色鬼の力
暗い所に立っている。
本当に、何も無い。
不思議と恐怖は感じなかった。
だが、何故こんな場所に立っているのか分からなかった。
すると、上から白い手が伸ばされる。
病人の様な、白くて細い女の様な手。
もしかしたら、女なのかもしれない。
その手を掴んだ。
手は、酷く冷たかった。
「ぐっともーにんぐです、師匠」
桃太郎の顔が目の前にあった。
だが、それを突っ込む余裕はなくて、酷く虚無感と疲労感が広がっていた。まるで、絶望の様に。
「…此処は?今は何刻?」
「此処は、島原。朱菊さんのお店の一部屋。卯の刻ですね」
ちらりと障子の方を見て、桃太郎が言う。
よく見れば、ところどころ包帯が巻かれていた。
「鬼菖丸…満ちゃん達は?一体、どうして此処に居る?お前、その怪我…大丈夫なのか」
「鬼菖丸達は、疲れているのでしょうね…寝ています。夜は中々寝付けなかったようですから。
暴れていた師匠と、戸惑いながらも、動けない満さん達をなんとか誘導し、此処まで連れてきたんですよ?…全く、この怪我の大半は、師匠がやったんですからね?今度、飴でもおごってもらいましょう。
…ちなみに、腕にヒビ。頭は、打った拍子に血が出てきたので…。紅鶯達からの傷は掠り傷程度でした。父上は、今解毒の最中」
「暴れた…俺が?そんな力も、『色無』にはないさ」
皮肉を込め、あざ笑うかのように言うと、桃太郎は小さく溜息を吐いた。
「…色々と、御傷心のご様子で。私は、慰めませんよ。『自業自得』の結果ですから。
…精神科ではありませんけど、お医者様に見てもらいましょう。では、私はこれで」
傍に置いていた鴉を、持とうとして諦め、そのまま置いていく。
「兄さん…大丈夫?」
懐かしい声がした。
もう、聞くことはないだろうと思っていた弟の声。
「後は頼みましたよ」
ぼそっと桃太郎が呟き、弟…燕は小さく頷いた。
「全滅じゃなかったのか…おいっ!桃」
桃太郎は振り向かずにさっさと行ってしまった。
「実はね、『色無』のことは、予測していたみたいで…。妖陽っていう妖怪を倒した後、おそらくは事がばれ次第、斬首らへんの刑が一族に下るだろうって。
けど、一族の皆は黒鬼の話…全然信用してくれなくて…。確か、雅さんだったかな、それと桃太郎君が交代交代に説得に来てくれてね…?けど、結局、彼等の話を信用して従ったのは僕と姉さんだけだった」
「じゃあ、お前達、二人しかいないのか?」
こくりと燕は頷いた。
「姉さんは今、朱菊さん達と一緒に手当の手伝いをしたり、買出しに行ったりしてるから心配しないで。兄さん、聞いてくれる?桃太郎君から聞いた話…。『色鬼』のこと、兄さんの身に何が起きたのか」
黙って頷くと、まるで物語を聞かせるかのように燕は話しだした。
そう言えば、昔はよく朗読会的なものを懲りもせず、開いてたっけなと少しだけ苦笑した。
「昔のこと。ある山奥に色の無い鬼の一族が居ました。その為、他の鬼からは忌み嫌われていたのです。
しかし、ある日、『嫌われ者の鬼』が私達を訊ねてきたのです」
嫌われ者の鬼は、私達一族に言いました。
ー力を貸してほしいと。
しかし、私達一族に、誰かを助けられるほどの力はありません。
すると、『嫌われ者の鬼』は言いました。
ーそれは誤解だと。
そして、『嫌われ者の鬼』は語り始めました。
元々、『色無』とは、何にも染められぬ鬼。
何にも、縛られぬ鬼。
ー彼方たちの感情次第で、彼方たち一族は世界最強の名を得ることが出来るでしょう。
そのおだてに乗り、我々一族はその『嫌われ者の鬼』に従い、一番感情豊かな子供の鬼を選びました。
一人で十分と、その『嫌われ者の鬼』が言ったからです。
そして、悲劇は起こりました。
燕の声色が段々と下がって行く。
「その子供の目の前で、その子の母親は亡くなりました。辻斬りに会ってしまったのです。
『嫌われ者の鬼』は言いました。やったのは、我らが討たねばならない敵による攻撃だと。愚かな鬼の一族は、こうやってゆっくり、じっくりと殺めていき、追い詰めて行くのだと。」
その子供は、今までにない激しい『怒り』を覚えました。
自分の身が焼かれてしまうのではないかと思うほど、熱く赤く…。
そして、その子供はその一族全てを焼き尽くしました。
だが、その時気付いたのです。
この一族に、そんな強者などいなかったことを。…その村には、刀や農具さえなかったのですから。
それを知った時、その子供は『怒り』と言う感情の境界を忘れてしまうほどの、狂気に似た感情が湧きあがってきました。
その子供が、やっと正気に戻る頃には、今まで暮らしていた村は焼け野原に変わり、今も煌々と赤い炎が爆ぜています。
そこには、『嫌われ者の鬼』も、優しかった村の鬼達もいません。だって、その子が全て燃やしてしまったのですから。
その時、その子は気付きました。
自分の身体が燃えていることに。
激しすぎた感情は、その子の器をはるかに超えるものだったからです。
身体から、赤い炎が次々と身を焦がしていきます。
「おしまい」
「お終い…なのか?それで、その後は無いのか?」
「うん、これでお終い。めでたくはないけど、こういうお話だから。教訓なのかな?ほら、欲深い人間は、その欲深さに溺れて死ぬ…みたいな。この子は、欲深かった訳じゃないけれど。
兄さんに起こったことは、桃太郎君直々に話して貰った方がいいと思う。紛い鬼でも、一応鬼だから、治癒能力が高いおかげで何とか助かったけど、少し危なかったからね。反省してよ、兄さん」
少し叱るような口振りで燕は言うと、去って行った。
「腕にヒビ。頭は、打った拍子に血が出ただけじゃないのか、鴉」
『なわけねーだろ。お前は暴走してて覚えてないだろうが、『色無』っていうのは、どの色にもなれる。どの色でも、自由に扱える。あの時のお前は、絶望と、悲しみと、怒り…その三色が混ざった鬼になってて、そりゃ、桃も驚いてたな。
あぁ、話が逸れた。んで、お前を止める為に桃が奮闘してたわけだが、火は吐くし、術も使うし大変だったんだぞ。…後、怪力もだな。おかげで、切り裂かれたところは、焼かれたように痛むし、骨は折れるし。…また傷が増えちまったじゃねえか。ああ見えて、かなりの重症だったんだぞ』
「こら。余計なことは言わなくてよろしい」
コツンっと、軽く『鴉』を叩きながら桃太郎が言う。
どうやら、障子の隅で待機していたようだ。
「もう、動いて平気なのか?」
「大丈夫ですよ。手当してもらいましたし、満さんや、白欄さんにも助けてもらいましたから。
あと、お姉さんにも」
「白欄…って誰だ?」
ああ…と思い出したように呟いてから、桃太郎は言う。
「父上の妖刀です。『鴉』と、対の刀で治癒の能力があります。
ちなみに、満さんは白鬼なので、彼女が触れるだけで能力増加の効果もありますし、頑張れば傷そのものを癒せるのではないでしょうか。…とまぁ、感想は置いといて、師匠に起きたことをざっくりご説明しましょう」
「その前に、お前、親がいたなんて聞いてないぞ」
少しふてくされたように言うと、桃太郎は意地悪な笑みを浮かべて、頭を撫でる。
「そうですねー。父親面していた師匠には、少しばかりショックでしたねー。よしよし、拗ねない」
「お前、そのうち闇討ちにいくから覚悟しておけよ」
あはははっと桃太郎は、おかしそうに笑う。
「まぁ、心配は御無用です。…その、父上っていうのは愛称みたいなものですから。
本当の父親ではないんですよ?…多分」
「何だ、その多分って」
「前にも話したかもしれませんが、私は母親の顔さえはっきりと覚えていないし、それに会ったのは一回だけ。後に、父上…いえ、雅さんに聞いたのですが、私の父は誰だか分からないそうで。
ある日、泣きながら姉…私にとっての母が駆けこんできて、話を聞けば腹に子供がいるそうでしてね。
まぁ、それが私なのですが、まだ齢二十の母にとっては大変ショックだったんですよ。
そりゃ、好きでも無い男性の子供を孕んだのですから、当然でしょう。
最初は、母も私を生むのを拒んだそうです。当たり前と言えば、当たり前ですが。
けど、父上…じゃなくて、雅さんは母に産んでほしかったんです。理由は知りませんけど。
誰の子でも構わない…面倒は自分が見るからって。それで、私が誕生した訳で、父親には一回も会っていない…と思います、はい。
…雅さんは、母の弟でして私にとっての叔父に当たる方です。父親いなかったので、雰囲気的にいつのまにか『父上』って言う様になりましたという話でした。おしまい」
「まとめとして、それで良いのか?」
「それしか、良いまとめが思いつかなかったもので」
というか、こいつが此処まで自分の事を話すのは十年間一度も無かった訳だが、今日はいつになくよく喋る。満ちゃん達と出会って少し変わってきているのかもしれない。
「変わったな…何か、丸くなった」
「本当ですか!?いやー、満さんとか、鴉に軽い軽いって言われてたから、最近頑張って食べてたんですけど。これで、少しはマシになりましたかね」
けして、体重の事を言ったわけではないのだが。まぁ、良いとしよう。
「あっ、師匠。最後にひとつだけ、良いですか?」
部屋を出て行こうとした桃太郎が、ふいに立ち止まる。
そのまま振り返り、冷めた笑みを浮かべながら言った。
「師匠、もうすぐ……ますね。あっ、でも、もう成らないなら大丈夫かもしれませんが。まぁ、その人の運次第ですね。忠告しましたよ?…手遅れかもしれませんが」
「ん?何て言ったんだ?もうすぐの後」
「いえいえ、聞こえなかったならそれで良いですよ。それではさよなら、師匠」
「あぁ。またな」
もう一度、桃太郎が振り返る。
その顔は、氷の様につめたい。いや、無表情と言うべきだろうか。
しかし、すぐに愛想笑いを浮かべると、えぇ、また。と手を振って去っていく。
先程と同じように、鴉を置いて。
『まぁ、こればかりはどうしようもないしな』
鴉が、小さく呟いた。
桃太郎が呟いた言葉の意味を理解するのは、もう少し先の話。




