こころみえる
僕は彼女が妬ましかった。
愛されて育ったはずなのに他人を試すようにして嫌われる彼女が理解できなかった。
僕は彼女に憧れた。
打たれる怖れを持たず生まれ、誰にも媚びず、顔色を窺わず、ただ信じる道をいく娘が。
僕に愛は理解できないが、彼女に興味を抱くことはできた。
こんな僕ではあるが彼女の辛辣な言葉の槍をいなす程度には幸いにも知性があったようだ。
僕は知っている。
愛されて育つことは万才に勝ると。
多少の知識や経験、生まれ持っての知性や運動能力では他の女性の関心は惹けても彼女を靡かせるには足りないようだ。
全く彼女は興味深い。
他人を試すように辛辣に振る舞い、傷つく前に己の言葉で傷つくさまは愚かなハリネズミのようだ。
それでいて正義を成す自らは素晴らしいと皮肉るルサンチマンにはなれない甘さを持っている。
辛辣な言葉の端々に相手を思いやるお人好しさが垣間見える。全く。僕以外の男なら殴るか呆れるかあるいはその場を去るだろう。だが僕には生憎愛情がない。だから学習させてもらおう。
感情の起伏が乏しい僕には彼女に対して不快感を抱くには足りない。子猫が爪を立てるようなものだ。かわいい。
そう。僕はかわいいという感情を学習したのだ。
さまざまな本を読み、彼女に学び僕は喜怒哀楽を手に入れるだろう。しかし彼女に怒ることは多分難しい。かのニーチェは祝福できないなら呪うことを覚えなさいと語ったそうだが、僕が持ち上げるほど辛辣に出てくる彼女は興味深い観察対象である。
大学二年目。僕らは連れ立って歩いていた。他の学生言うところのデートと呼ぶためにはなかなか愉快なる殺伐とした会話のみが我々の間にあるので考慮の対象と言わざるを得ない。
「ちょっと。離れなさいよバカ雄介」
「これは失敬。僕としては女性に近づくと打たれるか嫌われるか触れればバイキンがつくとか言われる物だと思っているのでこれでもソーシャルディスタンスを守ったつもりなのだ」
「あなた、他人にわかる話をしなさいよ。嫌味に聞こえるわ。だいたい何よそれどれだけ女が怖いのよ。あなたモテるのよ」
ふむ。いい機会だから言動を改めよう。
春夏秋冬と書いてひととせと読むらしい。騒がしい知人が教えてくれた。
春は夏の乙女に恋をし夏は秋の詩人に恋をして秋は美しき冬将軍を愛する。彼女と過ごし彼女が受けた親の愛情を側で感じる日々。季節は巡りヒトガタも一端の恋人になれただろうか。
ぼくの鼻先に丁度よく花びら。
何気なく舌でそれを持ち上げてみる。
「ちょっと雄介待ちなさいよ」
「卒業だな。僕は東京に帰る。残念だが今後君と会う機会はない。よければさよならのキスでもしようか……と、昔の僕なら言ったところだが……君は今、母上と別れてきただろう。僕は彼女に頼まれて君を探していたのですよ」
後半、気取った口調になった僕に彼女は鼻白むも母と聞いて遅れてきた反抗期のような態度を取る。
嫉妬は興味を生んだ。
妬みは羨望となった。
喜びを知った。
叶わぬ悲しみを理解した。
正義や悪に囚われる妄執もまた良いものと学んだ。
ただ、凪いだ海のように心安らかに。
それでは人は生きてはいけない。
理不尽に抗う正義の怒りも人生には必要だと感じる。
「裕子。僕は初めて他人に心から怒りを感じている」
「はい? な、何をバカ言っているの」
哲学の道で立ち止まっている僕らを迷惑そうに人々が避けて通る。桜もそろそろ見頃だろうに。
「僕を侮りすぎだ。君がどのように辛辣な言葉を投げようと僕は揺らがない。だから君は僕の前では自由であって欲しい」
「……マジ意味不明なのだけど」
戸惑うそぶりを見せる彼女は僕の表情を伺う。
うむ。その様子は確かに『かわいい』。
僕は一言一句今までの観察記録をランダムに述べていく。
例えば聞かれてもいないのに他の級友と一人暮らしの話をしていた時に割り込んできたこととか。
「『私、料理得意だよ』『この程度のレジュメもできないの』『掃除はこうやって作業を分けた方がいいよ』」
自慢。虚栄。そして自己顕示。その全てを晒されて彼女の頬が怒りの色に染まっていく。
「こうして君の今までの言動を列記して改めて感じた。君がかわいいと。これからも友人でいてくれ」
そうして彼女が怒鳴る寸前のタイミングで頭を下げて見せた。
「ばっかじゃない!」
彼女は振り上げた拳の行き先をなくして別の意味で赤くなっている。
「おや、頬が赤いが風邪かな」
「こらこら近づくなあんた?! あ、いいとこに来たお母さん助けてこいつに襲われる!」
哲学の道の砂利を踏みながらひょこひょこと小柄な女性が近づいてくる。
彼女と彼女の母が孤独な僕にこころをくれたのだ。
「もう。ゆうちゃん。雄介さんを困らせて」
「困らせてない! こいつが困らせているんだ! こら雄介笑うな!」
怒って憎んで心から笑う。
人が生きるということは、きっと美しいのだ。
僕はコロロをどこかに置いてきたと思っていたが、それは間違いだったようだ。
こんな僕を僕が愛する。
かくも不思議なこの世を、彼女を、彼女の母を。そしていつか生まれる小さな命を僕は愛し憎むだろう。
それは退屈なる心の平穏より、きっと楽しいのだ。
「あはははは。あーははっは」
「わーらーうーなああああ! もう母さん最近雄介がからかったり笑ったりするようになってほんとむかつく!」
僕らは連れ立って歩いていく。
「じゃ、詫びに天下一品でもおごろう」
「さらっとデートに誘うな!? 詫びと言いつつあんたにしかメリットないから! 嫌に決まっているでしょう! 声優志望のダイエットの敵よ敵! って母さん財布出さない! あと王将も嫌だから! あそこの親父さん手伝えば学生タダやっているから頭上がらないもん! 父さんたちの恩人でもダメったらダメぇ!」
ぐずる彼女の卒業証書と自らのそれを二つ左の小脇に抱え、彼女の手を右手で引く僕らの姿に彼女の母上が笑っている。
「あらほほえましい」
しっかり歩きなさい。転んだらおぶる刑をするぞ。
『声が聴こえる』の登場人物たちが登場しますが、過去編というよりパラレルワールド的な別の物語として鑑賞ください。




