新しい関係
妖:根拠のない人を迷わせる言葉やうわさ。
妖:あやしい。不吉。物の怪。
窓から差し込む太陽の光が届くのはせいぜいが数歩。昼間にも関わらずホームセンターは赤黒く不気味にうねっている。懐中電灯で照らせば壁も床も天井も肉感のある粘膜で覆われ脈動している。そこら中から生えている下半身や腕は溶けて張り付き一体化して動いている。一個体なのか、集合体としてそれぞれに意識があるかは判らない。ただ、整列した棚をガタガタ揺らして異物を歓迎していないことだけは確かだろう。
うんざりと仲前は虚脱する。
「忍者屋敷の次はお化け屋敷かよ」
村上が壁から生えた魅惑の生足を撫で上げると痙攣して周囲の肉ごと波打った。
「ここなら雑貨、食料、農耕品、釣り具、工具、衣服、キャンプ用品、なんでもそろう。立て籠もるには魅力的だったんだろうなあ。独占したい連中がこぞって醜く対立するわけだ。入れ代わり立ち代わり看板に釣られて客足は途絶えない。場に固執した敗者が絶望して、気持ちを同じくした仲間が大集合。無機物を介して取り込み合えば集合妖怪の出来上がり、と」
奥に進ませまいと足首をつかんできた大きな手を仲前は蹴りで振りほどく。
「当事者になっちまうとホラー映画の何が楽しかったんだか思い出せねえもんだな」
そこかしこから気配を感じる静寂に突如、商品棚を派手になぎ倒しながら大袋を抱いた望月が宙を横切っていく。
「待ってくれ!! 自分達は少し物を分けてもらいたいだけで」
肉感のある蛇管が何十本も追撃に伸びて、こちらにも略奪者が二人もいたと気付き首をもたげる。
自衛官達は表情も変えず作業的にガチリとレバーを引いた。
戦利品を載せた大型カートで村上と仲前が公園に乗り付けると、草むらに座り込んだ丸金が顔を上げる。
「おかえりなさい!!」
「うるせえ!!」
疲労困憊な大人達と違って元気があふれ出しているらしく、いつ魑魅魍魎に目をつけられるかもしれない危険地帯で迂闊の限りを尽くす。
徹夜の高揚感と初めての成功体験で丸金は浮かれきっていた。抱き潰せそうな細い腰には黒い腕が巻きついている。脇腹に窒息を危ぶむ程に顔を埋めてからは足を投げ出してピクリとも動かないが、服の上からでも呼吸を感じるので隙間でもあるのだろう。ズタズタになった背中は大きく開いており、黒く染まった地肌にありあわせで作った包帯が巻かれている。変貌しても血の色は変わらず痛々しく真新しい血が滲んでいた。
荒妻が戻ってきた。
小難しい説得も捻じ伏せる腕も必要はなく、あてはまるとすれば脅しに近い。愛情を追い求めて禁忌まで破った男だ。情を移した少女が死にゆくのは耐え難かろう。
殺し屋に生まれながら愛に生きた死神。それがカマイタチの正体だった。
上から覗き込んだ村上が疑問を呈する。
「その爪とか大丈夫なのか? 人の首を簡単に掻っ切る凶器だろ。筋肉の欠片もないマルの柔らかぽんぽんじゃサックリいかれちまいそうなもんだが」
「大丈夫です」
丸金が荒妻の片手を持ち上げると、丸い指先が軽く曲がって凶悪な爪が飛び出した。再び指を伸ばせば爪が引っ込み、強く握ると爪手甲の如く爪が尖る。
「晋作君はイタチじゃなくてニャンコだったんだねぇ」
あらぬ方向から派手に血を浴びた姿で布引が現れる。顔についた血を拭う様子は人間のものだが、黙っていればシザーと見紛う。
仲前は半眼になる。
「姿がねえと思ったら、何を相手にしてたんだ」
「大勢手下を引き連れて酒瓶を煽りながらニヤニヤ闊歩していた角が立派な酔っ払いさんかな。ここじゃなんだから向こうに移動してもらったんだ。包丁だと綺麗にさばけなくてね」
彼女の足元から転がるように毛玉が飛び出して飛び跳ねながら吠え始める。
大荷物を抱え少し遅れて到着した望月は戦利品を降ろしながら「落ち着け、ジャス」と愛犬をなだめる。その肩に木の上から蔓が静かに束となって降りてくる。緑の楔が首に巻き付くと最後には汚れのない白い花が頭上にしな垂れるように咲き誇る。望月は蕩けるような万感を込めて花弁を散らさないよう花弁をすくった。
「ただいま、茉莉」
撫でられた花は素知らぬ様子で蔓を揺らす。
布引は丸金のそばに片膝をつくと小さな頭を優しく撫でて、その下にある頭もついでに撫でる。
「それで、そっちの買い出しは上手くいったのかな?」
「商品を売る気のない店側とはかなり揉めたけどな」
持ち出せた物を几帳面に並べると、医療品にドッグフードと肥料が大半を占めている。
ジャスミンはドッグフードを自分の食糧と認識して匂いを嗅ぎにくると望月を見上げて開封をねだる。化け犬が何を食べるのか最悪も想定していただけに望月は一つ胸を撫で下ろした。
「茉莉には何を用意してやるべきか迷ったんだが」
変貌してしまった荒妻と茉莉は声を失ってしまった。きつく喉まで糸で縫い合わせられたようなカマイタチに、口自体が失われた茉莉花だ。どこまで人間性を残しているかは依然不明で、取り急ぎ知るべきなのは生命維持に直結する食事情だろう。
妖怪といえば古来より人食いを警戒されてきた存在だが、殺戮者が人肉を喰らったという報告は意外と少ない。ホームセンターも人間を誘い込んで喰らっているというよりは略奪者を迎撃しており、独占している食料にこそ欲を見いだしている。元が人間であったことを踏まえれば当然で、あくまで価値観は根源の延長線でしかないのだろう。
問題は生物的な口を喪失しながらどう摂食しているかだ。
望月は真剣な顔で大袋を持ち上げる。
「通常の茉莉花には窒素・カリウム・リン酸を含んだ土に、適度な水、光合成が必要となる。茉莉にはそもそも根が見当らないわけだが、植物には挿し木や水差しで生きる種もあるだろう。何が合うかわからないから一通り試せるように持ち帰ってはきた。どうだ、茉莉?」
肩口に咲く娘が父の手元を覗き込むと抱えられていたのは有機肥料だった。茉莉は蔓を伸ばして袋を思いきり地面に叩きつけた。
「羽秋さん、いくらなんでも女の子に牛糞はないかな」
代弁する布引を肯定するように望月の首に巻き付いた蔓が殺意をもってギュリギュリと締めあがる。袋が裂けて中身が漏れると刺激的な臭いが辺りに立ち込めた。丸金は鼻を摘まんで布引を見上げる。
「ぎゅーふん?」
「牛さんのうんこだね」
丸金は信じられないものを見る目で望月を見た。
「せめて化学肥料とか液体肥料とか選びようがあったでしょうに」
「娘を薬品漬けにするわけにはいかん」
真剣な顔で望月は袋の裂け目がこれ以上広がらないよう大事に庇う。
イライラと先端を揺らした蔓の一本が風を切って望月の太い腕に深々と突き刺さった。
「茉莉、気に入らない事があっても人を簡単に刺すものじゃないぞ。パパも一緒に試食するから素材については我慢しなさい」
「お父さん、刺されるどころか蔓が真っ赤に染まるぐらい吸われてますがな」
緑の蔓を通して鮮血がストローのように登っていく。毒々しい色は全身を巡って淡く筋を残し、終着点である大輪の花に溜まって色濃く紅を帯びる。
茉莉は色が変わるまで吸いきると蔓を抜いて不機嫌に先端を振り、そっぽを向いた。
村上が手を打つ。
「茉莉嬢の主食はパパで解決と」
「看過できんのだが?」
人食いに類似する行為で仲前が待ったをかけたが、すげなく布引は話題を被せる。
「後は晋作君かな?」
周りがあれこれ口を出さなくとも変じれば本能的に飢餓の埋め方を知るのかもしれない。同位体であるカマイタチも餓死することなく猛威を振るっている。変貌の経緯が違うせいで差異はあったとしても。
己が話題にあがっても我関せず丸金の腹肉に顔を埋めたまま荒妻は動かない。重症とはいえ丸金に手を引かれて自らの足で移動もしたし、無気力なようでいて丸金から一時も離れようとはせず、確かな意思がそこにある。
以前とは随分と人が変わってしまったが。
丸金は不意に掌に硬い感触が重なるのを感じる。腰に回っていた荒妻の指が一本だけ手の心中を差していた。それは皮膚をくすぐるように動いて文字となる。
声を奪われたキビがイツビにそうしたように、声を漏らさないようイツビがキビに返したように。
ひ つ よ う な い
心情的に食欲がないという意味なのか、もしくは本当に霞から力でも得ているのか。詳しく聞くには丸金の手は小さ過ぎて、伝え終えたと離れていく凶悪な指を憂いと共に握り込んだ。
久しぶりに和やかな雰囲気が漂う中、村上は両腕を空に伸ばして背を反らしながら皮肉を飛ばす。
「さぁて、最低限の身支度は済んだわけだし? 懐かしき牢屋の中に帰るとしますかねえ」
次の行先はいまだ異変に抵抗を続ける最終戦線、丸金達の拠点でもある自衛隊基地だ。
車窓には夜明けの薄暗い森が静かに流れていく。山頂近くは消火された後も白い煙をくゆらせて龍が天に昇るように雲の中へ吸い込まれている。異変以前から地獄の歴史を紡ぎ続けた隠れ里の最期。
「蝙蝠の目的について気づいた事がある」
勾月村を後に麓へ下山する車内で仲前は冗談みたいな推測を切り出した。
「村上は基本的に遊びがあるようでない男だ。意味のない行動はしないし、保身に関心がないから躊躇いなく身も削る。変貌した時も違和感しかなかった。こいつに限って心が折れるような殊勝な神経なんざ持ち合わせてるかよ、ってな」
それは丸金にも分かる。悪ふざけのオモチャにされている時ですら意味があったのかと後になって知るのだ。試される事もしばしばで苦虫を噛んだのは一度や二度ではない。直接的ではなく丸金自身に対処させる能力をつけようとする。村上は大人達の中でもっとも厳格で隙がない。
「命の尽きる瞬間まで足掻くのを止める性格じゃないのは確かだね」
「そんなに褒められると照れちゃう」
「大丈夫。割と良くない意味も含んでいるから照れないで」
まだ犬猿は継続か、布引と村上は満面の笑みを贈り合った。
望月は車の天井に張り付いた茉莉を気にしながら仲前の推理を促す。
「彼は高速道路で悪役をあえて選んだような言い方をしていたな。コウモリは執拗に自衛隊を狙うと特筆されていたが、各所で民間人も拷問している。強襲時には攻撃的な変貌者をけしかけるのも常套手段だ。これが狂気の沙汰でないとすれば何を目指しているというんだ」
「コウモリはできるだけ多くの人間を救済するには何をすればいいか見つけたんだ」
力強い断言に丸金は困惑する。
視界を繋げてからというもの、丸金は蝙蝠が弱者を踏みにじる姿を寝ても覚めても見せつけられている。女子供に至るまで容赦なく人間をいたぶって壊していく手腕は手慣れたものだ。
「あれのどこが救済なんて発想に繋がるか理解できないよ。どうして断言できるのかな?」
バックミラー越しに目を細める布引が映る。
「変貌者を人間として数えればな」
返された言葉に丸金は息をのんだ。
自分の話題に等しいのに村上は反論も肯定も感情すらなく耳を傾けている。
「タイタンの娘みたいに人格を残している変貌者がいる。形は違えどコウモリと同じとみなしていい。モールでぶっ殺した母親も自分の子供に死ぬ瞬間まで執着を見せた。どこまで人間性を残してるかは知らんが、連中がまるっきり別の存在になったわけじゃなく人間の延長戦でしかないとしたら」
記憶を噛み締めるように仲前の言葉が途切れ、しかし次の瞬間にはいつものすわった目に戻る。
「シザーみたいに同士討ちをする殺戮者は少ない。自然淘汰されるような弱者なら変貌させちまった方が生存確率を上げられるってわけだ」
まさしく望月の愛する者は変貌によって『足』を得て『安定』もした。運命を悲観しながら這いずっていた頃よりは確実に生存確率が上がっただろう。ジャスミンにしても寿命を超え化け犬として進化したとも言える。
地下に囚われていた人豚も翼を得て生まれて初めて自由となった。新しく芽生えた本能は彼女達を本来の運命より長く生かすだろう。腹の中にいる赤ん坊と共に。
「絶望を煽る悪役を演じる理由は理解しよう。だが人間の救済を目的とするなら君の言うところの強者である自衛官とは何故敵対するんだ。……いや、つまりこういうことか」
望月は眉間に皺を寄せて苦渋に顔を歪める。
「殺戮者を一掃しようとする勢力を潰そうとしていると」
人間を殺した方が早く平和になると言ったらどうする。
コウモリの声が蘇り、その意味に丸金は背筋を凍らせる。
秩序を保つために丸金のいた基地でも定期的に殲滅作戦は行われていた。静かな廃墟に囲まれて生活できるのは彼らの尽力の賜物だ。
コウモリそっくりな歪んだ笑みで台詞が紡がれる。
「せっかく変貌させても殺戮者を退治する組織がいたんじゃ意味がない。なんなら秩序を乱す暴力的な殺戮者をぶつけて相打ちさせれば変貌していない人間の生存率も上がって効率的だ。最小限の犠牲で大勢を生かせる。最適解じゃないか」
「なーんちゃってを後味重視でつけてもろて」
仲前がうんざりしながら雑に応じる。
コツコツコツと誰かの指が音を刻む。
「コウモリから基地を隠している結界とやらは数ヶ月しか保たないんだったな」
「ここらじゃ最大規模の武力を保有する戦闘組織だ。弱体化したと言っても他と比べりゃ俄然火力も戦意も残してる。せっかく保護した変貌者に手出しをされないためにも最優先で潰しにくるはずだ。陰陽術の正体まではつかめないまでもカラクリがあるのは既にバレてる」
「こちら側への襲撃を警戒していたが、実際には基地を襲うために自分達を遠ざける目的があったかもしれないな。コウモリが完全に目的と謀略をもった人間だったという情報も共有できていない。やはり一度は基地に戻る必要がありそうだな」
「遊軍でやれることは限られてるしな。精鋭部隊だろうと拠点は必要だ。基地の現状も把握した方が良い。運良く死神を殲滅したところで凱旋したら廃墟でしたじゃ命を懸けた意味がなくなっちまうわけで」
必死で話についていこうとしていた丸金はふと布引が何も喋らなくなったのに気づく。布引は膝の上に乗せた犬をふわふわ弄んでいつの間にか議論からはずれていた。いつも丸金が困っていると口を挟んでくれるが、そうでなければ難しい話には触らない節がある。それでいて何か意志を固めている事もあるから怖い。
そのまま、こちらは議論にまったく興味を示さない男の様子もうかがう。応急処置を受けて丸金に手を引かれるまま着いてきた荒妻は、丸金に身を寄せて目を閉じたきり微動だにしていない。
「そもそも忍者村での被害が想定を超えた時点で引き際だ。カマイタチとの模擬戦でも分からせられたが死神は無策で特攻しても勝てる手合いじゃない。自分で自分の相手をする分には狙い通り相殺されたが、コウモリは縦の機動力で、シザーは武器の有無でかなりの戦力差がみられた」
「情報を取った後は具体的な倒し方へのフィードバックだ。ついでに情報を手土産に陸佐から決死隊を引き出したい。少なくとも桐島の穴を埋められる索敵要因だ」
「ハッキリした実績がねえ分、まずは交渉の席につかせるだけの駆け引きになってくるな」
つまりは撤退となるのだろうが、けして悲観的な声音では話していない。
村上と仲前の意見は完全に一致しているようで帰還後の話に進めようとしていたが、望月は表情を曇らせて待ったをかける。
「勝手を言うようだが、基地に戻るのであれば自分は別行動をとらせてくれないか」
静観していた丸金は不穏な申し出に目を見張る。無理を言っている自覚のある望月は渋面を作り両手を組んで深くうつむく。
「変貌してしまった者達を基地に連れて戻ればどうなるかは火を見るより明らかだ。特に荒妻君は彼らの懸念通りカマイタチと瓜二つに変貌してしまった。免罪は通らないだろう。幽閉で済めば御の字だろうが、この子達にまた監禁生活を強いるようなことはしたくない。変貌者として処刑されていく民間人を見捨てておきながら都合が良いとは思うが」
仲前はすげなく望月の嘆願をはねつける。
「却下だ。死神二体が同時に失踪すれば経緯について厳しく突き上げを食らう。馬鹿正直に答えりゃ粛清されるし、安易に死んだことにすれば化け物がどうすれば死ぬのか参考に詰問される。嘘をつけば真に受けた連中は軒並みどうなるか想像できるか?」
情報は生命線。嘘は致命傷。
いくら理性があると説明しても自衛官は受け入れないだろう。ましてや荒妻も茉莉も喋れないせいで実際にどこまで人格を残しているかは確かめられていない。豹変することはないと確約できない以上、危険因子は排除される。その成果があって人間らしいかりそめの生活を続けられる環境を維持できているのだから。
ここまで丸金が生きていられたのは庇護者である自衛隊のおかげだ。時には弱者を切り捨てる冷酷な側面もあるが、それすら人を守るためで自らは命まで捧げているのを実際に見てきた。
生死に関わる嘘はつけない。
丸金は口を強く引き絞って荒妻の手を強く握り締める。硬質な感触の奥には体温が感じられる。清廉潔白な人ではない。それでも二度と手放す気にはなれない。
望月は反論できずにいる。いつも限りなく正解に近い答えを出す望月が沈黙すれば、丸金はどうすれば良いか欠片も思いつけない。問題を突破する手掛かりを探しても話が複雑で整理がつかなかった。
行き詰った丸金はまだ意見をはさんでいない布引に縋る目を向ける。そうすれば必ず笑顔でなんとかしてくれると知っているから。
すぐに視線に気づいた布引は力強い笑みを返すと、一度目を瞑って鋭く斬り込んでいく。
「それなら匿ってくれそうな組織に味方になってもらえばいいんじゃないかな」
「また、アホなとんでも理論を出しやがって。あっこの自衛官以外とはまともに接触してないくせに、協力関係を築けるあてがどこにあるってんだ」
「最初から後ろ盾にいるじゃないか。変貌を正しく理解して闇雲に恐れない専門家」
理に基づいて交わされた議論に別次元から可能性を提示する。
「陰陽師達か」
村上も影の薄い協力者の存在を思い出す。
死神を味方にしようという発想はそもそも丸金の発案ではない。
未熟な丸金とは違い、正当な陰陽師なら一度は変貌した人間を使役する問題点や人の抱える業も理解しているだろう。変貌者の中には半端者が存在し得るのすら知っていたかもしれない。熟知を借りれば冷静に損益を考えられる勝間陸佐だけなら事実を踏まえた交渉の余地もある。
自衛官は陰陽師の口添えがあれば無下にできない。いまや基地に結界を張る陰陽師は守備の要なのだから。
「組織とはいうが避難民に特殊技能者が混じってただけなんだろ。使い捨てのマル一人を寄越して高みの見物決めこんでる陰陽師の勢力図がどんなもんよ」
「とりあえず初っ端にいた爺さんが御大将だ。その腰巾着に無愛想な男と陰気な女が一人ずつ。後は学ランの生意気な中坊くらいだ。かなり胡散臭いぞ。富田さんは、あいつらは人間を助けようなんて善意で近づいてきたんじゃなくて他に狙いがありそうだとよ。個人的には不用意に貸しは作りたくねえ人種だわ」
あまりの信用のなさに丸金は驚いた。
辛辣な評価だが、はたから見れば年端のいかない少女の命を売り付けてきた一派だ。まともな大人なら妥当な印象だろう。
望月は難しい顔をする。
「密談が成ったとしても彼らが変貌者を危険だと判断すれば対立することになる。人物像が分からない相手に秘密を明かすのは躊躇いがあるな」
丸金への扱いに関して大和に物申していたところからして望月は大和に良い印象を持っていない。
「まあまあ。内情ならマルがよく知ってるだろ。で、お仲間さん方はどういった人物なわけ?」
ここで組織の末端である丸金にようやく話が回される。
「ど、どういった人か、ですか?」
「そうそう。大和様ってのはそもそも何様でどこまで凄い様なんだ?」
「や、大和様は、その」
目が泳いで冷や汗が落ちる。
「なんか……凄い人です」
大人達の肩が落ちる。
平和な時分には大人の集まりに興味なんて欠片もなかった。大和がどういう立場なのかまったくといって聞いた事がない。あるいは聞いたかもしれないが片隅にすら残っていなかった。
失望されたのを感じた丸金は手を意味もなくせわしなく動かして記憶を引っ張り出す。
「お正月に、あの、挨拶にくる人がいっぱいでした。一番偉い人の席に座ってて、私のお婆様とよくお喋りしてて」
なんとなく偉い人としか考えていなかった。学校でいうと校長みたいなところだろうという雑な認識である。
少しでも情報を得たい望月が誘導する。
「だが、基地では菅原君の保護者だったんだろう? どういう性格だとか、どういった事を話していたのかを教えてくれないだろうか」
丸金はうつむいてしまう。
「あんまり喋ったことなくて」
「じゃあ、他の人は?」
「……喋ったこと、なくて」
あまりのコミュ力の低さに大人達は黙り込んだ。最初の丸金の様子を考えれば分かりそうなものだ。緊張すると酷くなる吃逆はいかにも普段から会話していない様子がうかがえる。
布引が助け舟を出した。
「でも丸金は貝塚君の事ならわかるよね。あの子についてなら話せるんじゃないかな」
うつむいたまま沈黙した丸金は小さな声で答える。
「……貝塚君は、凄い人です」
またそれか、という呆れた空気になりかけたが、丸金は先とは違い言葉を続けた。
「居住区では、大人も、みんな、無気力で、あんまり歩き回ったりも、しなくて。地下鉄にいた人よりは普通だったけど、ずっと何かに怯えてました。でも貝塚君は、貝塚君は堂々としてます。なんでもできて、いつも勉強してて、賢くて、大和様は貝塚君が千年に一人の天才だって言ってました。あと、幻術が一番得意です。それから」
更に声がすぼむ。
「私の事が大嫌いです」
丸金がこの死神退治という贖罪に命を懸ける事を誓った因縁の少年。貝塚と丸金の関係については布引と仲前だけが聞いた話だ。
丸金からまともな情報が引き出せないとなれば、浅い付き合いしかない仲前の印象頼りだ。
「交渉口はとにかく大和だ。側近は意見も出すが基本的に決定権を爺さんに委ねているようだった。能力としてはそれぞれ使える術が違うらしいってのは聞いた。ただ側近は両方とも死神退治を半人丸にやらせることには最後まで反対してたな。子供の身を案じてっつうより、こいつに不信があるって面だったけどな」
「基地にいる陰陽師に協力を仰ぐってんなら手筈はどう組むつもりだ。奴らは偉そうな事を知ってても自衛官に守られてなきゃ散歩もできん非戦闘員だぞ。必然、会うとなれば基地に戻ることになる。報告の前に密談を持ちかけるのは土台無理な話だ」
近距離であれば丸金が手紙を届けた前例もあるが、やりとりともなれば何度も往復している内に必ず狙撃手に気取られるだろう。最悪の事態は自衛隊側に情報が洩れて結論ありきで糾弾されることだ。そうなればどう言い繕ったところで処分をひっくり返せなくなる。
「それについては多分俺がなんとかできる」
村上がポケットから何かを取り出して息を吹きかけると、命が宿ったかのように翼を広げて白い鳥が飛び立った。よくできた折り紙で遠くから見ればきっと本物にしか見えないだろう。
「キャンプに残してある目印まで飛ぶよう仕組んである。陰陽術には電波みたいなのもあってな、受信機と送信機の紋をそれぞれ配置すれば任意でもしもしができるようになるんだよ」
「そいつを基地に送り付けて陰陽師に繋げさせるのか。万が一見咎められても意味を理解できるのは標的だけで内容が漏れる危険もない」
望月はその手段に穴を見つける。
「自分達のキャンプは彼らが暮らしている居住区から離れているだろう。定期的に留守のテントを訪ねているはずもない。繋がるには無理がないか」
「多少賭けにはなるが呼び鈴代わりもあてがある」
村上が自分の耳を突く。
「術を発動する時にある失敗をやらかすと酷い耳鳴りを引き起こす超音波が一発ドカンと出るらしい。ついでにそれ用も送り付けてちょっとテロったら、陰陽術を熟知したプロなら確認せずにはいられんという作戦」
「おい、それは基地全体に被害を及ぼすやつじゃねえか」
口をあんぐりと開けた丸金が動揺して手を震わせる。
「む、村上さんって、紙を飛ばす事しか、できなかったんじゃ」
衝撃を受けている丸金に、指南書が詰まった丸金のランドセルを村上が軽く叩いてにやつく。
「教本通りに紋を書き写すだけなら素人でも問題ないわけで発動はあちら任せ。実践よりもまず陰陽術で何ができて何ができないのか、その瞬間に必要な優先事項を引き当てるために目次引きを学ばんとなあ?」
丸金は口を尖らせて行き場のない葛藤に足をばたつかせてから、専売特許の敗北に首を垂らした。
次の行動は決まった。
望月は気遣わし気に布引を見る。
「布引君はこのまま基地に戻っても構わないのか? 藤崎君の保護が後回しになっているだろう」
困ったように首を傾けて布引は控えめに笑う。
「あの子はシザーを上手く盾に使ってくれているみたいだから無事を信じるよ」
そんな気遣いのやりとりに村上が意地悪な水を差す。
「布引ちゃんの生徒君はシザーを制御できるんだったか。変貌初期から同行してんのにシザーがそこら中で大虐殺を繰り返してるつうことは、事が起これば静止はきかんってとこかね」
「ふらりと姿を消すシザーを追って移動しているようだったが、シザーを誘導して逃走した件をみるに藤崎君が動向を多少修正できるのも確かだ」
聖はできるだけ人間と衝突しないよう気をつけていた。虐殺が不本意なのは間違いない。
「言葉の端々から推測するに、蝙蝠がちょっかいをかけてシザーを連れ去り、事後に生徒君が奪い返しての繰り返しか。コウモリがいつ気まぐれに生徒君を拷問するか分からんわけだ。仲前の推理がドンピシャならどんな危害を加えようが殺意のないコウモリにシザーは反応せんのだろうなあ」
「私を不安にさせて離脱させたいのかな?」
「肝心な時に消える奴もいるかと思って事前調査しております」
相変わらずバチバチと火花を散らす布引と村上の間で、丸金はあわあわと手を泳がせる。
ふー、と息を吐いた布引は真っ直ぐに丸金を見た。
「シザーは一番激しい戦場に出てくる。だったら闇雲に聖を探すよりもコウモリに狙われている場所を守るのが近道だ。ちょっかいを出される前にコウモリを討つ。村上君と仲前君のせいで苦しめられてる丸金を一刻も早く解放しなきゃいけないからね」
荒妻の前例があるからか、布引は丸金を安心させようと真面目に宣言してみせた。以前なら信じられなかった言葉が素直に丸金の心に届く。
有機肥料も含めて物資を車に詰め込む際に望月と茉莉の間で些か悶着はあったが、キャンプに向かない百鬼夜行の跋扈する公園から車を出発させる。
誰もいない街の中には雲まで届く大きな骨が横たわっていた。道路も建物も崩壊して巨大な谷と化したクレーターが、この骨の持ち主との激しい戦闘を思わせる。まだ世界中で軍隊が機能していた頃にはこの怪獣さえ倒せば、この化け物を退治すればと平和へのゴールがあると信じられていた。必ず元の生活に戻れる。これは異常事態だから順応する事はない。耐えていればいずれは助けがくるはずだと。
菅原丸金
荒妻晋作/カマイタチ
村上海舟/コウモリ
布引轟 /シザー
望月羽秋/タイタン
仲前蓮
茉莉
ジャスミン




