2 滞在一日目・朝③
『侍女として』エリアーナを、護衛としてタイスンをつれ、わたくしは、お世話係である神官に導かれて宿泊所から大神殿内部へ向かう。
「すでにご存じでいらっしゃいましょうが」
まだ少年のように若いお世話係の神官は、緊張に少し顔をこわばらせながら言葉を紡ぐ。
母国語のようになめらかとまでは言えないが、十分達者なラクレイド語だ。
「我々の大神殿では、早朝・昼前・夕刻の三回、大広間と呼ばれる祈祷の場所で、神へ祈りを捧げます」
こちらでは、『神』を『レクラ』と呼ぶ。
ただ、我々大陸の人間が捉えている『神』と、レーンの『レクラ』はやや意味合いがずれるのだそう。
こちらの第三位の神官だった母君を持つアイオール陛下は、幼い頃に母君から直接、この辺りのことを少し教わったそうだが……結局よくわからなかった、と苦笑いをなさっていた。
我々にとって『神』とは創造主を指す概念だが、彼らの『レクラ』は『この世に始めからあるもの』であり、かつ『この世のすべて』を指すのだという。
『レクラ』がこの世を作ったのではなく、始めからあり終わることなくあり、永遠にあるものが『レクラ』だと。
そして、たとえどんな姿形になったとしても『レクラ』は『レクラ』であり、決して消えることはない、と。
そういう概念らしいが……正直、よくわからない。
『大広間』……レーン語で『チャータリアン』には、すでに数人の神官たちが、それぞれ楽器を持って集まっていた。
「祈祷の楽に、特に定まったものはありません」
見学のための席に着くと、お世話係の神官は言う。
「まずはレクテナーンがその日の『レクラ』に相応しい楽を奏で、その日の『レクラ』に相応しい歌を歌います。歌は数種類ありますが、場合によれば言の葉に頼らず音階を歌う場合もあります。他の者たちは、それによく響きあう楽を奏し、響きあう歌を歌います。そして祈祷に必要なだけ奏でられれば、祈りの楽は自然に収まるのです」
ラクレイド語の概念にない事柄が色々あるのだろう、彼は、ややたどたどしいながらも一生懸命、こちらの理解が及ぶように説明してくれた。
つまり、ある種の即興演奏のようなものだろうかとわたくしは、曖昧にうなずきながら思う。
おそらく違う(もっと敬虔で真面目なものであり、奏者自身の楽しみやお客の為に奏するものとは根本的に違う)のだろうが、今のわたくしにそれ以上の理解はむずかしい。
「まもなく始まります。実際に見て、聴いていただくのが一番だと思います」
そう言ってほほ笑む彼の瞳に、誇らしそうな光がかすめる。
ああ、この人は神官なんだな、と、改めてわたくしは思った。
広間の中央で座り、竪琴の調弦をしていた青年が、スッと立ち上がった。
体幹のブレのない美しい立ち姿。
レクテナーンだった。
昨日の、レクテナーンとしての正装ではなく、神官としての普段通り簡素な装いであったため、わたくしはそこにレクテナーンがいらっしゃるのに気付かなかった。
自らの迂闊を恥じる。
竪琴の弦が、意思の持った彼の指先で弾かれる。
基本の音、とされる音が、さざめきの残る広間に広がる。
「ラァ……アアア……」
喉を振るわせ、あふれ出る声。
大きい、訳ではないのに。
この広い祈祷の場の隅々にまで、彼の声は広がる。
周りにいる神官たちも、それぞれに楽器を奏で、唱和する。
「めぐりあう めぐりあう
やがてはいつか めぐりあう
めぐりあい 響きあい
やがては安らかに満たされる
世のすべてはレクラの変遷 レクラの変遷なのだから……」
古語まじりのレーン語で歌われる歌詞。
わたくしは頭の中で意味を追う。
歌詞の意味合いとしてはこんな感じであろうか?
繰り返しが多用される異国語の旋律は、不思議な呪文めいて聞こえる。
「めぐりあう めぐりあう
やがてはいつか めぐりあう
めぐりあい 響きあい
やがては安らかに満たされる
世のすべてはレクラの変遷 レクラの変遷なのだから……」
「……あの方は不吉だ」
呟きにしては大きい、そのくせ、わざとらしくひそめた声が不意にわたくしの耳朶を打つ。
視線だけでそちらをうかがう。
『詣で服』と呼ばれているらしい、俗人が大神殿へ正式に詣でる際の簡素な服を着た壮年の男が、何故か薄物のヴェールで髪と顔の左半分を隠した、下位の神官らしい少年を連れて立っていた。
タイスンの肩の線が揺れる。
警戒を誇示することで牽制する、というところだろう。
男は人の良さそうな笑みを浮かべ、両腕を胸元で組んで頭を下げた。
静かに誰何するタイスンへ、男は恐縮したようにさらに頭を下げた。
「ラクレイドの暁の君 フィオリーナ殿下。お初にお目にかかります。私は第五位の島にて島長を務める者でございます。田舎者でございますので礼儀がなっておりませんでしょうが、何卒ご容赦を」
ところどころにレーン訛りはあるが、正確なラクレイド語での挨拶だ。わたくしは形だけほほ笑み、
「頭を上げてください」
とレーン語で、小さな声で彼に許しを与え、続けてこう言った。
「祈祷はまだ続いておりますよ、五位殿。お話は後ほど」
男は驚いたように頭を上げた。
どうやら彼は、ラクレイドの王女がレーン語を解するとは思っていなかったようだ。




