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短編集。『五分間の奇跡』  作者: 鴉野 兄貴


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言い出せんのバラード

 どちらかと言えば『宇宙の果てまでこの愛を』の方。

 しなやかな足が伸びる。

 古びたスパイクがでこぼこした運動場を穿つ。

 銀杏の香に顔を顰める暇もなく、臼鍛篠三は走る。


 肺腑の甘い吐息を一時に吐きだし、彼女の白いユニフォームは土の色に染まる。

 蜻蛉が山に登ってくる。青い空に白い雲。どれだけ使い古されたフレーズだか。


 高校三年生の彼女は来春東京に向かう。


 ふわふわした白いものが頭の上でぶらぶら。雲のように見えるが違う。その様子に篠三は苦笑い。


「ちょっとぉ。しのぞーちゃん立ってよ!」


 車椅子の少女はふわふわの白いタオルを手にふらついている。


「おお、こい! カヨち! このまま倒れてこい!」


 篠三は幼馴染に両手を広げて唇を突き出す。耳を朱に染める少女、唐世の様子に思わずククと笑う篠三。


 薄鍛篠三は『うすたえ ささみ』と読む。一つ年下の幸根唐世……こちらは素直に『さちねかよ』と読む。二人は再来年廃校になる予定の高校に通っている。

 生徒数。二名。もちろん篠三と唐世だ。



 唐世は洗濯機を使えない。車椅子では洗濯機のあるベランダに入れない。フラットにしてくれと母は地元の笹野建築に頼みはしたが跡取り息子に『耐久性が減るし面倒』と一刀両断にされたのだ。笹野は地元の名士であり分家の幸根は強く出ることが出来ない。


 だから、本を読みながら母がふわふわのタオルを洗ってくれるのを待っている。

 YouTubeで壊れかけた洗濯機がゆっくり回って全然洗えない動画が彼女のお気に入りだ。

 チープな音楽と共に時々止まる洗濯機の回転内部を見るだけの360度動画は何処か癒される。


 ぐるぐるぐるぐる。

 何もできない。見ているだけ。

 しのぞーちゃんを見守って、見守って。

 東京に行くのを止められない。

 私の車椅子もぐるぐるぐるぐる。


「なにかあったの? 最近沈んでいるわよ」

「別に? 何もないよ。しのぞーちゃんも相変わらず」


 勤めて明るく答える唐世に対しあえては問わない母。


「しのぞーちゃん大会残念だったよね。でもあの子は成績も良いから志望校に行くには問題ないわ」

「そうだね……あたしは、たぶん地元に勤めるのかな? ほら、笹野のおじさんが雇ってくれるって」



 笹野の息子は態度が悪いにも関わらず何故か唐世に絡む。好きならもう少し親切にしてほしい。とりあえず面倒臭がらず今からでもフラットの家にしろ。施行代を胡麻化したのは把握しているのだぞ。


「多分、修一さんは貴女をお姫様にしたいのでは」

「そりゃ……公衆トイレすら一人で満足に行けませんけど嫁ぎ先程度は自分の意思で決めたい所存でございますお母さま。というか笹野のおじさん、駅に多目的トイレをつけろって言ったの華麗に無視したし! せめて私たちが登下校する時くらい駅員さん入れろぉ!」


 愚痴る娘にハイハイと答える母。母とて何度も本家に愚痴っている。外から来た母は穏やかな父と違い、親せきの中では『猛女』と恐れられている。


 篠三の汗をぬぐうためのタオルを車椅子に満載し、母の車に乗って彼女は駅に向かう。でこぼこ道が多くて車椅子ではとてもじゃないが毎日通えたものじゃない。小野江線は地元では有名な赤字路線で一日の平均利用者数は約四百名。一人当たりの利用料金は平均240円。累計赤字額は19億円。彼女らの乗る通勤列車は二人が卒業すれば廃線確実と言われている。


 田んぼと山とダムしかない風景を眺めて今日も。


「あれ?! えっ?! オフィス?!」

「はい?! ボルタ?!」



 それは異様な光景だった。


 いつもの車両内にひしめく若い男女たち。

 彼らは机を車両内に配置し、オフィスワークをしているのだ。


 ご丁寧にボルタリングの壁まである。体重を乗せると勝手にスクロールしてくれる構造らしい。


「いらっしゃい! 『有限会社ラストワンマイル』のオフィスに!」

『えええええええええええええ?!』


 二人の絶叫が『ようこそ小野江へ』とデコられた田んぼに消えていった。それはそうだ。


 なぜ東京のオフィスが廃路待ったなしの赤字路線の車中にあるのか?!

 どうしてこんなお洒落なオフィスに田舎の女子高生が入り込んでいるのか?!


 そして何故早くも篠三は環境に適応し、ボルタリングを楽しんでいるのか?!


「しのぞーちゃん?」

「う?! お、おう! カヨち! 身体が勝手に!」


 もう何を突っ込んで良いのやら。



 オフィスのお姉さんたち曰く。


「社員優先だけど、地元の乗客さんは自由にトレッドミルとか使ってくださって結構です」


 練習道具を買ってもらえなかった篠三は吼えた。


「よっしゃー!」


 唐世はいつも『しのぞーちゃん』の練習を見守ることしかできない。

 今、しのぞーちゃんから目を逸らしている唐世の内心は複雑なものだった。


 次々とホールドされるボルタリングの石。

 ぐるぐるまわる。ぐるぐるまわる。

 まわってまわって忘れ去られているのにまた握られる。その感触をしのぞーちゃんは多分覚えていない。


「あの石になりたい」


 唐世は想う。何度忘れられても、何度巡り合っても握ってほしいあの手は、しのぞーちゃんの手は。

 ……彼女の意思では握りたい時に握れない。


 大笑いして自慢げに登る篠三は時々一つ年下の少女から目を逸らす。はしゃいでもことばを交わしても。この握った手の思い出は彼女だけのものになる。



 二人がいつもの列車でいつもではない登校を楽しみつつ、感傷に浸っていた時。


 ずる。篠三の手がボルタリングのホールド(※石)を手放した。


 そのままカラーボールだらけの小さなプールに落下する篠三。鼻を抑えて『くさい!』と叫んでしまう唐世。振り返ると隣の席でおばちゃんが七輪を借りてふなずしを焼いている。とんでもなく臭い!


「いやぁ。おばちゃんこいつはきついわ」

「最近の若い子はふなずしを食べられないのね」


 琵琶湖名物なのだが。


 行商のおばちゃんは、涙を流しながらふなずしを口に運ぶ社員たちに対して『UberEats』のかばんを背ににっこり。滋賀県民でも臭いものはくさい。もちろん若い二人には耐えられない臭いである。


 カラーボールまみれになってバタつく篠三に『好き』と呟いてにっこり笑う唐世。あまりの臭いに驚いて飛び降りてしまい照れ笑いを浮かべる篠三。

 とっさに何を言い出すのやら。

 自分の言動に自信が持てなくなってうなじを赤らめる唐世。しのぞーちゃんに背を向けて、今日は髪を下ろしていてよかったと安堵した。



「君たち、高校生だよね。もしよかったら卒業したらうちに勤めないか。インターンも大歓迎だよ」


 好青年といったいかにもキラキラした意識高い系の青年に苦笑いする二人。時々大阪とかに二人で遊びに行くと遭遇する。こういう人。


 というか、この近辺で高校生は二人しかいない。いつぞやテレビ局の取材を受けた。


「残念ですが私は東京の大学に進む予定で」

「君たちは可愛いからね! インターンでもアルバイトでも大歓迎だよ!」


 提示された額は破格と言っていい。特に唐世にとっては。だが彼女は疑いの目で好青年然の言動を見せる男に問いかける。


「……補助金目当てですか」

「うん!」


 青年は恥じ入ることすらない。

 企業は一定割合の障害者を雇わなければならない。


「うちはそういうの積極的にやるつもりでね。君はすっごく地元では有名だし、うちに入ってくれたら厚遇するよ。それこそ座って学校の勉強をしてくれているだけでいい! エロ動画見る俺より生産的!」



『この人最低すぎる。知っていて知らないふりかい』

『なにこのおっさん汚らわしい』


 二人の意見は視線を合わせることなく一致した。


 青年曰く、『健常者の給料を支払ってもパソコンでエロ動画を見るような社員よりは座って将来の為の勉強をしている少女のほうを置きたい』との事。


『ぶっちゃけが過ぎて多くの人を敵に回すタイプだこの人?!』


「トレッドミルとかトレーニング機器は本来社員優先で一般乗客は空いているときだけだけど、君にもメリットがあると思うよ。臼鍛篠三さん」

「それで私が動くと! カヨちをバカにしているあなたに雇われるほど落ちぶれていません!」


 篠三が近くの机に拳を叩きつけたのでその机を利用していた女性社員が『ひえっ』と小さく声を上げた。


「あ、ごめんなさい」

「あ、いえ、うちの社長が失礼なので」


 彼女はぺこりと頭を下げる。


 篠三は気付いた。

 彼女の左肩から先がないことに。



『僕は君の友人をバカにしていない。ただ、いるだけでいい。いるだけで役立ってくれる。いてほしいと事実を述べているだけだ』


 自主練習に身が入らない。

 どうせ大会にはもう出ない。


 それでも走るのは多分。


「むー! むー!」


 車椅子から必死で彼女の長身、煌めく額の汗にふわふわのタオルを差しだそうとする少女に彼女は苦笑い。


「ねえ。カヨちはあの会社に行くの?」

「え、行くよ?!」


 予想外の答えが返ってきた。

 絶句する彼女に唐世はこともなげに呟く。


「時給1800円だよ?!」

「真面目に聞いておけばよかった!」


 笹野のおじさんはコンビニのアルバイト料をケチりすぎる。女子高生舐めんな。そもそも夕方七時閉店のどこがコンビニなのか激しく問い詰めたいところだがそういう問題じゃない。しかしあの社長はひとの心にズカズカ踏み込みすぎるきらいがある。



 有限会社ラストワンマイル。

 事業を通じて社会に貢献するをテーマに企業を支援する組織により設立されたこの会社は障害者と老人雇用を是とするとホームページにはあった。小野江線の赤字返済には一日当たり約二万二千人の利用者が必要だ。つまり今のままでは一日四百名の利用しかない路線なので乗客一人あたり一万三千円ほど余分に利用料金をそれぞれ払わねばならない。ちなみにラストワンマイルの社員は六〇名。


「うちの賃料は月54万七五〇〇円。はじめは127万七五〇〇円だったけど何とかまけてもらえた」


 オフィスを置く車両に加えて駅舎含めて設備投資を代行するそうだ。


「無人駅はお洒落なカフェ兼社員寮になる。通勤代金はオフィスが社員の住処に向かう形で移動の時間と地元の住民との接触を最低限の交流以外は減らし新型コロナウィルスへの対処とする」


 曰く、GoToからDreamComeTrueらしい。どっかのアーティストに叱られそうだ。


「まぁ、実際はこの通りだけど」


 先程は七輪をボヤとしてスプリンクラーが作動しかけた。田舎のおばちゃんの人懐こさを侮るべからず。



「駅周辺の『私道』は点字ブロックを設け、違法駐車駐輪を排除し、車いすでも快適に通過できるようにする……そのラストワンマイルを担うのが!」


 ビシっと社長はふなずしを食べているおばちゃんたちを指さす。


「彼女たちだ!」


 社員扱いなのでタダであちこち行けるらしい。

 ウーバーイーツのかばんはただでもらったものだそうで。


「郵便局の業務も一部代行している。手紙をもUber的なシステムで受け渡ししてもらっている」


 まさに地元のネットワークらしい。

 いえーいとおばちゃんたちが笑う。


「トラックしぇありんぐ? が便利でねぇ!」

「使ったトラックは自動運転で買い出しにいって移動スーパーになってくれるのでありがたいのよ。本当に便利になったよねえ」


 笹野のおじさんがつぶしにかかりませんように。


 南無南無。

 二人は思わず両手を合わせた。



「我々のミッションは地方に取り残された老人や障碍者に職を与えるとともに、地方及び都市部にも共通した課題である『駅からの輸送』を解決することだ!」


 季節が変わっても熱く語る社長だが、二人はダルマストーブにあたるのに忙しい。古い路線なのでダルマストーブが車両内にあって赤字路線ではあるがこの時期は鉄オタに人気なのだ。猫の駅長の次くらいには。


 ラストワンマイルが『移動オフィス』を車両内に設け、『見学自由』にしたことから小野江線は変わってきた。ラストワンマイル活動はますます広がり、椅子に座っているだけな業務に耐えかねて『何か役に立ちたい』という唐世の声に応じ『道路のモニター』が任命された。翌年、同社は小野江線の半数以上の株式を収得した。笹野のおじさんは社長にビジネスで負けた。



 ……なにこのでこぼこ道。超きついし。

 電動車椅子ならぬ自転車の電動補助が付いているとは言え、かなりきつい。この車椅子はセンサー類も搭載していて本当にクソ重い。

 東京に行った後も篠三は時々実家に帰ってくる。

 最近は社長のもとでその健脚を活かして大活躍しているらしい。

 しかし唐世にできることは、一歩一歩車輪をまわすことだけだ。

 ぐるぐるまわる。ぐるぐるまわる。



 小野江線は環状線でもある。一車線でぐるぐるまわる。ぐるぐるまわる。時々ぶつかる前に退避する。ぐるぐるまわる。ぐるぐるまわる。


 それだって事故が起きることもあるだろう。

 東京に行ってからどんどんきれいになる篠三はことあるごとに唐世の綺麗な髪を弄ろうとする。雑誌を手にいろいろな髪形を試してくる。最初は垢ぬけた感じに満足していた唐世だが、身動きできない自身に対して篠三の行う猫かわいがりにはどこか腹に据えかねるものを感じていたと知ったのは自分の唇から漏れ出た言葉からだった。


「私はしのぞーちゃんのお荷物……お人形じゃない! 行けばいいでしょ私を置いてまた東京に! おしゃれしてすてきな彼氏作って勉強して大会出て……もう滋賀に帰ってくるな!」

「何を言っているのよ! 私がどれだけあんたに会うのを楽しみに過ごしていたか知らないくせに! 私は東京に行くけどカヨちを捨てるわけじゃない!」


 社員たちは止めずに茶を啜っていた。


「がんばれー」

「ヒューヒュー」


 止めろクソども。

 二人は内心悪態をついた。



 朝日が二人を包む。

 結局大げんかの果て、家のある駅を逃して帰りそびれた二人は社員寮兼駅舎に泊まったのだ。


 ダブルベッドだった。


「……」

「……」


 二人は背を向けて眠りについた。

 季節は廻りまた冬になり、二人はまた大人になったはずなのに、まるで子供のよう。


 お互いの体温を頼りに眠りにつく。

 冬の夜はまだ寒い。


 霜のついた窓を寝台の中から眺め、唐世が呟く。


「ねえ。しのぞーちゃん起きてる?」

「寝ている。カヨち。話しかけるなアタシキレちまったから」


 起きているじゃないか。背を向けたまま足の爪先で軽く篠三の脹脛をつねる。意外と柔らかい。


「こら、やめろ」

「あれ。寝言? おっかしいなぁ。

 それともここがいいかな」



「やめんか馬鹿」「うりうり」


 泣きつかれてお互いの頬を合わせて眠りこけ、最終ホームで立ち往生した二人は社員さんたちの好意で障害者設備完備を謳う寮に泊まったのだが、奇しくも朝帰りである。親になんというべきだろうか。


「素直に話すしかないだろ」

「そうだけどさぁ……なんかなぁ」


 同じ席についてうりうりとつつきあう二人。

 車椅子は折りたたまれてそばにある。



 数年後。


 蒼穹の元、銀翼がまた舞う。

 その一つ一つが違う世界に向かっている。

 それがちょっとだけ不思議なのは大人になりきれていないからだろうかと篠三は己に問いかける。


 今日、彼女の大事なひとが旅立つ。


 ラストワンマイルは水運に着目した。琵琶湖からボートで運べば大量運送も容易だ。カヌーを使えば遡上もできる。意外なことに唐世はパラカヌーにその才能を発揮した。篠三も知らなかった幼馴染の才能である。時間と共に変わったのは彼女だけではなかったのだ。



 篠三は知る。

 ああ、これが待つ者の気持ちなのかと。


 彼女は高いヒールを少し運んで、大好きな幼馴染のもとに進んでいく。


 コツコツコツ。足取りは思いのほか滑らかに。

 最近幼馴染が覚えた化粧の香りが近づいてくる。


「行くの?」

「もち!」


 パラカヌーの国際大会に。篠三がいけなかった世界に唐世は旅立つ。


 選手時代の無理が祟り現役を引退してラストワンマイルの一社員となった彼女にはもう一緒に走ることはできないのだろう。


 だが、問題ない。

 この蒼穹そらを通していつでもつながっている。


 そのために。


「ねえ。カヨち」

「しのぞーちゃん」


 今日、答えを出す。



 唐世はあえて瞳を閉じた。

 目で見えるものなんて間違いだらけだ。

 いつだって大事なことは感じ取ってきた。


 唐世だけの、唐世だけに許された暗闇の世界。

 早鐘のようになる自らの心臓の音が心地よい。


 騒がしい発着アナウンスも、観光客の歓声も、ファンの声援も今この瞬間に消えた。


 大好きなしのぞーちゃんの匂いがする。

 その細い指がそっと昔のようにわたしの髪に触れる。



 ぐるぐるまわる。ぐるぐるまわる。

 言い出せない伝えきれない。言い出せんのバラード。



「勝利のおまじないだよ」


 あまいあまい篠三の吐息が、唇に触れる。


 唐世にとって金メダルよりずっとずっと昔から欲しかったものが、今日、この瞬間手に入った。


 飯田線のバラードはシンガーソングライター山本正之の代表曲。OVA『究極超人あ~る』の挿入歌としても知られる。


 主人公二人の名前は赤字路線から一字づつ。


 篠三ささみ:ぬおりゃ~!

 ダブルベットどころか風呂含めて全自動ロボット式で自立支援施設だけど、篠三さんには気づかずに喧嘩の最中でも仲直りした後の電車のシーンでも唐世かよをお姫様抱っこしてほしい。

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