獅子身中の虫
いつの間に外界との一線を越えたのか、滅びた町からは魑魅魍魎はおろか風の気配すら消えていた。汚泥一色のカラクリ人形はナメクジが残す粘液のような痕跡を残すが、振り返ってみれば痕跡は砂塵となり消えている。あったはずの十字路は袋小路、瞬き一つで家の色は変わり、右を見ている隙に左でオブジェが増えている。
ともすれば不思議と見覚えのある道に気づき、正しい道はこっちだと確信めいた衝動にかられて何度フラフラ引き寄せられたことか。
「こっちだよ」
結界に惑わされる丸金の手を布引が掬い上げる。
望月は大きな掌に収まる小さな玉に封じられた娘と愛犬を複雑そうに見下ろしている。荒妻と違って封じられることを理解していたか極めて怪しいもので、つい最近まで監禁されていた茉莉の心証を思うと特に心苦しいのだろう。
大和が呆れて圧をかけるまで望月は娘の理解を得ようとあらゆる説明を試みていたいたが、後ろで見ていた丸金は知っている。茉莉はものの数秒で飽きて蔓で飾り結びを作る手遊びを始め恐らく聞き流していたであろうことを。ともすれば茉莉より知能が高い可能性を秘めているジャスミンも尻尾を振って調子良く「わん」と相槌を打っているが、陰陽術という未知の領域に対して何処まで理解できたか不安は尽きない。
「どうにか無害であると理解を得て早めに解放してやりたいところだが……」
最後尾に対して先頭を行く大和は聞き分けのない子供に言い含めるように妖怪というものを説く。
「語る口を放棄した変貌は永久に解けない鬱のようなもの。個人に執着し気配を覚え込まれることを憑りつかれたというが、鎌鼬も食人木も人を害する妖怪の一端。共存を望むなら判断を蝕む歪んだ認知で相対せぬことじゃ」
日夜、常人であれば失血死を免れない量を吸血されている自覚がまるでない親馬鹿である。知ってか執着か茉莉が食料にしているのは不死身の父親に留まっているため黙認されているが、人を食料としている茉莉の場合は調達先が亡くなった時には相当な修羅場となるだろう。
貝塚に貫かれた掌はダクトテープでは止血に至らず村上の服を赤く染め上げていく。致命傷でもおかしくない脇腹の傷に加えて治す暇もない連戦だ。流れた血液量も相まって限界は近い。
「それはそれとして短期間にC4直撃、全身熱傷、失血、生き埋め、刺突、俺なら五回は死んどるが? どうすれば望月ちゃんはくたばるの?」
どう見立てても誰より重症であるべきなのに完治しているかのように平然としている望月に釈然とせず村上が悪態をつく。それに仲前は諦観の境地で返してくる。
「寝た翌日には致命傷が治ってんのはもう変貌者なんよ。あいつ絶対に自動回復使ってるわ」
無傷といって良いのは布引くらいで、後は自分の足で歩いているのが奇跡的な満身創痍だ。望月は持ち前の狂った回復力で持ち直すのかもしれないが、村上と仲前に関しては情報を渡して即座に死神討伐に向かえば桐島と同じく途中で脱落する捨て駒としての参戦になる。それでも物資が貴重な基地において治療が見込めないとなれば村上と仲前は桐島と同じ選択をするだろう。
問題は伏せられている桐島の死を含め丸金が捨て駒の存在を受け止められない点だ。布引に手を引かれながら、どうにか無い知恵を絞って必死に大人の会話についていこうと教えを乞う少女は出会った頃より随分と歩くのが上手くなった。それでも失う覚悟を固める高見には至っていない。本人は己の弱さに劣等感を零しているが一桁の子供にそこまで求める大人は村上くらいだ。
人の死を受け入れられない丸金が不死身の男と最強の剣豪のカードを引いたのは豪運に尽きる。少なくとも裏切者は一人で済んだ。
勾月村で失った二本の指とナイフが貫通して血の気が失せた右手を見下ろして村上は薄笑いを浮かべる。
「なんにせよ死神をけしかけてる元凶が一番の雑魚だと解ったんだ。勝ち筋は見えた」
仲前は空を見上げる。
「そんじゃ何か? 俺はその雑魚に二年も振り回された雑魚未満お疲れさんってか」
「お疲れさん」
「われを先にぶちまわしちゃろか」
「いびせー」
一人ずつしか通れそうにない存在感のない狭い路地に入る。陽が遮られ薄暗く不思議と先が見えない。
はぐれようのない一本道で布引は丸金の手を離して先行する。不自然に長い路地の終わりがけにようやく見覚えのある基地を囲む高い壁が見えた。先頭の大和に対して布引は距離を詰めたかと思うと、壁を蹴って大和を飛び越えた。
聞き慣れた銃声が複数、弾道は避けようのない一列の路地に向けて隙間を縫い後方まで届くように撃ち込まれた。
目で追えるはずのない速度を残らず切り伏せ、破片の行く末まで壁や地面に逸らせる。彼女の後ろには一滴たりとも血は流れない。最後の弾は布引の眉間を通る前に舞うようにはねられ射撃手の耳元を小銃と遜色ない威力で通り過ぎていった。
「鬼神の如き切れ味、舞の如く退ける体術、見事なり」
布引の後ろから惜しみない称賛を述べた大和の身体が崩れ出す。
「ここまで来れば案内は無用。異質な姿で無用な不安を煽る必要もあるまい。わしは事が滞りなきよう勝間殿に先触れを出すとしよう」
老人の姿は丸金を振り返ると目前で汚泥そのものとなり土に還る。
未熟な半人前未満の丸金には到底使えない陰陽術の最高峰、これが本来の陰陽師だと見せつけられる。何十年も先を行き弛まず培われた技に対し、何を習熟したわけでもない丸金は格差におこまがしくとも劣等感を持つ。
荒妻が封じられた玉を両手で握り締める。
灰色の粘土に瓦礫を取り込んで固めた窓のない不気味な神社が増えていた。以前は車やテントでの生活を余儀なくされ傷病者用に開放していた場所。殺戮者候補としての扱いを受けていた彼らは死神襲撃後に耐え抜いた精神性をもって監視対象からはずれ第二市民権を得た。丸金達が監禁されていた血生臭い建造物ではあるが居住区で人らしく生活できるようになっている。
実際、治療がままならない世界で傷病者や身内は変貌しやすい。変貌した第三市民に権利はない。
「ぎゃっぎゃっぎゃ」
白黒の世界で絵に閉じ込められたような錯覚を起こしそうな屋内には座敷牢が立ち並び、返り血を浴び生前の服を着た変貌者が鳴いている。魑魅魍魎、妖怪変化の動物園だ。大人しい者が多く微動だにしない無生物のような物まで在る。
顔色の悪い望月の後ろには小銃を構えた自衛官が続く。扉の手前で「お疲れ様です」と座敷牢の中で壁にもたれ脱力してうつむいたまま敬礼する女自衛官の姿で遂にたまらず望月は振り返る。
「彼女はまだ人間じゃないか! この扱いはあんまりだろう!?」
「黙れ」
静かに拒絶したのは牢の中にいる女だった。軽く下から睨みつける顔の半分は憑き物に覆われ紫の肌に複眼だったが見覚えがあった。タイタンに呪詛を吐いた足の潰れた城壁の見張りだ。
先頭にいた大和は穏やかな笑みで振り返る。
「この国は殺意の低い妖を祀ることで偏りを調和し安寧を保ってきた。各地で歴史をもつ護国の象徴はこうした礎の元で建てられ、荒魂をありがたく拝んで安寧を頂く。身も蓋もなく言ってしまえば周囲で変貌する者が減る効率的な共生の道へ導いてやったのだ。好待遇まで議論する暇はない。対案がでるまで要らぬ藪を突くべきではなかろうな」
専守防衛に徹し変貌すれば即射殺。躊躇いが悲劇の連鎖を生んできた定形の無い未知なる化け物に対してここまで生き残ってきた部隊だ。殺さず身近におくだけでもどれほど説得を要したか想像に難くない。
茉莉はここに収監される条件を満たしている。封印より自由な個室といえば聞こえはいいが、生涯どのように扱われるか分からない地獄の回廊に娘が囚われる恐怖は望月を黙らせるのに十分な脅迫になるだろう。
そして、この難解に安易な正解など用意できない。
底知れぬ闇の最奥にある扉を叩く。
「勝間殿はご在室かな?」
返事を待たず大和はそこへ足を踏み入れる。仲前と村上も立ち止まることはなく、足が固まった丸金は布引に手を引かれて後に続く。苦渋に苛まれ拳を握る望月の背を銃口が押す。
「偽善者には理解できないだろうよ。私は自分の意思でここにいる。あんたみたいに人を壊すんじゃなく守るため最後までこの身を捧げるんだ。私はね」
かすれた声で狂ったように笑う女に返せる言葉はなく、望月は重い足で前へ進む。タイタンへの怨念が彼女を変貌させながら地獄で生きる希望に昇華させる原動力にもなっている。
扉が閉じると変貌者の騒々しさの一切が遮断された。白黒の部屋のデスクに一輪だけ飾られた季節外れの彼岸花が燃える様に揺れる。
目が落ちくぼみクマに縁取られた勝間は一層くたびれながらも相変わらずの力強さで低く凪いだ声を発する。
「報告には仲前三佐のみでと伝えていたはずですが?」
大和は大袈裟に嘆く様子で壁の一端に手をつく。
「無駄に変貌した者を殲滅したがる討伐部隊には説教より現場を見せるのが特効と熟考した故の事。許容されよ」
デスクから立ち上がることなく勝間は連行された一行を一瞥し、丸金に視線を落とすと隠すことなく眉間に深く皺をつくる。
ひりつく空気の中で仲前は腕を組むと鼻歌でも歌うように指でリズムをとる。何故この状況で挑発的な態度に出るのかと丸金は凍りつく。だが、この最高司令官は物を受け取るよう手を出すだけで不快も怒りも示さなかった。
「報告書を」
「はい」
どこから出したのか仲前は書類の束を勝間に手渡した。そんなものを作成する姿を一度も見たことがない丸金は驚いた。仲前は荒妻変貌の秘匿に何故か反対しなかったが、少し前にジャスミン一匹の処分すら阻まれる力関係からその場ではあえて黙って報告書をしたためていたのかもしれない。
仲前は事前に、死神に変貌すれば自分が殺すと宣言していたのに何故忘れてしまっていたのか。
ここでは力関係が逆転する。
正確には拘束されていない今なら勝てるかもしれない。
その勝利には死人が出る。
勾月村とは違い悪人ではなく生存者を保護する善人との対峙だ。
全身の毛が逆立つ。勝間のめくる書類は丸金からは白い面しか見えない。どうにか報告内容を確認できないか布引の後ろに隠れて札を出そうと袂に手を差し入れた瞬間、小さな頭を大きな村上の手に鷲掴みにされて跳び上がる。
視界の隅にその動きをとらえながら勝間が口を開く。
「一部は先に戻った桐島一等空佐からも報告を受けているが、休養を要していたので詳しく聞き出せていなかったようだ」
桐島の名前に丸金は口を開け、その言葉の意味を理解して笑顔で叫びそうになる口元を押える。
心のどこかで引っ掛かっていた『何故?』が弾けとんだ。体調を崩して弱っているのに車の移動手段もない彼を何故迎えに行かないのか。何故誰からも安否を気にする言葉が出ないのか。
何か重大な嘘をつかれているのではないか。
だが共に行動していなかった勝間が桐島から報告を受けたという言葉を聞けた。口裏を合わせる暇のなかった勝間の口から桐島の所在が聞けたのなら、あの時言っていた言葉に偽りはなかったのだと安堵した。
同時に、何故か最後に見た桐島の映像が頭の片隅にチラついた瞬間に勝間が書類の束をデスクに叩きつけた。
「概要は理解した。詳しい内容は後で読むとして見過ごせない情報から取り急ぎ処理する」
残酷な答えに近づきかけたところで再び荒妻に意識は移ろぐ。
仲前はやはり、でも、まさか。綺麗に直立した背中を見つめながら封印玉を隠しているポケットを上から押さえつける。
しかし疑心暗鬼に揺れる丸金の不安は的を外れで、丸金にとって予想外の人物への厳しい疑惑を差していた。呼吸も忘れるような険しい目が丸金の頭を押さえる手の先、背後の人物に向けられている。
「変貌した姿で変貌後も人格を保っているという事は、コウモリは殺戮者ではなく村上海舟という殺人鬼だったことになる。実際にこの基地でも変貌しながら人間の意識を保つ事例を一名確認した」
『この男が蝙蝠なのか、村上なのか、命を弄ぶ死神なのか、丸金が呼んだ正義の味方なのか』
「殺戮者であれば誰しも心神喪失とみなし変貌前の人格に善悪をつけるべきではないだろう。だが異変後、コウモリのコードネームは早期から周知され残虐性と危険な特性が問題になった。変貌した時期と陰陽術で呼び出された時点の日付に大差はなかったな。人の思考過程や思想は数日かそこらで変わるものではなく看過はできない。村上海舟は現時点よりここに拘束する」
『俺は正義の味方になりたいマルの使鬼をまっとうすることを選んだからだ』
「ち、違う。村上さんは、わ、私の」
頭から手が離れ、村上は両手を挙げて平然としていた。仲前は振り返らず、背後にいた複数の自衛官の銃口は村上に向けられている。
「ぬ――」
布引に助けを求めかけて勾月村で躊躇いなく首を刈る姿を思い出し、目が合う前に縋る先を望月に変えた。この二人だと結末が真逆に変わる。
確かに丸金も村上に対して同じ疑惑を向けてしまったが村上の身体を張ったまるめこみで信じる気持ちを持つに至った。しかし丸金の漠然とした恐怖に対して勝間の疑惑は理路整然としている。個人間なら熱意と勢いで信頼関係を結べても、組織においては曖昧な理由で内部崩壊しかねない容疑は許容されない。特に、リスク因子を切り捨てることで大勢の民間人保護に成功している勝間の指揮下では。
布引にスルリと抱き上げられ村上から引き離された。自衛官が村上の背後から近づいて武器を取り上げる。隠しているものまで体を撫でつけ靴の先まで。
厳しい表情で望月が勝間の前に進み出る。
「弁解の場を設けていただきたい。自分は行動を共にしていた者としてコウモリと村上君が同一ではないと証言できる。確かに思想は簡単に変わらない。だが変貌するような絶望はそれこそ人格が歪んでもおかしくない程の事でしょう。現に異変以降は大勢が変貌まではしなくとも精神的に追い詰められ人が変わってしまっているのではありませんか。子供ですら無邪気でいられない状況で何もしていない村上君だけを断罪する理由には弱い」
「今は違っても同じ思想に至る可能性が高い。きっかけ次第なら余計に賭けはできない」
抱き上げられたまま丸金は身を乗り出す。
「絶対にないです! だって村上さんは別個体だもん!!」
村上自身は一切の自己弁護を放棄して軽薄な態度で身を任せている。
「ケツの穴まで調べとく?」
会話に乗ることなく身体検査を終えた自衛官は、どこにそこまで装備していたのか、何に使うのか分からない物量を押収して勝間へ頷いてみせる。
勝間は望月と丸金の訴えを取り上げず大和に命じた。
「他の殺戮者とも隔離した配置で監視したい。この部屋に独房を増設することは?」
「粘土細工に関しては幼少期から稀代の創造主と謳われたものよ。仮設如きは土を捻る程度の業じゃ」
大和はデスクの後ろの壁に手をつくと左右に押し広げるように腕を広げた。白黒の視界が歪んで練り直され造り替わる光景は酔いを惹起する。長い廊下に並んだ物と一寸違わず練り上げられたのは物陰一つも存在しない小部屋だった。
最奥の座敷牢の小さな扉がひとりでに開いて罪人を手招く。
「カマイタチにコウモリの動向を監視させるためとはいえ単独行動を許した件については報告書を呼んだ後に追及する。他は治療を受けて天幕で待機しろ。抗議に対して現時点で判断できる材料はない。この拘束自体が緊急措置だ。村上海舟の応急処置は行う。温情はそこまでだ」
銃口を背に牢に自らの足で素直に進む村上に丸金は手を伸ばす。届いたとしても止めることはできないのに。
平然としていても重症には違いなく、対死神用の戦闘員として貴重な医材の使用許可がおりた。外から物資を集められない今は尚更治療が限定される。桐島の骨折には添え木と松葉杖だけしか与えられなかったように命にも優先順位がついている。死神二体の襲撃を生き延びても治療で切り捨てられた重傷者は二階級特進の後に介錯か自然死の選択が与えられる。
「薬は必要ない。思ったより傷は浅くすんだようで問題なく治っているから」
「素人でも重症を確信する外傷だ。確かにタイタンを治療するくらいなら別の傷病者に使いたいのが本音だけどねえ。トドメを刺すならともかく助けなきゃいけないなんて死んだ仲間に申し訳ないよ。敬愛する勝間陸佐の命令に違反しないためにも余計な口をきかないでもらえるかな。何度も注射を失敗されてメッタ刺しにされたくなきゃさあ」
抗生剤を準備しながら衛生兵が吐き捨てる。
布引はほんとんど内出血の引いた額と足を確認しながら望月の方に同意する。
「確かに最初と比べて随分と良くなったよね。治療は村上君や仲前君だけで良いんじゃないかな。羽秋さんには悪いけれどその回復力を見ていると本当に薬がもったいない」
「コウモリはともかく俺も傷が塞がってるから今更やる意味がねえ。タイタンに関してはほっときゃ治るにしても、いざ死神と対峙するって時に怪我がハンデで負けましたなんて許されねえから治療が許可されてる内に全快しとけ」
丸金は盛大に擦って膿んだ治りの悪い傷を消毒され綺麗なガーゼで膝を覆われた。独特な匂いが充満した部屋の棚にはもうほとんど物が並んでいない。助けられないジレンマの中で特別扱いがどれほどの憎悪を生んでいるかは計り知れない。
望月を除けば重症なのは村上と荒妻だ。勝間は村上も治療すると言ったが疑惑の渦中で実際のところはどうなっているのか丸金は気が気ではなかった。放置されているだけならまだしも、このままでは処刑に移行するだろう。
扉に背を預けて立つ仲前は凪いだもので勝手な行動ができないよう監視の立場に戻っている。外にいる間は態度が軟化していたように感じていたのに、まるで初めの頃に戻ったようだ。
丸金は治療が済むなり仲前の前に駆けだし、思い直して治療してくれた女性に恐縮しながらお礼を言って、勢いよく仲前に立ち向かう。
服をつかんで丸金は仲前に懇願する。
「村上さんは大丈夫だって偉い人を説得してください」
「せっかく陸佐の執務室正面なんて絶好の独房に割り当てられたんだ。あいつなら自分でこころゆくまで弁明するだろ。後は爺さんの口添えでも期待して裁定がくだるのを待っとけ。俺が何かやらなくたってお前の村上さんは勝手に戻ってくるだろうよ」
「嘘つき」
明確な反抗で仲前の表情に苛立ちが滲み意地の悪い言葉が口をつく。
「それはどの嘘について言ってんだ?」
歯を食いしばって丸金は涙を留める。
「……私が馬鹿だから気づけないことがいっぱいあって、迷惑いっぱいかけたりしてて、間違えて失敗もたくさんしてるけど、仲前さんが諦める準備をしてるのは判ります」
「うっせぇわ。戦争で生き残る秘訣は切り捨てる対象を見極める取捨選択の連続だ。暴れて欲しいなら俺じゃなくシザーに頼んだらどうだ。あの女はいつもお前の道理が通らないお願いを実力行使で叶えてくれるもんなあ」
いつもなら口を挟んできそうな布引はテーブルに肘をついて口論を静観している。いや、布引はいつも意見が行き詰るまで成り行きを待ってから行動する。何かを見透かすように、丸金にとっての利害を天秤にかけて計算を済ませてから。
「村上さんを助けられるのはお友達の仲前さんでしょう!」
「はあ?」
「いっぱい知ってるでしょう? 村上さんの良いとこたくさん知ってて、コウモリとは違うって、危なくないって、ちゃんと庇えるのは全部知ってる仲前さんだけでしょう! なんで偉い人に違うよって言ってくれなかったんですか!?」
「村上が変貌した理由も知らねえくせにズケズケと生意気な口をきくじゃねえか。味方してくれるモンペがいるからちょっと強気に出られるようになりましたってか? いいか。俺は模範的な大人だからタメになる助言を聞かせてやる。黙ってろ」
ドスの聞いた声でさすがに丸金は手を離して竦み上がる。
「私からも仲前君に助言してあげるよ」
気配もなく間合いを詰めていた布引が丸金を背中から持ち上げて胸の前にぶら下げる。
「村上君は目的が達成できれば手段を選ばないよね。そういえばコウモリに勝つ自信があるって言ってたけれど、それって攻略方法さえ解れば誰でも実行できるのかな? いいの? あの人、助かるつもりある?」
布引は丸金には絶対に見せない薄っすらとした笑みを浮かべる。
「なるほど、仲前君は私が暴れるのを期待していたんだね。申し訳ない」
仲前の顔が歪む。
海上自衛隊が本土の殺戮者掃討作戦に加えられたのは最後だった。
初めの内は混乱を避ける名目で情報統制が敷かれ、組織の中でも最後に殺戮者の脅威を知らされたのが海上自衛隊だった。殺戮者が現われた地域の閉鎖でギリギリまで民間人に情報を与えなかったことで被害は甚大なものになっていた。
空にも海にも未知の化け物が現われて怪獣相手に映画のような戦闘を繰り広げ、逃げ場のない戦艦の上で味方が敵に変貌する。援軍は来ない。基地に戻ってもまともな補充がままならず海上は放棄。本土の防衛線に回されたが性質の違いから指令系統は陸上自衛隊の下につく形になった。自衛隊と一括りに呼ばれても陸海空はそれぞれ別の組織で、訓練も連携もとれていない別部隊はまともに機能できなかった。
恐怖が保身を作戦と呼び、最初に切り捨てるトカゲの尻尾に海上自衛隊が選ばれた。救助対象の民間人も、指揮官も、その下についた部隊も、生存本能に従って緊急避難を実行した。
誰も悪くないとは言えない。
誰が悪かったとも言えない。
ただ運が悪かった。切り抜けるだけの経験も実力も兵器も優れた指揮官もいなかった。
だから村上海舟が行動した。
それも恨みや怒りからではなく、最終的に一人でも多く生存者を残すために狂人のように振舞う悪役を選んだ。誰にも認められることのない憂国の士としての道を。
コウモリと呼ばれる死神の道を。
自衛官は殉職者の功績と犠牲に敬意を表して二階級特進する慣例がある




