〇三
○
まず、結論として。
キロクの容態は深刻なものではなかった。
病院で点滴を受けて、お昼過ぎにはケロリとしたそうである。
医師の話によると、強いストレスで一時的に参ってしまったらしい。
ただ? どういうわけか、同じような症状で運び込まれた人が他にも何人かいるらしいので念のためということで、一日泊まって経過を見るとのことだった。
大したことなかったと言っても、場合が場合なのですぐにキロクの両親には連絡が送られ、母親が飛んできたそうだ。
キロクの母は、元気な息子の姿を見るなり、ホッとするより怒り出したそうである。
しかし、おじさんによれば、
「なぁに。安心してるっていうことだよ。照れ隠し、照れ隠し」
と、いうことらしかった。
これらは、病院から電話してきたキロクから直接聞かされたことである。
「良かったね、大ごとじゃなくって」
話を聞いた真澄は、笑顔でそう言ってくれた。
「だけど、キロクって実は体が弱いの? 見た目頑丈そうなのに」
「いや、体力は人一倍あると思うんだけど……。どうしたのかな?」
真澄の疑問は、ゲンやんの疑問でもあった。
環境の変化で体調がおかしくなるということは、あるかもしれないが。
「神経のほうは、人一倍繊細だけどな。感受性豊かというやつか」
セーハチは、頭をかきながら鋭い目で虚空を睨んでいた。
「なにか言いたいわけ? もったいぶった表現しちゃって」
それが癇に障ったのか、真澄はちょっときつい口調で尋ねた。
「ゲンやん。お前、夢を見たとか言ってけど、どんな夢だった?」
「え」
唐突な質問に、ゲンやんは思わず喉を鳴らす。
情けない、カエルみたいな声が漏れた。
しかし、セーハチの追求は言葉数は少ないが、容赦なく逃げ場がない。
ついにゲンやんは、夢の話を詳細に語らされてしまった。
「……それ、まさか、山の中の」
話を聞いていた真澄は言いかけてから、口元を手で隠す。
セーハチは、なにも言わずに黙ったまま聞いていた。
その時、つけっぱなしになっていたテレビから鳥の鳴き声がした。
ゲンやんは、いや居間にいた三人は驚いてそちらに集中する。
映っているのは、凶悪な面相の海鳥と太平洋のどこかの島。
確かこれは、最初の夜に見たニュースで流されていたものだ。
ニュースでは、大量発生していた海鳥が、突然姿を消してしまったと言っている。
不思議なことに、どこかで死体が大量に見つかったということもなく、本当に影も形もなくなってしまったらしい。
海鳥のせいで被害を受けていた近くの漁民は、ホッとしているとのことだった。
と、セーハチがリモコンを手に取り、チャンネルを変える。
変えた先では、天気予報らしきものをやっていた。
『昨夜北太平洋で発生したという大型の竜巻について』
テレビのキャスターはそんなことを語っている。
昨夜未明、太平洋のある箇所で巨大な暴風雨が起こり、大きな被害を出たという。
衛星写真に映されたそれは、ハッキリ言って台風そのものだ。
ただ、それは突然に発生して、また唐突に消滅したのだという。
「まるで逃げたみたいだね……」
そんな真澄のつぶやきに、ゲンやんはあの夢を思い起こす。
(でも、まさかなあ……)
気がつけば、ゲンやんは曖昧な笑いを浮かべていた。
「すまんけど、またパソコンを貸してくれるか」
テレビの前に座り込んでいたセーハチは、不意に立ち上がると真澄に言う。
「隣の洋間にある共用の、使えばいいよ」
「すまん」
そう言いながら、セーハチは居間の隣室へと小走りに向かっていった。
「おいおい……ちょっと待って」
ゲンやんはなにか引き寄せられるように、セーハチについていく。
洋間はその名前の指すとおり、畳敷きではない洋風作りの部屋で、一応パソコンは置かれているけど、半分物置に近い扱いのようだった。
セーハチはデスクに置かれたパソコンを起動させると、椅子に座って腕を組む。
「あのさ、なにを調べようっていうんだ。さっきのニュース?」
ゲンやんはセーハチの後ろに立って、尋ねる。セーハチは振り返らない。
「それもある」
「他にもあるのか」
色々ある、とセーハチはどこか厳しい声でゲンやんに答えたのだった。
「正直なところ、ゲンやん。あの崖から出てきたのを、なんだと思う」
「……いや、なにって」
突然の質問にゲンやんはドギマギする。
「怪獣じゃないの?」
そう答えたのゲンやんではなく、真澄だった。
「まあ、そういうのが一番わかりやすいよなぁ」
セーハチは小さく笑って、起動したパソコンをインターネットにつなぐ。
「じゃあ質問を変えるけど。荒女山に祭られてる神様。あれはなんだと思う?」
「は? そりゃあ神様は……神様は、女神だったっけ?」
おばあさんの話を思い出しながら、ゲンやんは答える。
「神様には違いない。でも、なんの神様だ。」
「そりゃ山の神でしょ」
なに言ってるの、と真澄は鼻で笑う。
「あれから調べてみたけどな。あそこの祭神は、ワタツミ。古い伝説だと龍神だ。昔むかし、龍神が現れて、自分を祭るなら守護神としてここを守ると言ったんだと」
「龍? つまりドラゴン?」
セーハチの言葉に、真澄は少し驚いたようだった。
「正確には九大竜王権現ってなってるけどな。ワタツミってのは海の神様」
「海って、こんな山の中で?」
「ああ、どこを調べてもそうだったぞ。配神、つまり一緒に祭られてる神様も色々あったけど……どれも基本海や水に関するものばっかだった。龍はもちろん水の神」
「知らなかった……。ていうか、考えたこともなかったな」
真澄は目を丸くして、天井を見上げている。
その視線の先には、荒女山の姿があるのだろうか。
「ただ神社の由来ってのは、けっこうあてにならないのもあるらしい。江戸時代の神道とか、明治の神仏分離とかな。それ以前は仏も神様も一緒に祭ってるなんてフツーだったらしいぞ。竜王ってのが、仏教からのものだしな」
「ただ不思議なのは……その数字なんだよなあ」
セーハチはパソコン画面にうつったものを指しながら、笑うように言った。
「数字」
身を乗り出したゲンやんは、画面の中にある『八大竜王』という文字を見た。
「竜王ってのは、仏教の守護神で、たくさんいるらしい。大小の眷属を合わせると、それこそ何百って数になるとかな」
画面内には、確かにそんなようながことが書いてある。
『八大竜王』『天竜八部衆』『仏法の守護神』などなど。
「しかし、荒女山に祭られてるのは九大竜王だ。八じゃない」
「それがどうしたの。たった一個の違いじゃない?」
真澄が言うと、セーハチは頭をかきながら、
「俺も最初は誤植かなにかと思ったんだ。でもな、どの本にも九大竜王と書かれているんだ。
しかし、仏教で竜王関係と調べる八大竜王だ。九という数字はない。こいつは、荒女山独特のものらしい。ずんぶんと珍しいんだぜ」
セーハチは言いながら、また別の記事を検索しだす。
その間にも、セーハチはしゃべり続けて、
「荒女山近辺の伝説とか昔ばかしは色々あった。麓の水域に出るお化けとか、池の底が竜宮につながってて、そこに招かれる話とかな。面白いのは、それの登場人物がみんな『きゅう』と頭につくことだ。九兵衛とか九右衛門とか、九五郎とかな。『きゅう』とのばさず、九郎ってのもあった。で、ほとんどが水とか海に関わる。荒女山の女神の話もそうだろう? こーんな山の中なのに、遠い海が関係してくるんだからな」
「あんた、今までそんなこと調べてたわけ?」
真澄は軽く目をむいて、セーハチを見つめた。
「ああ。俺らが見たのが幻覚じゃなくて真実だったら、一体なんなのかって考えてな。もしやヒントがあるかもと、神縛町と荒女山のことを調べてみた。結果は、大したものじゃなかったけどな。さっき言ったようなことがわかっただけだ。ただ……」
「ただ? なんだよ?」
「あの山の地下には大きな水源があるらしい。そんな話もあったなあ。いったいどれくらいの深さなのか、そのへんはわからなかったけど。詳しく調べた人はいないようだし、言い伝えや噂がちょろちょろとあった程度だ。所詮中学生じゃこんなもんか」
と、セーハチは自嘲しながら言った。
「……もしかすると、あのおっきなヤツは土の中じゃなくって地底湖とか、そういうところにいたとか? だとすると、そこにつながる出入り口みたいなのが……」
真澄は目をぐるぐるさせながら、夢でも見ているようにつぶやいた。
「あっちこちにあるのかもな。例えば川とか、池とか。山のどこかとか」
「それって、あの夜見た。いや、待てよ? 真澄が昔見た……」
ゲンやんは思い出す。
夜中に三人が見た大きな生き物。真澄が昔に見た池の中の怪異。
それらが、まるでパズルのピースみたいにはまり合いながら、あの巨大な腕を持つ生物と、夢で見た怪物の姿へとつながっていくような気がした。
だけど、それはあまりにも荒唐無稽で。
「ひょっとして、あの池にいたヤツが大きくなって?」
「関係はあるかもしれないけど、違う気がするな」
真澄の視線に、セーハチは首を振った後、
「ああ、そういえばな。お前が見たっていう変なのも、似たような話があったぞ」
そう言ってまた、パソコン画面を指す。
『ぬらりひょん』
大きな坊主頭をした、僧侶の姿をしたお化けの絵が映っている。
「どっかで聞いたことあるな? これ」
「妖怪の親玉とかいう話が有名になってるけど、瀬戸内海に伝わってるのは海坊主の一種だ。海上にプカプカ浮かんできて、捕まえようとすると、ひょいっと沈む」
セーハチの説明にゲンやんと真澄は、チラリと視線を合わせていた。
「だけど、同じような名前の、同じような妖怪の話がこのへんに伝わってる。ぬらりひょんと言われてないけど、特徴は同じ。出るのは池や川だけどな」
「なんて言われてるの?」
「郷土史には、竜宮の使いとか書かれていた。単体の時は吉兆だと言われているが、複数だと凶兆の前触れらしい。特に台風とかな。九人ミサキと言ってな。そう、このミサキというのも不思議なんだよな」
「ミサキっていう妖怪ってのは、色んなところに伝わってるけど、複数は場合七人が一般的。九人っていう数字はここだけ」
「ちょっと待って。そのミサキってのは、妖怪っていうか、神様の使いって感じ?」
真澄は身を乗り出して、ネットでミサキに関する情報を検索する。
「ああ、だから竜宮の使いって言葉はピッタリなのかもな。つまり、龍神の使い」
「……あのさ。変なこと言うけど、いいか」
ゲンやんは夢の記憶に引きずられるように、セーハチの肩を叩く。
「ひょっとすると、僕たちが見たアレって怪獣じゃなくって、神様?」
「ええ? あれが? じゃ、じゃあ昔ばなしの女神様って……。ええ?」
真澄は椅子から転げ落ちそうなほどに驚くが、ゲンやんが急いで支える。
「かもしれん。神様というか、昔の人にはそう見えたのかもな」
わるさ神。気性の激しい女神。龍神。海上の船を沈める荒ぶる神。
「村がなにかの理由で困窮した時、井戸水を噴き出させたり、あるいは黄金を与えてたりと。そういう伝承もあったな。ただ、どれもあんまり詳細なものはない。というか人に伝えるのを避けているような感じさえした」
セーハチは首を振って、
「もしも、あの山の地下に大きな地底湖があって、アレが棲んでいたとしたら……」
「それを、昔の人が見たとしたら……龍だって思っても、不思議じゃないか」
ゲンやんのセーハチの言葉を継ぐようにしてつぶやく。
「でも女神って……。アレ、メスなわけ?」
真澄は素朴な態度で首をかしげていた。
「山の神が女ってのは、けっこう普遍的なもんらしいけどな。でも、もしかしたら、そうなのかもしれん」
セーハチは笑って、
「怪獣が神様ってのおかしい気がするが、龍ってのも見ためは怪獣みたいなもんだし、中国の古代神話じゃ怪獣みたいな姿の神様なんてウジャウジャいる。日本神話のスサノオだってな、やってることを見ればまるで怪獣みたいな暴れぶりだぞ」
「…………うーむ」
真澄はむっつりと顔をしかめて、考えこんでしまった。
そうしていると、大きなアマガエルみたいで、ゲンやんはおかしくなってしまう。
「つけたすのなら。この近くにある竜王寺って真言の寺があるけど、そこを開いたお坊さんは荒女山で九大竜王からお告げを受けて、神社を建てたともされてる。法名は竜運。竜を運ぶと書くわけだ。これも面白いところだよな。ついでに、竜王寺の本尊は弁才天。金運とか音楽のご利益があるって言われてるけど、元をたどれば水の女神だな、これが」
「でも、確かに黄金をくれたって話も……」
ゲンやんが指摘すると、セーハチは膝を叩いて笑う。
「そう。そのとおりだ。だから福徳って部分も重なる。これって偶然か?」
「……だけど」
「わかってる。あの大きな生き物が、本当に神様だって言ってるわけじゃない。でも古くからこの土地に信仰されてきた、なにかと大きなつながりがあるのは……」
「もういい。なんか頭がゴチャゴチャしてきたし!」
熱を帯び始めたセーハチの声を、真澄は強引にさえぎった。
「もう、こうなったら素直に考えよう? 昔の人にみたいさ。あたしらは偶然かご縁があったのかしらないけど、神様が出でくるところへ居合わせた。それでも良くない?」
「じゃあ、あの後どこに行ったんだ」
手を広げながら主張する真澄に、ゲンやんは言った。
「海でしょ? 荒女山の下にあるのは、湖じゃなくって大きな川だとしたら。女神様はそこを通って、瀬戸内海から大西洋まで行ったのだあー!」
真澄の強引の主張を、ゲンやんとセーハチはポカンとして聞いていた。
ゲンやんは一瞬、夢の巨大生物が大海原を悠々と泳いでいく姿を幻視する。




