春の訪れ
安らかに眠るような、その顔は。
苦痛など、『死』さえ感じさせない、本当に穏やかな表情。
口元に淡い微笑を浮かべ、涙の雨が止んだその後は、彼の魂を包む様な優しい日差しが彼を照らしていた。
何も…誰も居ない村には、二人の客が居た。
今はお互い沈黙し、心優しき青年へ哀悼を捧げている。
黒き衣を赤く染め、泣いたのであろう腫れた目元を、自分の冷えた手で冷ましながら、隣に寄り添う少女に説明する。
悲しいこの村の真実と、その悲劇を。
「満さんがこちらの村へ来る途中、『赤鬼』が現れたでしょう?
あの鬼は、今私が斬った青年のニ番目の兄上です」
この村に元々あった風習。
そして、後に信教者によって伝えられた『贄』の存在。
「キリスト教、仏教…さまざまな宗教があります。この村にも、この村独自の宗教じみた儀式がありました。といっても、ただ単に季節の巡りと、収穫を感謝する祭りです。
あの姫巫女も何度か訪れたことがあるんですよ。しかし、大飢饉が起こってからというもの収穫はままならないし、姫巫女は行方不明。
生き続けることもままならなくなった村人たちの所へある信教者が訪れました」
それはどの宗教とも違う、異彩を放ったもの。
「それが、『贄』ですか?」
「はい。まともな判断が出来なくなった村人たちはその宗教を信じ、『贄』を捧げることにしました。
しかし、肝心な時にその宗教信者が消えたのです。
困った村人は、自分たちの村に伝わるもう一つの風習に従ったのです」
それは、生首を捧げること。
生きたものの首を狩り、祭壇に捧げる。
そうすれば渇いた川はたちまち元に戻り、痩せた大地はまた肥える。
「しかし、まだ問題はありました。誰を『贄』に捧げるかという重要な問題が…。
村人は考え、そしてある結論へ至った」
ー村で一番偉い者を捧げよう。
「その時すでに村長は亡くなり、その息子である長男が選ばれました。
村を救うため…村人はすでに正気ではなかったでしょう。明日、死んでしまうかもしれないという命の危機に怯えるあまり。そして、最初に捧げられたその『贄』は、幸か不幸か雨を降らせました」
数十年後…やがて大地は痩せ、川は干上がった。
「またこの様な儀式が行われても、何の確証もなく悪戯に命が失われるだけですからね。
二男はそのことを知っていました。『ただの偶然に過ぎない』と…。
しかし、村人が聞き入れるはずがない。けど、あのような事は起こしてはならない。
家族を理不尽に失くした、そのぶつけようのない…理解を得られない怒り、憎しみ。
元々、兄弟で仲良く助け合って生きてきたんでしょうね。だからこそ、繰り返す訳にはいかなかった。
しかし、村人は彼が『贄』となることを拒み密かに逃亡の準備を企てている事を知り、犯してもいない罪を被せ、投獄。下手人…いえ、『贄』として斬首も決まっていましたが、執行の日に逃げ出した」
怒りと憎しみは彼を『赤鬼』へ変えた。
「村への復讐ですか?」
満が尋ねると、桃太郎は静かに首を振った。
「彼の怒りと憎しみは、村人をこんなに狂わせた宗教信者と、私利私欲の為に勝手な判断を下した一部の村人。実際、赤鬼により暴走した村人に会いました。私が手を下さなくても、そのうち魂ごと散ったでしょうが。しかし皮肉なことに私が、かの赤鬼を斬った晩、彼が制裁を下した村人の一人がその血肉を食い、力を得た。本当に、酷い世の中ですね」
溜まっていたものを吐き出すように、桃太郎は一気に喋った。そして深呼吸する。
「…最後に、どうすることもできなかった自分へのものです。だから、最後は自我を失った。本当は、人に戻すつもりでしたが、無理みたいで。とっさに斬ったけど、間に合わなかった」
桃太郎の話によれば、『紛い鬼』となった者の末路は、魂が完全に削られ自然消滅を迎えるらしい。
あの時、黒い霧となり霧散したのは、自然消滅…つまり、魂が完全に削られたからということだ。
段階があるらしいが、結局は天へ昇ることもなく、地に堕ちることもない…初めから無かったこととなる。
「あの紛い赤鬼の記憶…もとい、あの青年の兄上の記憶は徐々に我々の記憶から薄れ、彼の残した痕跡、生まれた記録さえも跡形もなくなくなるのです。不思議なことに。まぁ、本当かは分かりませんが…」
「桃太郎は、その噂を信じてるのですか?」
「そう言う訳ではありませんが…、万が一ということも考えて…」
「ふふふっ…桃太郎は信じやすい、いい子ですね。知らない人には着いて行っちゃ、駄目ですよ?」
「分かってますよっ!もう、そんな歳じゃないです」
焦る桃太郎を横目で見ながら、ちいさく笑う。
弟をもったようだと少しだけ思った。
「ところで、あの青年さんと何か話してませんでしたか?」
すると、また桃太郎は目を潤ませた。案外、涙もろいのかもしれない。
「…『ありがとう』って、感謝されちゃいました。お兄さんと同じく。…あと、約束を一つ」
静かに立ち上がり、空を仰ぐ。
いつの間にか青空が広がり、春風が髪を弄びながら去ってゆく。
ー村人の皆を、弔ってほしい。
「心優しい鬼がいたものですね」
呆れたように、嬉しそうに。静かに目を閉じて。
そして、澄んだ声で歌いだした。それは、彼なりの『弔い』。
哀愁を帯びたその声色はどこまでも美しく澄んでいた。
そして、冷たく寂しいこの村にどこまでも響き渡った。
冬の寒さは終わりを告げ、温かな春の日差しが村を包む。
「あっ…」
御神木の側に三人。
遠すぎて、人影だけが辛うじて分かる。
微笑んでいる…そんな気がした。そのあと小さくお辞儀し、満がまばたきした後には消えていた。
それが、あの三兄弟の御霊だったと確信もなく思う。
「どうしました?」
弔いを終えた桃太郎が不思議そうに訊ねてきた。
それを曖昧に返し、村をあとにする。
『魂は消滅し、存在しなかったことになる』
桃太郎の言ったことが真実なら、そんなことはあり得ないのだ。
満はもう一度だけ振り返る。
しかし、あの人影が見えることはなかった。
「帰りましょうか」
背伸びをしながら桃太郎が言う。
その顔には、迷いや後悔など微塵もない。
「えぇ。帰りましょう、兄様も待ってます」
誰も居なくなったその村で、その後ろ姿を御神木だけが見守っていた。
春の訪れを讃えるように。この村に光が溢れたことを感謝するかのように。別れを惜しむように。
その木に添えられた白い花は風に揺れ、少しずつ桜の花びらを咲かせてゆくその御神木には。
いつしか、三羽の仲良い鳥の兄弟が訪れるようになった。
結構長くなり、申し訳ございません。
まだまだ続きますので、よろしくおねがいします。
感想等ある方は、容赦なくどんどん送ってくれて結構ですよ。




