〇二
○
「最悪だ……」
白い光の中で、ゲンやんはつぶやいていた。
もはやなじみのものとなりつつある天井と、部屋の匂い。
寝床からゆっくり起き上がるものの、頭の隅には夢の光景が残っていた。
「なんだったんだ、あれ……」
しばらく、上半身を起こしたままボーッとした後、ゲンやんは自分の頭を叩く。
ここに来てから変な夢ばかり見たが、今回の最高レベルのおかしさだった。
目を閉じると、瞼の裏に巨大な怪物たちの姿と叫び声が甦ってくる。
それも、気持ち悪いほどにハッキリとしたものだった。
夢の記憶というのは、たいてい曖昧でボンヤリとしているもので、起きた途端に忘れ去ってしまうものだ。
だが、今回の夢は恐ろしいほどに記憶に残っている。
残っているどころか、忘れようとしても忘れられそうになかった。
なにしろ、怪物たちの姿は、その小さな細部までしっかり頭に刻み込まれている。
ゲンやんに絵心があれば、すぐに詳細な絵が描けてしまうだろう。
隣を見ると、セーハチが布団の上で丸くなっている。
昨夜遅くまで読書をしていらしく、枕元に紙の束と、山積みの本。
ゲンやんはそっと、紙の束を取ってその内容を読んでみる。
わかりにくい短文がいくつも書かれており、正直読みやすいものではなかった。
やっぱり、神縛町に関するものではあるらしい。
だが、しかし。
書いた本人はいざ知らず、知識も興味もないゲンやんにとってはまるで暗号だ。
かなり熟睡しているようだったが、ゲンやんの気配を感じてか、
「ううう……」
うなるような声を発した後、がばりと跳ねるように身を起こした。
キロクは昨日さんざん昼寝をして、夜も真っ先に寝たくせにまだ眠っている。
「おい、おい」
と、ゲンやんが声をかけたけれど、無反応だった。
その代わりに、ごーごーと聞き苦しいいびきをたてている。
「ほっとけ。そのうち起きるだろ」
起こそうとするゲンやんを、セーハチが止めた。
それもそうだ、とゲンやんが手を離すとほぼ同時に、離れのドアを叩く音が響く。
「おーい、ネボスケくんたち。起きてるかねー」
「起きてるよ」
ドアの前で立っていた真澄に、ゲンやんは気後れがちに返事をする。
「朝っぱらからうるさいなあ……」
ゲンやんに続くセーハチだったが、その表情はまだ眠そうだった。
「しかし、ようやく晴れたね」
空を見上げながら、真澄はうれしそうに言う。
天気予報では雨が続きそうだと語られていたが、本日の朝は快晴。
夏らしい日差しと気温が、ようやく戻ってきたようだ。
ゲンやんは庭を歩きながら、遠くに見える荒女山を見やる。
快晴の下に見える荒女山は、最初に見た時と同じようにきれいだった
不気味さも怖さもない、形の良い山である。
「なんにも、起こらなかったなあ」
ゲンやんは荒女山を見たまま、真澄に言った。
そうだね、と真澄はクスクス笑う。
自然災害も、怪獣が現れて暴れることもなく、平和に過ぎていった昨日。
晴れ模様を見ていると、今日もそんな一日であるような気がするのだった。
「なんか、機嫌よくない?」
ゲンやんは真澄を見て、直に感じたままを言った。
元から陽性で人懐こいところのある真澄だが、今日はいつもに増して明るい。
「晴れたから、かな? うん」
真澄はニコリとしていたが、急に真剣な顔で考えこんで、
「なんだろうね。悪いことがなくなったような? そんな感じがするんだよね」
「悪いことって?」
「わかんないけど。そんな感じ」
「おい」
そこに、さっきまで眠そうしていたセーハチが声をかけてくる。
「夢見は良かったか?」
なに? と振り向く真澄に、セーハチは切りつけるような声でそう尋ねた。
「ああ。そういや、良い夢を見たような気がする。おぼえてないけど」
「夢?」
なるほど、というようにうなずいている真澄の言葉に、ゲンやんは反応してしまう。
夢という単語で、またも昨日の夢を思い出してしまったのだ。
耳の奥で、あの巨大な生き物の咆哮が聞こえたような気がした。
真っ暗な空と幾度となく走る稲妻。轟々と荒れる海。
暴れ狂う巨大な怪物たち。
それはいつ果てるともなく続き、大海と天空を揺るがせていく。
「どうかしたの?」
と、真澄に声をかけられるまで、ゲンやんの意識は夢の中に戻っていた。
「あ、ああ。なんか昨日変な夢見ちゃってさ……」
「ふーん。どんな夢よ」
「……それは」
真澄に尋ねられて、ゲンやんは言いよどむ。
まさか、怪獣が大暴れしてた夢だよとも言いにくい。
「あ、それよりも! キロクを起こしたほうがいいかなー。もうすぐごはんだろ?」
ゲンやんはそんなことを言いながら、離れへと走る。
「こら。ごまかすな! さては人に言えないような……」
真澄は半分ふざけながら、ゲンやんの後を追いかけるのだった。
「……アホか。あいつらは」
セーハチは首を振ってから、顔を洗うために水道のほうへ向かう。
タオルはあらかじめ用意しているのだ。
「おーい、キロク? 早く起きろよ?」
「だから、ごまかすんじゃないって」
離れでは、キロクを揺さぶるゲンやんに真澄がからかいの声をかけている。
「おい、起きろって」
これだけ騒いでもキロクは起きる様子を見せないので、ゲンやんはとうとうくるまっているタオルケットを乱暴にはぎ取ろうとした。
「ちょっと待って」
ゲンやんの手を、真澄の手がすばやく止める。
真澄はなにか深刻な表情で、そっとタオルケットをめくってキロクの寝顔をうかがう。
露わになったキロクは、まだ眠っていた。
しかし、その顔には汗をびっしょりとかき、顔面も蒼白となっている。
「キロク……!」
驚くゲンやんを残して、真澄は弾丸のように離れを飛び出していった。
「お父さん! 大変だよう!」
真澄の声の後、まずはセーハチが離れへ戻ってくる。
それからすぐに、キロクはおじさんの車で病院へと搬送されたのだった。




