に姿を現したのは、服がボロボロになってはいるが、五体満足のユナンの姿があった。
驚愕、そして安堵へと表情を変え、精霊から離れユナンの胸元に飛び込む。
「・・・・・・ごめんよユナ。酷く心配させてしまったようだ」
顔を胸に埋めて嗚咽を上げるユナを優しく抱き留める。
確かな熱を感じる手に、夢でも幻想でもないことを理解して、ようやくユナは大きく空気を吸い込み、胸を撫で下ろすように吐く。
いつの間にか精霊の隣にいたフォルナはその様子を見ながら、こういう家族もいるのかと記憶する。
(いや、家族と言うよりはイナさんの性格か)
他人の安否を心配出来る人。
フォルナはそう結論付けた。自分の家族だった人間と比べてあまりに違い過ぎて、そう結論付ける以外の思考が出来なかったともいう。
「手は出さなかったんじゃないのか」
視線は二人に向けられたまま、フォルナは隣の精霊に声を掛ける。
「なんでだと思う?」
逆に問いを投げ返され、わざわざ生き返らせた理由を思い浮かべる。
生き返ったエルフは特に戦闘の命運を分けるような存在でもない。ならば精霊の好みの問題かとも思うが、そんな様子もない。
しかし、利用価値の低い存在に手を貸す理由は想像しやすい。
嘘の笑みを浮かべて手を差し出す人物はよく見てきた。
「貸し、という事だな。後で大きく取り立てるのだろう?」
確信しながらそう返す。
精霊は困ったように笑って、ユナンのようにフォルナの頭に手を乗せて撫でる。
「違うわ。でもいずれ分かるようになる日が来るといいわね」
精霊は答えを言わなかった。
答えが分からずもどかしさを感じたが、聞いても答えは返ってこないだろうと、フォルナは小さく溜息を吐きながら別の回答を考える。
少しずつ変わろうとしているフォルナを楽し気に見守り精霊は笑う。
彼女がエルフを蘇生させた理由は単純だ。
フォルナが最初に寄った場所で悲しい思い出を作らせたくなかったためである。
もがいて、這い出た先の場所のはじめぐらいは、振り返って笑えるぐらいの場所になって欲しいと、普段は決して行わないと決めた能力を使った。
(頑張ったものにはそれだけの報いを)
信条を胸に、彼女は生命と触れ合う。
彼女にとって、種は関係ない。
全てが等しく、愛おしい。
傷つけられても彼女は怒りを浮かべない。
その有様は子を愛でる母のように。
彼女は、語り部。
星が生まれた時から存在する、何億年と生きた原初の記録人。
渡り鳥のように、特定の場所に身を置かない彼女を記した書物は少ない。
ただ、一時期の記録――森の奥に存在する園――には彼女を思わせる絵と共にこう書いてある。
――その楽園を創ったのは、自然の成り立ちでも、森を愛した森人でもなかった。神かとも思ったが、どうやら違うらしい。いや、力だけで定義するなら、その存在は神と比べてなんら遜色はない。
原住民に聞けば、錆びれた村に住んでいた彼等に、ある日唐突に現れたその存在が声を掛けたそうだ。藁にもすがる思いで訪れた場所は、緑豊かで、種が関係なく暮らしていたという。
私がこうしてみている現状でも、種は多く存在している。
各地では種族戦争が起きているというのに、信じられない光景だ。
それもこれも、この楽園の性質に起因するのだろう。
ここでは、誰も飢えずそして死なない。
ありえないと私は脳裏で否定した。そんなことが可能であれば、戦争を起こす大きな理由が一つ消えている。
しかし、裏付ける様に種族の年齢を大きく超越した人々と出会い、また不意の事故で死亡した人物が再び起き上がる様子もこの目で見てしまった。
そう、なんら誇張はなくこの場は理想を実現した楽園であった。
彼等は、この場を創造した人物をこう呼んでいる。
【命の精霊】と――
命の精霊は、関りを持たないと決めた過去を一度破る。
そして世界に羽ばたこうとしている、心の強い若鳥を優しく、そのすぐ傍で見守ることを決めた。
仕事辞めちった☆(ノД`)・゜・。




