第二十五話 動き出す歯車
「おい、そこの黒いの」
「何回同じことを言わせるんだ! あたしにはニアって名前がだな……」
「あ、台所によく現れる巨大なGだと見間違った。ごめん、ごめん」
「てッめぇ! 毎回毎回ワザト……。喧嘩売ってんのか?」
「ララちゃん、ニアが怖い……」
と、そっと、私の後ろに隠れるお姉ちゃん。
「こら、ニア。ダメだよ。お姉ちゃんに何したの?」
「いあ、あたしがメルトに突っかかられてだな……」
「お姉ちゃんがそんなことするわけないでしょ。いくらニアでも怒るよ――」
月亭でひと月の休暇を貰う許可を得た私とニアは、セイントルミズのお姉ちゃんの所に遊びに来ていた。
例の魔導通話機も渡せて、お姉ちゃんも大喜び。
セイントルミズに到着してから一週間。お姉ちゃんの家にお泊りして、私達は束の間の休日を謳歌。
お姉ちゃんとニアもすっかり打ち解けて、とても仲良し? まあ、なんというか喧嘩する程仲が良いとかいうあれだ。
お姉ちゃんとニアはいつもこんな調子。
「ほら見たことか。ニアはいつも乱暴だから怒られる。少しは女の子らしいこのメルト様を見習うべきだゾ!」
「だから、あたしはメルトに何もして……」
「二、ア……?」
冗談だと分かっているとはいえ、お姉ちゃんのことになると私は少々我を失う。
「お、おい。待て、待て、ララ。目が怖い。お前が怒ったら、あたしは死ぬって……」
私は、抑え気味にニアと話をしようとしていただけ。抑え気味に……。
何はともあれ、ニアの焦った様子に気付いた私は冷静さを取り戻す。
「メルト、お前覚えとけよ」
お姉ちゃんはニアにベーっとしている。その姿も実に愛らしい。
「ところでララちゃん。例のあれ、気になる噂を耳にした」
「どんな噂?」
「この国で、出身地不明で存在の有無を囁かれている人物はおおよそ二人……」
「聞かせて」
「うん。一人は、魔導通信機を始め、この国の先進技術はこの人なしに成り立たなかったとさえ言われる天才科学者ギリアム・オニキス? そして、もう一人は、国家機密にして普段決して表には現れない国家の最終守護者、アリヴィエール・リアネス。その者を知る極僅かな人々には、『白銀の剣姫』と呼ぶ人もいるとかいないとか……」
ギリアムにアリヴィエール……か。うーん。名前を聞いてもボーロ・レイ消滅時の不穏に繋がる手掛かりになるかどうか分からない。
「お姉ちゃん、年齢や特徴とか分からないかな?」
「アリヴィエールについてなら数人からこんな話を聞いたよ。見た目は幼さを残してはいるけれど、大人びた線の細い色白の可愛い白銀の髪の少女。どんな深海よりも深く、底が知れない、吸い込まれてしまうと二度と地上に這い戻れない気にさせられてしまうアクアマリンの瞳が特徴的で、とても穏やかで聡明な女性らしい。二つ名で白銀の聖女と呼ばれているとかいないとか……。ギリアムについては何も情報が掴めなかった」
「お姉ちゃん、ありがとう。これだけ調べるのもとっても大変だったでしょ?」
「とんでもない。他でもないララちゃんの頼みだから張り切らないわけにはいかないし。そ・の・か・わ・り……。お礼は身体で返してもらおうか。グヘヘ」
「おいこら。調子に乗るなよ、メルト。ララもそんな変態放っておけよ!!」
「じゃぁ、今度私のエスコートでお買い物に行こう!」
「って、そういう『身体』って意味か。理解していないのはあたしだけ……」
「ほぉ。Gはどんな想像した。言ってみろ! ま、まぁ……。実は私もそのなんだ。そっちの意味で言ったけどさ……」
また、二人で何か話しているみたいだけれど、私の結論はこうだ。
「存在していれば、将来のためにギリアムにも会ってみたい。でも、それより何より、アリヴィエールについて。複数の証言から存在している可能性が高そう。それなら継続して調べるべき」
お姉ちゃんが調べてくれた情報は、結論、求めていた情報そのものとなった。
休暇を満喫した後、シャルロットに帰還した私とニア。
私達は、お姉ちゃんが調べてくれた情報を便りに、セイントルミズで国防に携わり実績を残してきた人物、コルベットに助けを求めた。
彼からは、事件の核心に迫る話を聞くことができた。
その結果、事態は急展開を迎えることになった――。
コルベットからは、この件は深入りしない方がいいと止められている。
幾ら私が戦うことに優れているとはいえ、裏で糸を引いていると思われる相手はそれさえ超えていてもおかしくない実力者なのだという。
万が一戦いになれば、ただでは済まされないという覚悟はしておこう。
ニアは、私の想いを汲んで背中を押してくれている。
共に真実を見据えると言ってくれた。
――コルベットの話によると、シフォン国の国防は、文武両道であらゆる能力に長けた英才集団で構成される要人警護と、武勇に長けた人員で構成される国家警護の現場部隊二組織で編成されており、その上に二つの組織の指揮・管理を執り行う国防本部、つまり事務局が置かれているとのこと。
序列は、高位から国防本部、要人警護、国家警護の順となり、要人警護と国家警護の間には天と地程の越えられない壁があるらしい。
国家警護所属の職員が高位に昇進した時、国家警護職が自らの立場を理解するために、要人警護の下位の職員と手合わせをする機会が設けられ、実力差を把握させられるらしい。
その職位に着くまでは二つの組織間の関わりは一切持たされないのが通例とのこと。
とはいえ、この序列の話は、国家警護の上官から下位職員達に度々されるため、ただの社交辞令に過ぎないというのが彼の話。
コルベットの場合、その手合わせの機会で、その余りの絶望的実力差を見せつけられ、躊躇なく棄権したらしい。
その中でも異彩を放っていたのがアリヴィエールであり、現在、要人警護序列第二位にして国防本部副指令に在位する稀代稀の才女。その筋で有名な話だそうだ。
序列最上位にいないのは、経験と年齢、それが理由と囁かれていて、武勇に関しては右に出る者はなく、頭脳にしても国家でも有数な水準にあると専ら理解されているというのが皆の共通認識とか。
それでいて容姿も性格も良いと評判なのだから、同じ女性としてズルいとさえ思う。しかし、それは今、どうでも良い話。
シャルロットの任に着く前、コルベットが、セイントルミズで立ち会った国防歴の中で脳裏に鮮烈に焼き付いて離れない出来事があり、それがアリヴィエール襲撃事件だと教えてくれた。
それは、今から六年前。ボーロ・レイが消滅して一年の月日が流れた頃、年の頃七歳の無名の少女アリヴィエールが要人警護の組織に配置されて間もない時の話。
強くて博識であったとしても、実績もない幼い少女が突然エリート組織最上位の序列に配属されれば国家に長年尽くしてきた者達から反感を買うものであり、組織の足並みが揃わなくなるのは自然の流れだった。
この組織改編に伴い内部でクーデターが起こることを想定して、周辺警護の任をコルベットは受けていた。
そして、偶然にも要人警護員数人からアリヴィエールが襲撃されている現場にコルベットは居合わせてしまったらしい。
それは冬の寒い日の早晩のことで、満月が綺麗に夜空で光を放っていた日のこと。
アリヴィエールは、何が起こったかも分からない間に襲撃者全員を一度に気絶させてしまったらしい。
その時、月明かりに照らされていたアリヴィエールは表情まではっきり見て取れたそうだが、『あの時の恐怖が今でも忘れられない……』と、コルベットは珍しく熱を込めて語っていた。
深海を映す青い目からは寒気を帯びるような極寒の冷たさが溢れていて、背筋が凍るどころか恐怖の余り呼吸すら出来ない程の重圧を感じたらしい。
気絶した者達は皆、この世の絶望を見たような表情をしており、その顔の悍ましさに吐き気を催したことを今でも昨日のことのように思い出せるとか。
凄まじく凄惨で、残酷な現実を目の当たりにしてしまったとコルベットは語っていた。
『それなのに、その時の彼女は、この世のどんな真理さえ覆してしまいそうに神々しく、どんな宝石でさえ霞んで見えてしまう程綺麗に輝いて、少しでも触れてしまえば壊れてしまいそうな雪の結晶の様にか細く、どんな花より美しく、純粋で、ほんの少しでも風が吹けば散ってしまいそうな程可憐で、この世に存在する全てが彼女を中心に創造されたと錯覚してしまう程、ただただ言葉で表し尽くすことのできない存在感を放っており、魅入ること以外何もできなかった』とも……。
コルベットの実力では全く歯が立たない者達を遥かに凌駕するどころか、その心まで一瞬で破壊してしまう者がいたのだから、それが想像を絶する経験になったと説明するのに言葉等必要ない。
その彼女が敵になるか味方になるかは分からない。
ひとつだけ言えること、それは、私が『私の物語の始まりに何があったか真実を知りたい』ということ。
私は、この海色の瞳の少女からは逃れられない定めにあることを確信している。
髪の色は違っても、その空色にも、水色にも似た澄んだ瞳、年の端、名前……。
本人に会わないと真実は分からない。だけど、そんなはずがないって考えは捨てるべき。
貴方なの? アリヴィア――。




