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夢幻の少女ラクラス  作者: 明帆
第三部 リエージュ編 - 第一章 霧の都

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第七十一話 祈りの言葉

 司書クラウディア。

 彼女が使う特殊能力『揺らぎの祈り』と古代魔法『零環(レイカン)の理』。

 それこそが、天冥の樹が遥か昔に刻んだ記憶を揺り起こす、唯一の手掛かりだった。


 天冥の樹も、穢れの根源も。

 すべてはこの深層の根に繋がっている。

 そんな確信めいた予感さえあった。



 深層は、結晶柱から放たれる魔光に照らされ、薄く明るい。

 光量を調整しなくても、周囲ははっきりと見える。

 思ったより、ずっと明るかった。


「フィリエル、いるんでしょ? 導いてくれる?」

「わかった……。記録の登録は済ませてある」


 空間を縫うように光が裂け、少女が現れた。

 淡い青の法衣と外套。杖を手にしたフィリエルだ。


 銀糸のような髪。澄んだ天色(アマイロ)の瞳。

 でも、以前とどこかが違うような……。


 背後では二体の光の妖精が揺らめいていた。

 魔光の反射で、灰銀の髪と青灰の瞳が淡く輝いている。


「あなたが案内人でよかったわ。話が早くて助かる」

「ここは魔術の根源を記す場所。記憶と魂の回廊を読むのがフィリエルの役目……」


 見た目が変わっても、声は前と同じだった。

 それだけで、ほっと胸をなでおろした。


「 “ 起源 ” って、つまり……」

「ええ。リエージュが『魔石』と『記録』の国になった理由。この大樹の都こそが、その始まりなの」


「フィリエルは、この地の秩序を導いている……。覚えておいて。クラウディア、本を起動して……」


 クラウディアは息を整え、手を伸ばして古びた魔導書に触れる。

 すると、本の表紙が淡く光を帯び、魔力が注ぎ込まれていくのが分かった。


 次第に満ちていく魔力に呼応する結晶柱の光が増した。

 霧が螺旋を描き、天井の魔紋がゆっくり回転しだす。


 刻まれているのは『古代ルナリア』の祈りの言葉。


 “ 魂は光に還り、穢れは眠りへと帰す ”


 文字置換の魔法で解析すると、刻まれた文字にはそう記されていた。


 文字を読み解いたその瞬間、光の中に黒い影がひと筋混じった。


「……穢れている」


 ニアが小さく呟いた。

 (テノヒラ)が震え、皮膚の下を光が走り、青い紋様が浮かび上がる。


「ニア!」


 思わずニアに駆け寄ろうとすると……、結晶柱が静かに割れた。

 中から噴き出したのは黒紫の(モヤ)

 それは形を持たず、不気味に(ウゴ)めいている。


「下がって!」


 フィリエルが詠唱を始める。

 祈りの言葉が空気を震わせ、光の紋章が周囲に浮かぶ。

 すると、喰らうように靄がその光を包み込み、紋章を次々と消してしまった――。


「……だめ、反応している!」


 ニアの体から漏れ出る穢れた光が、靄に引き寄せられるように伸びていく。

 私は迷わず彼女の手を掴んだ。


「ニア、離れて!」

「……無理。これは、あたしの――中にある “ 穢れ ” が、呼ばれている」


 声は震えているのに、瞳は動じていなかった。

 ニアは息を整え、前へ踏み出した。


「この穢れ……ここにも封じられていたんだね」


 靄の中心に近づくにつれ、霧が渦を巻く。

 フィリエルの詠唱が止まり、代わりに息を呑む音がした。


「待って、それは “ 封印の記録 ” 。下手に触れれば――」

「危険……だな。でも、これは私の中にもある。……逃げるだけじゃ、何も変わらない」


 靄の中の影から形が生まれた。

 輪郭のない黒。紅い目だけが、闇に浮かぶ。

 ――まるで言葉にならない “ 記憶 ” の塊のようだった。


 フィリエルが咄嗟(トッサ)に光の魔法を放った。

 古代語でどんな魔法を使ったかまでは分からない。

 魔力が空気に溶け、静かな波紋を描いていく。


「穢れよ止まって――お願い」


 光と影がぶつかり合う。

 空気が震え、結晶柱が悲鳴のような音を上げた。

 ――そして、すべてが止まる。


 靄は霧散(ムサン)して、静寂が戻った。

 ニアの体の紋様も消え、呼吸が落ち着いていく。


 結晶柱は光を取り戻し、穏やかに脈動を刻み始めた。


「……今のは?」


 お姉ちゃんの声は震えていた。

 フィリエルが深く息を吐く。


「 “ 封印の残響 ” ……。この国の根に沈んでいた穢れ。ニアが触れたことで、ほんの一部が呼び覚まされた」

「……つまり、ニアの中にあるものと――」


 クラウディアが静かに答える。


「同質。けれど、あなたたちが抑えた。これは、浄化への道がまだ残されている証よ」


 私はニアの手を握る。

 その掌は雪のように冷たかった。


「……怖かった。けど、少し分かった気がする」

「何が?」

「穢れって、すべてが “ 悪 ” じゃない。もともとは、この世界の循環の一部。ただ、流れを止められた時に、痛みになるだけ」


 フィリエルの瞳が揺れた。


「君は “ 魂を視る者 ” なの? その感覚を失わないで。クラウディアも、きっと同じ答えを探している」

「…………」


 クラウディアは何も言わなかった。


 穢れは、まだ消えていない。

 それでも――確かに道はひとつ見えた。


 『リエージュの起源』にまつわる哀しい物語。

 それに触れれば、もう後戻りはできない。

 それが希望となるか、深い絶望に沈むのか。

 決めるのは、私達。


 迷いはない。

 信じた道を進むだけ。


 ――ニアを(ムシバ)む穢れの浄化は、私達できっと。


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