無干渉の本――〝親友〟
共依存、なのかもしれない。あの兄妹を表すなら、きっとそれがぴったりなんだろう。
気付くまでの時間はいらない。わたしと言えば、二人が揃っていた時を見て、すぐに分かった。
初めて会った彼は、妹であるわたしの親友に陶酔していたから。最初は勿論、自分の妹に陶酔する彼女の兄を心地よくは思っていなかった。でも、触れ合っていくたびに滲み出る優しさや純粋さから、あの妹なら仕方ないと思うようになっていった。
だって、彼女は恵まれて生きてきたんだ。本当に神に愛されてるんじゃないかと思うほどに。
頭脳明晰。容姿端麗。文武両道。才色兼備。どれで表そうか。でも、どれで表しても、きっと彼女を言葉で説明しきれないんだ。
先祖返りで生まれ持った橙色の髪。親から受け継いだその美貌。兄を慕うその姿勢から、学校では周りから兄を褒められて毎日が楽しかっただろう。
だから、彼女の兄が彼女に依存していたとしても、おかしくない。大人びた性格からか驕らずにいたため、どうしてか大人が無意識に圧倒され、敬語を使っていたほどだから。
でも、何故か彼女も兄に依存していた。所詮周りは他人だからと、兄妹だから慕っているわけでもないようで。だって、彼女が両親を見る目は、まるで他人を見るようだった。
いつの日か、聞いたことがある。
「サクラ、お前は兄が好きか?」
「勿論」
即答だ。
「じゃあ、両親は?」
「………………………………好きだよ?」
明らかな差。
別に、両親は好きな方がいいとか思ったことがないため、それについてどうこう言うつもりはなかった。だって、サクラに対して家族で問題があるとか思えなかったから。
嫌いじゃなければ、それでいいのだ。
「安心した」とわたしが言えば、サクラは「そうかい」とどうでもよさそうに言った。
ああ、安心したよ。お前にも依存できるほどの人間がいたんだな。
彼女が、周りの人と一線置いて生きているのは分かっていた。それの対象は、勿論わたしも例外ではなかったから、傍にいたら自然に気付いたのだ。
一線置かれて、怒りは湧いてこないが、どうも陰のある彼女の笑顔の方が気になって仕方がない。ただただ、何もできない自分がむずがゆかった。どうして何もできないんだろう、と。
思えば、わたしも彼女に心酔していたかもしれない。彼女の言葉に一喜一憂して、彼女を自分の正義にして生きようと思ったのも、今思えば全てが彼女のためだ。
結局、それも失敗してしまったけど。
いつだっただろうか。歪だけど、楽しい日々が壊れたのは。
あの日だった。わたし達の日常を壊してくれた元凶の日は。
ああ、許せない。
全てを奪ったあの女。
「――愛佳」
「なんだい、凛音?」
「お前は、まだ死ぬ気でいるか?」
答えない、愛佳。
期待はしていなかった。ああ、まあ、そうだろうな、と。彼女の死ぬ気は本気だったし、わたしはそれを応援こそしなかったが、どうこう言ったりもしなかった。
――邪魔は、してしまったけれども。
死を当たり前という顔で語る彼女を見たくはなかった。過去の秩序を知っているのに、今の世界の住人だということが思い知らされるから。
世界で崇拝されている神の像が、今目の前にある。形を作って偶像崇拝をされている、快楽主義の最低で最高な神が。
彼女に一言断り、先に家に帰ってもらった。
話を聞いている間に、どうしても確認したいことがあったのだ。
後ろからあの銀髪、白夜が追ってくるのが分かった。一応、と言って、あの白き神から貰ったサイナーがあるから分かる。サイナーと言っても、強力なものではないが。
着いてくるのは構わないが、どうも視線が痛いのは気になる。【五陀】なら気付かれずに尾行する術を学んでいるはずだから、きっとわざとなんだろう。お腹が空いてイライラしているんだろうか。それならすぐに終わらせて愛佳の家に行くから。少しぐらい我慢してほしいものだ。
愛神の中は特に普通の中学校とは変わりないが、リリス・サイナーの像を置けておけるくらいには国に認められているため、白亜の壁が目立つ。リリス・サイナーが白き神と呼ばれているが故、信仰する場所に白を置かないと気が済まないらしい。
愛佳のクラスは、一年三組。机の場所は聞いてないが、どうも役に立ってくれるらしい、彼女の従者がここにいる。
「白夜」
「――――何」
警戒を含んだ声。
「愛佳の席はどこだ?」
「は?」
「知らないわけではないだろう。【五陀】はリリス・サイナーである愛佳の全てを把握しているはずだ」
「……………………」
溜息を吐く、白夜。
きっと、問う私の神経を疑っているに違いない。
リリス・サイナーの守護をする【五陀】を利用するなど、リリス・サイナーの誇りを馬鹿にするのと同じだ。白夜も愛佳に敬意がないように思えるが、この世界の常識として、こんな態度を取る私を呆れているのだ。
「……そこの、席」
「!」
少し不服そうに顔を逸らしながら白夜が指で示したのは、教室の一番後ろの席。
「ありがとう」
「別に、いい」
白夜が姿を消す。今までいた場所に戻ったらしい。
愛佳の席に視線を戻せば、その横には白い手提げが一つかけられている。
その鞄から出ているリコーダーを見ると、名札に樋代愛佳と書かれていた。矢張り【五陀】の雪月である白夜の情報は、狂いない。
愛佳の席に座る。失礼を招致で、机の中を見た。ツインテールが茶色の床に着く。
敬意は持っていないが仕事なため、愛佳の従者である白夜は何か言ってくるかと思ったが、予想外にも口を挿んでこなかった。見えないところで監視するのみで止めているのだろう。
中を見ても何もない。中を覗いた状態から、手を入れて探るが矢張り何もない。
顔を上げる。ドアップで目に入る赤目。
「――うわッ!」
「驚いた?」
それは白夜の片目だった。瞠目したわたしに、白夜は悪戯が成功したと、子供のような笑みを浮かべた。
「当たり前だ、お前……。何か用だったのか?」
「俺の主人の机の中を見た変人に見せたいものがあってな」
「変人って…………何の意味もなく覗いたわけじゃないんだぞ」
「でも、嘘じゃねえだろ?」
確かにそうなのだが。だが変人だと言われて嬉しいわけではない。が、ここで相手をしても白夜は喜ぶだけだ。
不満を少し残りたまま、何も言わず、こっちだ、と〝見せたいもの〟を見せるために案内し出す。軽く睨んだ後にその背に着いて行く。すると、肩にかけている槍に、どうしても目が行く。
四家の雪月が輩出する、〝二つの槍〟とは、【五陀】の中の従者のことも言うが、本来は雪月が所有する神器――死と癒の力をそれぞれに持った、槍の総称でもある。
その二人は〝二つの槍〟として、雪月の苗字と、【五陀】でありながら自身の名を名乗ることが許される。
そこまで許可が出ているのは、神器の〝二つの槍〟の力があるお陰である。
所有者である〝二つの槍〟が、自身の槍――死槍か癒槍――の名を以て忠誠を誓えば、主人に逆らえなくなる。逆らうとそこで神器――文字通り神の力を持つ道具――の力が発動し、所有者の命は刈り取られる。
その責任を持つから、〝二つの槍〟は【五陀】の中で一番裏切らない大切な存在なのだ。
暫く校内を歩いて結果に着いたのは、美術室だった。
横にスライドしてスクリーンが出せる大きな黒板。並ぶ少し大きめな机。美術室らしく鳥がデザインのお洒落な時計の下、リリス・サイナー像の設計図が張り付けられている。愛神市と中央公民館に一枚ずつしかない、貴重品である。神聖なリリス像が作られるまでの大切な土台で、神聖なものとされるそれは一度も汚されたところか触れられたこともないように、ぴったりと壁に張り付いていた。
白夜はまっすぐに、黒板の横にある美術準備室へと入る。〝二つの槍〟だから入校許可を貰わなくてもいいが、如何してか慣れているように見える。ただ堂々としている――いや、偉そうにしているだけなのかもしれないが。
後を追って、準備室の中へ入る。
美術資料にキャンパスの山。ピンク色のプリントとファイルもセットで置かれていた。中にはどうしてか、大きな地図が二つ丸めてボックスの中に入れられてあったりもしている。
白夜は両開き戸を開ける。蝶番の音が妙に響いた。
中に手を伸ばして彼が取ったのは、一つの本だった。
黒い表紙に金色の文字が、題名なのか何か書かれている。だが読めない。
白夜はそれをわたしの前で開けると、小さく何かを呟き、――――手元にあったその本を吹き飛ばした。飛んできた紙屑が顔につく。
「は、あ? …………え?」
「見ろ、凛音」
初めて名前を呼ばれたかと思えば、そう言われて白夜の手元を見た。
そして――そこには、吹き飛ばされたはずの本があった。
じっと彼の手と本を括目する。
彼がさっき何かを呟いたのは、サイナーを発動させるためだろう。そして、サイナーで本を吹き飛ばした。
なのに、今ここに本は無傷で手の上にある。
「――――これ、は?」
「神器だ。俺の持っている槍が、死槍で〝二つの槍〟と言われるなら、これは〝無干渉の本〟だな。――これは、初代のリリス・サイナーが作った神器だと言われている」
「そんな神器がどうして、美術準備室に……?」
「これは特定された人間にしか見えないようになっている。だから、神器を保管している中央公民館の奥部屋よりも、人がまだ出入りするここの方が、誰かが気付くと思ったんだろう。俺も、これが初代の作った神器ということしか知らねえわ」
本の表紙に触れる。
感触は、確かにあるのに、これは他の人には見えないと彼は言う。
「初代リリス・サイナーが作った神器〝無干渉の本〟…………か。どんな力があるんだ? 大体は、名前で予想できるが」
「思っている通り、どんな力でも干渉を受けない本。つまり、本当に秘密にしたいものを、書いた本人以外に見られなくするものだ。持ち主は代々リリス・サイナーのみに任命されると言われている」
「………………それを、どうしてわたしに? リリス・サイナーに渡されるものなら、愛佳に見せるべきではないのか?」
わたしはリリス・サイナーから加護を貰ったが、第一加護者じゃないからリリス・サイナーではないし、力も愛佳に比べて弱い。
そんなこと、知っているだろうに。いや、リリス・サイナーでないことは知っているだろうが、第二加護者ということもまず口外していないのに、――どうして。
彼はニッと笑う。
「――――――――――そうするのが、正解だから」
アイツ本人に渡しても意味がないんだ。これが、それに対しての正解。
言葉の意味は分からなかった。だが、彼の言う、これやそれについて興味がなかったため、問いにはなんの疑問も出さず、神器――〝無干渉の本〟を受け取った。
手にかかる重みは確かなもので――――
「――――それで、お前は人の机の中を見て何がしたかったんだ、変人?」
「変人言うなッ! わたしはただリリスが言った、〝ヒント〟とやらがどこにあるか探していただけだッ!」
「――――――ヒント?」
「…………あ」
白夜から視線を逸らす。しまった。まずい。下手なコトを言ってしまった。
彼は愛佳とわたしがしている親友探しのゲームのことを知らないのだから、こういう風に微々のみ情報を漏らすのはいけない。何か企んでいるのではないかと猜疑心を持たれるより、まだ人の机をの覗き込む変人の方がよかった。
何を聞かれるか。リリス・サイナーに会ったのか云々はどうするか。
心の中でそう構えていた。が。
「――――――まあ、それはいいや」
「………………え?」
「取り敢えず、それは無くすなよ」
ソレ、と言って彼が指すのは〝無干渉の本〟と言われる、本の神器。書き込めると言っていたから、中は白紙かそれとも、今までの持ち主の文字が残っているか。
何も言ってこない白夜を逆にこちらが疑いながらも、それについて触れはしなかった。聞かれても困るからだ。何も興味がないなら、その方がいい。
ホッと胸を撫で下ろしていると、白夜が何かを思い出したらしく、ああ、と声を出した。それはわたしに向けた言葉だ。
「それ、言ったよな。どんな干渉も受けない本の神器だって」
「ああ」
「実は、それな――――」
彼はニヤリと笑う。その笑顔の裏に、明らかに何かが棲んでいたのだが、わたしはあえて無視して、言葉を聞き逃さないために耳を澄ました。
「――――――最高神リリス・サイナーの神の力まで、干渉を許すことはないらしいぜ」




