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「誰?」

 急に決まったことで私が来ることをこの村の者達に伝えてはいない。そもそも病気で臥せっているのだと国民には説明してあるはずなのだ。

 私ですらこの村に来るなんてあの図鑑で植物の生息地を見つけ出すまで知らなかったことなのだ。


 なのに、なぜ……。


 警戒心をむき出しにした私に、女性は慌てたように手を前に振って怪しいものではないのだと弁解した。

「私、私、エインよ。エイン! 少しの間だけど学園で一緒だったじゃない?」

「エイン……さん?」

「そう、ヒロインって言ったらわかるかしら? 桃色の髪はもうとっくに無くなっちゃったけど、顔はそのまま、ほら見て、ベッピンさんでしょう?」

「ああ!! エイン=バロネーゼ!」

「今は結婚してエイン=シュヘルツよ。よろしくね、シルフィー=シルフォニア王子妃様?」


 エイン=バロネーゼはかつての王子の運命の相手候補にして、王子を選ぶことなく学園を去った女性だ。

 特徴的な桃色の髪は姿を消し、健康的なほどに肌が焼けているが、アーモンドのような瞳と、目を引く美しい顔は学園在籍時と変わらない。


 だが、どうして彼女がここに……?


 その疑問は口に出すよりも早くエインによって回答される。


「何でここに、って思ってるでしょ? その理由はふたつ。クラウシス村は私の故郷だからって言うのと、あなたが来るのを待ってたから」

「私が?」

「そう、真相エンドのシナリオを突破するにはこの村にしかない花が必要だからね。あなたなら絶対に来ると思って待ってたの」

「シナリオ……」

 それはいつぶりに耳にする言葉だろう。

 必ずと言っていいほどに王子の運命の相手候補が口にした言葉だ。

 ある人は憎らしそうに、ある者は夢心地で。そして目の前の彼女はそれが運命なのだとでも言いたそうに口にする。


 以前のように私にそれを理解させるつもりなどなく、それが『シナリオ』であるのだと、子どもに話すように淡々と言い聞かせる。


「私はシナリオを退いた身だから、あんまり多くは言えないけど……。でも、せっかく辺鄙なこの村に王子妃様がわざわざ足を運んでくれたなら、村の名産品ぐらい紹介しても変ではないわよね?」

 それはまるで誰かに言い訳をしているかのように、まるで答えは自分で導き出せとでも言うように。


 彼女はポケットから手のひらサイズのとあるものを取り出すと私の手にちょこんと乗せた。


「このサシェに使ってる花はシンドレアって言うんです。この村の周りにしか生えない花で、そして実はこの花の花粉は猛毒があるんです!」

 まるでセールスでも開始するかのように敬語を使い始めた彼女は、手のひらに乗せた甘い香りとは正反対の物騒な言葉を口にする。

「毒……」

 それは私がこの村まで探しに来た内容の答えだった。まるで彼女は私の行動をすべて読んでいたかのように、言葉を続ける。


「それはもう雄しべと雌しべ抜いて一ヶ月乾干ししたやつを煮詰めて抽出したものをオイルとして落としているから大丈夫ですが」

「その花、見て行ってもいいかしら?」

 まるで私を誘うような言葉に、迷いなく乗った。

 もし彼女が私を陥れようとする悪者なら、きっとその毒草を使って殺そうとするのだろう。だが、彼女は、エインさんは違う。

 社交界で作り笑いを浮かべ続ける貴族達とも、そして他のヒロインさんとも。

 

「ええ、もちろんです! 今は受粉時期でもありませんし、良ければ見ていってください。クラウシス村自慢の花畑を!」

 

 彼女に手を引かれ、村の奥に位置する真っ白な花畑に息を呑んだ。


 ここは本当に地上なのかと、天国ではないのかと疑うほどに美しいその光景と、そしてここにたどり着くよりも前から鼻をくすぐる甘い香りに。


 サシェの香りを嗅いだ時、部屋のリースを思い出した。

 そしてこの花畑にたどり着くとまるで脳内記憶が上書きされるような、それでいて過去の記憶が呼び覚まされるような感覚に陥った。


 リースよりもずっと強いその香りは別物だと、そう思いたかったのかもしれない。

 だが、もう認めるしかないのだ。


 これと同じ香りが、私を診察してくれた宮廷医師から香った香りと同じものだと。

 

「真実って時には残酷なものよね。けど、あなたは大切なものを選び取らなきゃいけないの。そのために必要ならば、辛くても決断しなくちゃ」

 こんな時までも、エインさんは私の考えがお見通しのようだ。

 もしかしたら彼女は初めから今回の黒幕に気付いているのかもしれない。だって彼女は王子の運命の相手候補だったから。

 桃色の髪を失ってもまだ、彼女は彼女のままなのだ。

 

「……この花、いくつか摘んでいってもいいかしら?」

「もちろんです。よろしければ生花の他に干したもの、そして抽出したオイルもお持ちいたしますが、いかがいたしましょう?」

「いただくわ」

 きっとそれは王城へと帰る私に必要となるものなのだろう。ならばもらっていかないという選択肢は選ぶまい。



「……私さ、あなたに会えなかったら今頃ここには居なかったと思う。決まったルートを辿って、謎を解いて、そして幸せになるの。あいつとの約束なんてすっかり忘れて……さ。でもあなたが気づかせてくれた。『私』の幸せを」


 花を摘み取る私の背中に彼女は笑いながら話しかける。


「押し付けるようになっちゃったけどさ、でもあなたに幸せになって欲しいって言うのは本当だから! 推しカプって言うのも変わってないよ? だからさ、頑張って」


 それ以上は語れないのだと悲しげに目で訴えている。

 

「頑張るよ」

  けれどこれで十分すぎるほどなのだ。

 一歩先に幸せを勝ち取った彼女からの激励を背に、王城へと戻るのだった。


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