39話 寒慄
月の光を遮るように雲が広がり、目を凝らさなければ先が見えぬ状況。
澱んだ空気が周囲を満たした道で、自然と呼吸を制限しながら進む人影が2つ。
それはフォルナとユナンの2人だった。
フォルナは一人で奥へと進もうとしたのだが、案内が必要だろうとユナンが名乗りを上げたのだ。奥の構造も理解しているということで、多少なりとも危険性が下がるかとフォルナも受け入れた。
「君は本当に人族なのだろうか?」
「・・・・・・質問の意図が分かりません」
「いやなに、先程の戦いがあまりにも隔絶したものだったからね。ついついそんな疑問が生まれてしまった」
齢26、確かに戦士として大成する者がでてきてもおかしくない年齢。
一騎当千と称えられ、民の標として立ち上がる者もいないではない。
それでも、世界の上澄みには程遠い。
覇王の称号を持つ者達は散歩のついでに大陸を脅かす魔物を片手間に殺戮する。
極星に至っては、存在しているだけで世界を変革する。
彼等の領域を目指したのは星の数ほどおれど、辿り着いたのは皆無に等しい。
血反吐を撒き散らそうと、あらゆるものを捧げてもそれでも届かぬ領域が確かに存在するのだ。
「君が誰の弟子かは知っていて、この目で見たのに未だに信じられない」
剣士の頂きと言えば誰か。
その問いには明確な回答があり、世界中、誰に投げかけても同じ答えが返って来る。
覇王リアム
剣の覇王と呼ばれし最強の剣士だ。
彼の伝説は枚挙にいとまがない。
そんな彼に幾重もの剣士が弟子になることを望んだが、一貫してリアムは弟子を取らなかった。
諦めきれない彼等は、独自でリアムの剣術を研究し磨いていく道を辿る。
そして目指す剣術の難易度の高さに絶望し沈んでいくまでが既定路線。
中には、才能を持ちある程度まで近づけた者もいる。
故に、この世界の剣術にはリアムの剣術を源流とし、派生した剣術が幾つか存在する。
一つ言える事は、誰も源流を習得できなかったということ。
その事実はこの先の未来でも変わることはないだろうと言われていた。
既に過去の既述になったことを知るのは数名のエルフのみ。この情報の価値は計り知れない。もしも噂でも流れようものなら大量の人間がフォルナに押し掛けるだろう。
それは剣士だけではない。
特にリアムとエルメスの死を知れば、人族は死ぬ物狂いでフォルナを繋ぎとめる事になるだろうことは火を見るよりも明らかだ。
かろうじて種族間の均衡が保たれている中で、人族であった覇王が二人も消えたとなれば、欲深い者たちや恨みのある種族が戦争を起こす事だろう。
フォルナは自分が預かり知らぬ所で、世界のキーピースとなっていた。
「人間ですよ。ただ運良かっただけの人間です。そんなことよりも体調に異変を感じませんか? 瘴気がひどくなってきました」
関心のない平淡な声音での返答にユナンは苦笑せずにはいられない。
「……そうだね、少し呼吸がし辛いけれど、今のところ問題ないよ。それよりお礼がまだだったね」
「礼は不要です。今回は宿泊料の代わりなので。次があれば俺は手を出すつもりはありません」
安易に交渉できると思わせてはならない。
感情に訴えれば動かせるなどとは思わせない。
そんな心情で冷たく言い放ったフォルナの言葉はどのように受け止められたか、ユナンは微笑を浮かべて、分かったと首肯した。
「これは単なる独り言だが、君は少し焦っているように見える。戸惑いもあるね。不可解に触れて、だけど毅然とした態度を演じている演者のようだ。なにが君をそこまで律しようとしているのかは知らないけれど、少しづつでいいんじゃないかな。君は目を逸らしている訳じゃないのだから」
返答はない。
ただの独り言だから返答の必要もないが、しばしフォルナは思考を戦闘以外に割いた。
瞬きを数度、なにを思いなにを嚥下したのかは分からない。
一つ深呼吸をして開かれた目は、ひどく落ち着いて見えた。
しばし会話は途切れ道なりに進んでいく。
目的地に近付いている事は瘴気の濃さが証明していた。
ひどい胸焼けのような気持ち悪さが続く中、不意にユナンは体が軽くなり気持ち悪さが大幅に減少した。
原因を探すように顔を動かす。
「それは・・・・・・」
フォルナの首元、服の下でなにかが光を放っていた。
首から下げていたそれを一度取り出す。それはイナから渡されたペンダントの形をした魔道具だった。
仄かに光を放ち、周囲5メートル範囲の空間を淡く照らす。
特質すべき点は、その光が瘴気をゆっくりと包み込むように吸収し、確実に消している、イナが言うには浄化しているという点だ。
押し出すでもなく、閉じ込めるでもない。
問題を持ち越す訳ではない完璧に近い対処のようにフォルナには思えた。
もしも、もしもイナが都市にいれば。
(いや、間違いなく死んでいただろうな。にしても信じられない。これをたった2年で作ったのか?)
魔道具に精通している訳ではないフォルナでもこれが一朝一夕で作れるものではないことは分かる。
【百鬼夜行】で再誕したものの中に魔道具に通じたものもいたが、現実に呪いに対抗できる魔道具を作り出すのは少なくとも4年の年月は必要だと語っていた。
興味本位で神龍の森に住む狂科学者の言葉だ、信念? というよりかは彼なりのプライドを思えば誇張した年月ではなかったはず。
「これはイナさんに頂いた魔道具です。話には聞いていましたが、実際に効果を見ると言葉が出ないですね」
「私が言うのもあれだが、贔屓目を抜きにしてもあの子の実力は抜きんでている。才能などと一言で言うのは簡単だが、近くで見ていて分かるのは探求心と集中力によって能力を全開まで出せているのだろうということだ」
あと数か月。
それだけの時間があれば、武力すら必要なく結末を選べるかもしれない。
それだけ希望を抱かせる魔道具だ。
ふと思い出すのは、イナが語った夢物語。
特に深く意識しなかったが、数年後には夢ではなくなり、目標にまで届いたとしたら、イナのつくるその後の夢がどんなものになるのか。
フォルナは自分よりユナンの方がペンダントが必要だろうと手渡そうとするが、ユナンはフォルナの方が危険が大きいからと受け取りを拒否した。
確かに、最悪を想定するのなら是非とも手元に持っていたい魔道具であるため、フォルナは首肯して再び首にかける。
それから数分、崖の横脇に空いている空洞にまで辿り着く。
滑りのある空気に険しい表情を浮かべるユナンの傍ら、フォルナは洞窟へと足を進める。
「ちょっ、フォルナ君!」
「ここまで来れば、ある程度場所は把握できます」
逡巡する様子もないフォルナを止めようとする手は虚しく空気を掴むだけ、ユナンは頭部を掻いてすぐにフォルナの後を付いていく。
洞窟内部は暗く、光源はない。
ユナンは【夜目】のスキルで辛うじて周囲を確認できる程度、フォルナに至ってはスキルを使わず、というよりかは局所的に使えるようなスキルがないため五感で把握しながら進む。
時折蝙蝠の羽ばたきが聞こえたりとユナンはしきりに視線を動かして周囲を確認する。
一方でフォルナは迷いなくある箇所を目指して他には目もくれない。
心臓が早鐘のように脈打ち、唇の乾燥を感じだす頃、
ふとフォルナが足を止めた。
狭い空間を抜けた先にある洞窟の最奥。
開けた空間で、光を放つものがあった。
床に置かれたカンテラ。
金属でできているのか、黒い硬質の材感のそれが、魔道具なのか中に無数の小さな光を伴って今も尚周囲を照らしていた。
その近くには、白骨化した死体がある。
地面に剣を刺した態勢のまま、剣の柄を握る続けている死体。
「・・・・・・リリク」
名を呼ぶ声は震えていた。
一年前に見送った背中は今でも鮮明に記憶に焼き付き、装備も忘れていない。
愛用していた剣を握り、姉であるマローナから貰ったという靴を履いている死体は、一年前に作戦に出たリーダーのリリクで間違いようがなかった。
地に突き刺していた剣から鈍い音が響いた。
半ばから罅が入っている。
次の瞬間には、広がった亀裂に剣が二つに折れた。
音を立てて、静かに倒れ伏す白骨死体。
タイミングを考えれば、まるで“後は頼んだ”と二人に託しているようにも見えた。
――カンテラが点滅する。
チカッ、チカッとモールス信号のように点滅を繰り返す。
空気は先程と一変し、重く、ともすれば深海にいるのでは錯覚する程に感じられた。
なにかが起こる前兆であることには間違いなく、けれどその程度を測れるものはない。
その存在を数値ではなく、感情で表していいのだとすればこれは、
『寒慄』と呼ぶだろう。
闇から点灯、音も無くそれは立っていた。
黒を基調としたローブを身に纏い、手に錫杖を持った姿。
もしも手に持っているものが大鎌であれば死神と呼んでいただろう。
錫杖が僅かに傾く動作、なにかをすることは分かっていても恐怖に縛られ、激しく思考する脳は体に動作信号を送らない。
そんな中、音も立てずに巨剣を担いだ人影が地面を這うように疾駆する。
「リアム流、叫嵐」
先刻、異形を撫で斬った斬撃が三度異形を襲う。
大剣は易々と錫杖ごと異形を切り刻む、塵となり、分子に至るまで。
「・・・・・・終わっ、た・・・・・・?」
疑問符を浮かべながら呟くユナン、言葉を紡ぎながらそれに疑問を浮かべてしまう程に展開が早すぎた。
「ははっ、流石覇王の――」
途中まで続けて、フォルナの警戒が全く解けていない事に気付く。
小さく、空間が捻じれる。
場所はフォルナの眼球のすぐ隣。
軋んだ空間から姿を現すのは錫杖の穂先。
距離としては1センチにも満たない距離だ。
瞬時に遠近を調整し、フォルナの黒眼がそれを捕らえる。
反撃はせず、そのまま後方に跳躍し距離をとった。
(まあ想定通りではあるが)
空間から姿を現す異形の姿は無傷。
しかしフォルナの手には確かに斬った感触が残っている。
ならば答えとして考えられるのは、幻覚、分身、もしくは再誕のようなものか。
神龍アルドに近付くことを考慮した異形であるのなら、防御、回避、再生に特化したものであろうとフォルナは想定していた。あの超遠距離攻撃をなにかしらで対処する必要があるからだ。
相手の特性をもっと確かめるべくフォルナは再度大剣を走らせる。
そして、止まる。
異形の躯体に触れて、斬り割くでもなく止まっている。傍から見ればそれは服に刃を添えられているようにしか見えないだろう。
問題は、
フォルナは止めるつもりなど毛頭なかったということだ。




