〇四
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それから、何事もなく一週間が過ぎた。
一週間の間、ゲンやん、キロク、セーハチは近所の農家で特産品であるトマトやピオーネの栽培を見学したり、また体験学習という名目で手伝わされる。
または近くで和牛を育てている牧場を見学したりした。
作業は地味で根気を要求される作業ばかりで、ゲンやんやセーハチは不慣れながらどうにかできたものの、キロクは失敗の連続で農家の人にも呆れられる。
例えばトマトでは、実のならない不要な枝を芽の状態から摘み取る、芽かぎと言うものではうっかり実のなっている枝を折ってしまったり。
収穫作業の時は、まだ青い実を取ってしまうというドジぶり。
ただし、その人柄ゆえか、一番気に入られてるのも、やっぱりキロクだった。
キロクは農作業が性にあったのか、二度も病院へ運ばれたことが嘘のような元気を発揮し、その分も食欲も旺盛になってみんなを驚かせる。
しかし、キロクを気に入った近所の人が色んなものを持ってきてくれるので、食べるものはたくさんありすぎるくらいだった。
そのほとんどが、キロクの胃袋におさまったのだけど。
一週間が過ぎた頃には、三人ともすっかり日焼けしていたのだった。
そして八日目、陰洲家の親戚が何人か泊まりにやってくる。
小学生や幼稚園児といった、三人や真澄よりも小さな子供たちも大勢いた。
ドタバタする母屋では、真澄が彼らの遊び相手になっているようだ。
子供たちから、かなり懐かれているらしい。
「ゲンやん、お前にとっても親戚になるよな」
窓から涼やかな夜風の入ってくる離れの中、セーハチは本を片手につぶやいた。
「いやまあ……そうだけど」
確かにそのとおりで、この家は母の生家でもある。
しかし、こちらにあまり馴染みのないゲンやんにとっては、母方の親戚はちょっと顔見知りというよりも、ほとんど顔を知らない他人という印象なのだった。
「そういえばさ、セーハチ。まだそんなの読んでるのか?」
ゲンやんをセーハチの持つ分厚い本を見ながら、ため息をついた。
「まあな。やっぱり面白い」
セーハチが読んでいるのは、神縛町ではないがやはりどこかの郷土史である。
一般的な中学生が目的もなく読むには硬すぎるし、娯楽性もない。
ハッキリ言って面白くない本なのだ。
「もうそろそろ、町の夏祭りらしいな」
「うん。祭りの手伝いとかも駆り出されるかもね。勉強の一環ってことで」
「俺らはていのいいモニターか」
本を閉じて、セーハチは笑った。
「知らないのか? 神縛町に都会の子供を呼んできて、観光地を見せたり、農作業とか田舎の生活を体験させたり、そういうツアーみたいなのをやりたいらしい」
「え。じゃあ、僕らが呼ばれたのって……」
「親は田舎で林間学校みたいなことでもさせたかったんだろうけどなあ。ま、そういうことのノウハウがないから、まず親戚の子を使って色々試してみてってところか」
「ええー。なんだよ、それ」
「文句言うなよ。なんだかんだで面白くすごしてるし、女の子とも知り合いになれたろ」
「女の子って……親戚だし」
クスクスと笑うセーハチに、ゲンやんは頬をふくらませた。
そして、涼しい風が網戸越しにひょうと部屋に入り込んだ。
「知ってるか? ここの夏祭り、原型は天狗払いって言ったそうだぞ」
セーハチは外を見ながら、さっきと違う笑みを浮かべる。
その表情に、ゲンやんは顔をしかめた。
どうやら、またお化けだか伝説と、あの怪獣を照らし合わせる話らしい。
ゲンやんが抵抗を感じる。
あのことを連想するとどうしても、夢の中の怪物と思い出してしまうからだ。
それによって自分の意識がどことも知れない遠くに引き寄せられて、体から魂がすぽんと、抜けていってしまいそうになる。
「天狗といっても、鼻の長いアレじゃない。夜空を飛ぶ箒星とか翼を持った危険な生き物だ。今は違うけど、ここでは天狗ってのは鬼以上に怖くておぞましいものだったらしい。あらゆる災厄を引き連れて空から地上にやってくるモノ。稲妻や落として、暴風雨を起こす」
空から来る怪物。
ゲンやんの目には、あの空の巨大な生物が映し出された。
あれもまた翼を持ち、稲妻を操るもので。
「夏祭りは、空からやってくる災いを龍神の力を借りて追い払う儀式だ。神様に通じるのは、水や龍。一方で悪魔的なものは、ほとんどが風とか空に関係する。天狗もひとつだ」
「それって……」
「ああ、そうそう。お前の見た夢のことだけどなあ」
いきなりセーハチは立ち上がって、自分の荷物からなにかを取り出す。
投げ出されるのは、大型のクリップでまとめられた分厚い紙の束。
それは、様々なタッチのイラストの束だった。
当然セーハチが描いたわけもなく、インターネットで見つけたものを印刷したものだろう。
「なんだよ、これ……」
ゲンやんをそれを見て、言葉を失った。
嵐の海で対峙する二体の怪物の図。
それはまさしく、ゲンやんは夢で見た光景と同じだったからだ。
コンピューターグラフィックで精密に描かれたその絵は、写真のような迫力と生々しさと、そして見るものを引きつける磁力みたいなものがある。
他のイラストも、タッチは異なるけれど、どれも同じものを扱っている。
あるものは神話のような美しいタッチで、あるものは狂気を絵にしたような恐ろしい絵で。
時として、海の怪物だけだったり、その逆もあったが。
「それは、お前が夢を見た後に、あちこちで色んな人間が描いたもんだ。日本だけじゃなく、世界中のあちこちでだ」
呆然としてイラストに見入るゲンやんへ、セーハチは言った。
「どういうことだよ」
「お前と同じような夢を見た人間が、世界中にいたってことだよ」
セーハチはあぐらをかきながら、部屋の電灯を見る。
「夢を見ただけじゃないぞ。ショックで病院に運ばれた人間も大勢いたそうだ。キロクと同じようにな。この市内にも何人かいたそうだ」
「でも、キロクは夢のことなんか……なんにも」
あの時見たキロクの容態を思い出して、セーハチは青くなった。
「ショックがでかすぎたんだな。あいつはそういう繊細というか敏感なところがある。だからあんなことになったんだ。一時的なもので良かったけど」
「ひょっとして真澄も?」
「夢を見たかもな。でも、忘れた。それに、いい夢見たみたいに言ってただろ?」
確かに、あの朝の真澄は平気どころか、むしろ元気が良かった。
「漫画みたいとは思うけど俺はこう考えてみた。あの時俺たちが見たモノは地下水脈をとおり海へ出ていった。真澄に言ったように。そして、ついに太平洋まで行ったってな」
セーハチは畳の上を指でなぞる。きっと畳を地図に見立てているのだろう。
「なんでだよ」
「わかってるだろ?」
無表情で問いかけるゲンやんへ、セーハチは苦笑を向けた。
「空からやってくる、敵と戦うためだよ」
パチンと、セーハチを両手を打ち合わせる。
「じゃあ、それはなんのために?」
セーハチの説を信じるとしても、わざわざ遠く離れた太平洋まで行ったの理由が謎だ。
質問を受けたセーハチも手を合わせたまま黙っている。
「もしかすると、大昔から続いてたことだったのかもなあ」
「答えになってないぞ」
ゲンやんは挑発するように言うと、セーハチは顔を上げてニッとする。
「空のヤツが宇宙から来たのか、それとも普段はよその土地に棲んでるのか、それは知らん。ただ、こいつは暴風を伴って出現して、日本に来ることもあったんじゃないかねえ。それこそ台風みたいに」
セーハチはイラストに描かれた空の怪物を指して言った。
「で、理由はわからないけど。こっちの龍神様はそいつと敵対関係にあった。だから出現するたびに何度も迎撃していたってことじゃないかな。あれだけでかい生き物だ。テリトリーも、人間の想像以上にでかいのかもしれない」
「じゃあ、あのぬらりひょんみたいなお化けは……」
「これも想像だけど、あの生き物の子供かもな。危険を探る斥候だったりして」
「だけど、それ危険が迫ってるのに自分の子供を外に出すってことだろ」
しかし、セーハチの意見にゲンやんは納得できずに反論した。
「人間目線で考えりゃそうだけな。あれはぜんぜん違う生き物だからなー。俺らの人情とか、常識なんて通用しないぜ。それと、こないだ農作業を手伝って家のじいさんから聞いた話だがイノシシっているよな? あれも母子づれ行動することがあるそうだけど、例えば罠がはってそうな危ない場所があるとしたら、その場合は子供を先に行かせるんだとさ。安全かどうか、確かめるために。なんかあって子供を失っても、また生めばいいからな」
ドライなもんだ、とセーハチは両手をあげる。
「ひでえ話だ!」
思わず顔をしかめるゲンやんに、セーハチは冷笑して、
「だから言っただろ、人間とは違う生き物の話だって。人間とはぜんぜん違うやり方や理屈、理屈ってのもおかしい気がするけど、そういうので生きてるんだ。ひでえとかドライとか?そんなことを言うこと自体が間違ってるのかしれないぜ」
「だけど、あの子供だかなんだかは……」
「地下の川だか水脈だかに戻ったんだろ。ほとんど人目につかず、襲われたって話も残ってはいないから、地上に棲むのに適してはいないんだ。基本水棲なんだろ」
「それじゃあ、あの黄金の話は」
「さてね。しかし、神縛町の話じゃないが、近くの町に気になる伝説はあった」
セーハチはイラストの束をしまながら答えた。
「備前九郎って話だが、それに地底の竜宮で黄金の山を見つけたって話がある。そこで龍神の姿になったの乙姫に試されて宝をもらう。でも、諏訪のほうに似たような話があるようだし、こいつはその話をこちら風にアレンジしたものらしいなあ。地底の竜宮以外は大体がそっちの話と似たようものだったから。あとは……平家の落人伝説かな。源氏に負けて平家の人間が、地下に逃げてそこに財宝を隠したって話もある。こっちもわりとこじ付け感が強いんだよな。この辺に金鉱脈があるって話はないけど、もしかすると地下深くにそういうのがあったのかもしれない。それとも、誰かが隠したかは知らないけど、本当に黄金の財宝を隠した人間がいた……ってことかもな。これも想像の範疇を出ないが……」
一気にしゃべった後、セーハチは大きくのびをして、あくびを漏らした。
「じゃあ、こういう説は?」
無言で聞いていた、いや聞かされていたゲンやんはうつむいて、
「話を素直に受け取って、この町のご先祖は龍から黄金をもらって、それで龍を神様だって、崇拝していたとか」
「……お前の案を信じたら、あの怪獣がそうしたってことになるぞ」
セーハチの言葉に、ゲンやんは反論ができない。
「まさかしゃべって伝えたのか? お前が夢に見たみたく、夢を通じてか? 夢か。そうだ。あの怪獣たちのことは、夢でみんなに伝わってるんだったな」
セーハチは目に鋭い光を宿して、ゲンやんを見た。
「信じるのか?」
「信じない。でも、人間の心というか、脳みそに強く作用するなにかを、あのでかい生き物は持ってるのかもな。これも漫画みたいな話だが……」
「こんな話してる時点で、今さらだと思うけどなあ」
「そういえばそうか」
ゲンやんとセーハチは大きな声で笑い合った。
「ああ。でも、ない話でもないかもしれないぞ。イルカセラピーって知ってるか?」
「確か……イルカの出す音かなにかで人間の心を癒すとか、だっけ? テレビで見た」
「癒すどうこうは置いておくとして。あの龍神様だかも水棲生物だ。もしかすると似たような機能を持ってるかもしれない。それが人間の脳に影響を与えるとしたら」
「あの夢も……」
「仲間に情報を発信してるのを、人間が間違って受信したとか、かもな」
だとすれば、あまりありがたくない話である。
あんな夢はこりごりだ、とゲンやんはこめかみを指でつついた。
二人を呼びにキロクが離れへ入ってきたのは、そのすぐ後のこと。




