〇二
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「あたしは、いまだに変な夢だったのかと思ってるけど……?」
真澄はクールサーバーとお盆を手に立ち上がり、また台所へ。
「……キロクがのびちゃったのも、アレを見たせいかな」
「かもな。誰だって気絶したくなる」
セーハチは弄っていたケータイをしまうと、キロクの寝顔へ目を向ける。
布団の上でキロクはすーすーと穏やかな寝息をたてており、ゲンやんたちの困惑など知ったことか、と言わんばかりであった。
「アレ、ものすごくでかかったよな? 全身が出てきたら五十メートルくらい?」
ゲンやんは目撃した手を思い出しながら座り直す。
五十メートルという数字は、小さな頃に見た怪獣図鑑の影響だった。
図鑑に掲載された怪獣たちのデータは、だいたいが五、六十メートルくらい。
体重は、とんでもなく重いものが多かったと記憶している。
「わかるか、そんなもん。実際よりずっと大きく見えただけかもしれんし」
「あ、そうか」
セーハチの冷たい声に、ゲンやんは納得してしまう。
実際のところは、もっと小さかったのかもしれない。
例えば、もしティラノサウルスが突然現れたとしたら。
そして目撃者がティラノサウルスをまったく知らないとしたらどうだろう。
古代の肉食恐竜は、山のように巨大な怪物として映るのではないだろうか。
「なあ、ひょっとしてアレをケータイで撮影とか……」
「無理だった」
ゲンやんの言葉に、セーハチは目を伏せて首を振った。
「それでできてたら、集団幻覚だったかどうかすぐにわかったのにな」
心底悔しそうに言って、セーハチはケータイを見せた。
崖崩れ現場の写真だ、
なだれ落ちた土砂や岩石が道路はおろか、川の中にまでも及んでいる。
「これはひどい……」
以前よりもさらに悪化している状況に、ゲンやんは身震いした。
ついさっきまで、これを肉眼で見ていたと思えばさらに恐ろしい。
「撮れたのは、ことが終わった後のやつだけだ」
セーハチはケータイをしまうと、ぶんぶんと首を振った。
まるでそれに合わせるように、ドサリと音をたてて黒いものが床に置かれる。
それは、少し大きめのショルダーバッグだった。
「三時のおやつにしよう」
いつの間にか戻ってきた真澄がフンと鼻息荒く言った。
大きなやかんを左手に、コップの載ったお盆を右手に持って。
「わざわざ、新しいコップ持ってきたのか……」
お盆を見ながらセーハチが言ったが、真澄は答えない。
「なんかもー頭がモヤモヤするし。こういう時は甘いものがいいんだよ、甘いのが」
真澄が乱暴にバッグを開けると、中にはチョコレート類を始めして、様々な種類のお菓子がギッシリと詰め込まれていた。
「こいつはあたしのおごりだから。遠慮なくやってちょうだい」
「変な言いかた……」
ゲンやんが言っているうちに、真澄はすばやくコップにお茶を注いでいく。
「どんどんいって、どんどん!」
そうゲンやん、セーハチに促しながら、真澄はドンドンお菓子を開けていった。
こうしたわけで、強制的におやつタイムが始まってしまったが。
真澄はやや遠慮気味のゲンやんたちにかまわず、次々にお菓子を平らげていく。
ゲンやんはその勢いに気おされて、二つ三つゆっくりと食べただけだった。
「……でも、結局アレはなんだったのかなあ。あの怪獣」
ボリボリと音をたててビスケットをかじり、真澄は言った。
「あれかなあ? そのうち地下からもっとでっかくなって飛び出すとか」
「やめろよ。それより……やっぱり、みんな見たのか」
真澄の不吉な意見に、ゲンやんは泣きたくなってしまう。
「そりゃ、そうだよ。あんな馬鹿でっかいもの、見逃しようがないし」
怒ったように言って、真澄はまた次のお菓子を開けた。
「……あんなのがいるって知ってたら、こんなとこ絶対こなかったな」
セーハチは柿の種をかじりながら、渋い顔でつぶやく。
「おい、やめろって」
「あたしだって、ずーっとここで暮らしてるけど、今日初めて知ったよ」
止めようとするゲンやんを押しのけるように、真澄が冷たい声で返した。
と、真澄は急に庭のほうを振り返る。
川向こうの道を、数台の車がかなりのスピードで走っていった。
「今頃になってか……」
荒女山の方向へ走る車を、セーハチはさめた目つきで見る。
「もともと近くに人もいないければ、車もあまり通らないとこだったし。前の崖崩れのせいでそれもゼロに近くなったらしいから」
板チョコをバリバリとかじって、真澄は小さく肩をすくめる。
「僕らの他にも見た人はいるのかな?」
「さあねえ。でも、いたとしてもあまり人には話さないんじゃないかなー。ほら」
あぐらをかいた足を揺らしているゲンやんに、真澄はお菓子をすすめる。
アルフォートだった。
「だよね。僕らだって、言いにくかったし……」
アルフォートを受け取りながら、ゲンやんはうつむく。
「実はあたしだって、変な幻覚だったとか。夢じゃないかって思ってるんだよね」
「あのでかいの、周りがうるさいからって暴れたりしないよな?」
「うーん……。そうならないと、いいなあ」
顔を見合わせるゲンやんと真澄。
「あんだけでかけりゃ、外で歩き回るより土の中で眠っているほうが楽そうだけどな」
セーハチは、空になった大き目の袋へ、他の空き袋を入れていく。
「やっぱり、アレはずーっとあそこで昔から眠ってたのかな」
ゲンやんはお菓子を食べる速度を上げながら、何度も瞬きをする。
「そりゃ、昨日今日ってことはないだろ」
セーハチはお茶を飲んで、こめかみを揉んだ。
「でも、よく考えるとこの状況も変じゃない?」
ゲンやんはお菓子を食べる手を止めて、ぽつりと言う。
「なにがよ」
「だって……いきなり、山の中からでっかい怪獣が出てきたのを目撃してのに。そのまま家に帰ってきて、お菓子食べてって……。変じゃない?」
ゲンやんは、そう真澄に語るのだった。
「そうは言われても。見たのはでっかい手と目だけだし。その後土の中にもぐって、それきりだったし。あたしらにどうしろってのさ。怪獣が出たとか怪獣を見たとか言って騒ぐわけ? ちょっと無理があるのは、君でもわかるっしょ」
「そうだけど……」
「地震とかならまだいいよ。でも、怪獣だよ? 本当に出てきてみんなが存在をハッキリ認められるんだったらいいけど。UFO以上に信憑性薄いもんね」
真澄は自分で自分を馬鹿にするように、低い声で笑った。
「なあ? なんかそれらしい話とか残ってないのか? 大きな生き物がいたとか」
「わかんない……。地元の昔ばなしなんか、知らないし。興味もなかった」
ゲンやんが尋ねてみても、真澄は首を振った。
「地元民があんがい地元を知らないってのは、あるかもしれん」
セーハチがひどく冷静な声でそう言った時だった。
「ふ、あああ……」
おおきなあくびが、会話を中断させた。
振り返るゲンやんはたちは、布団の上で大きく背伸びをしているキロクを見る。
「キロク、お前大丈夫か?」
「え? なにが?」
走りよるゲンやんに、キロクは目をパチクリさせている。
「なにがって……いきなり気絶するから、びっくりしたんじゃないか」
「気絶?」
キロクのほうは天下泰平といった顔つきで、てんで深刻さがない。
「なんにもおぼえてないの? 崖崩れのところで見たものとか」
「……あれえ?」
真澄にそう言われて、キロクは初めて考えこみ始めた様子だ。
「あそこで地震があったはずだよね? あの後……あれ? あれ?」
キロクは太目の腕を組みながら、うーんうーんと頭をひねり続ける。
「いや、便秘で苦労してるんじゃないんだからさ」
そんなキロクへ、真澄は困った顔で妙な言い回しをするのだった。
ゲンやんはそれがひどくおかしくて、つい噴き出してしまう。
「笑ってる場合じゃないかもよ。もしかすると大変なことかも」
真澄は軽くゲンやんを睨んでから、そんなことを言い始めたのだった。
「ショックで記憶が混乱してるのかもな」
セーハチはふむと、あごに手を当てながらキロクを見る。
「やっぱり、病院連れて行ったほうがいいかな……」
「俺らは素人だからなあ。あんまり軽率な判断もできんけど」
ゲンやんの問いに、セーハチは目を瞬かせる。
「あ、お菓子じゃないか」
一方でキロクは、目ざとく真澄の持ってきたお菓子を見つけて声を出す。
「あー、わかったわかった。お前の分はちゃんと取っておいてやる。だから、もう少し安静にしてろ? またぶっ倒れられたらかなわん」
セーハチはお菓子を多めに取り分けながら、キロクを声で制する。
「あっきれたなあ。心配して、ものすごーく損した気分だよ?」
そのやり取りを見ていた真澄は、ハァとため息をついた。
「それってけっこうラッキーなことかもよ」
ゲンやんは小さく苦笑して、キロクに麦茶をついでやる。
キロクのとぼけた言動は、こんがらがった状況を少し和らげてくれた。
「ほら。お前の分だ。安心して、寝なおせ?」
セーハチは取り分けたお菓子をキロクの枕元に置いてやる。
「なんだか悪いなあ」
キロクはちょっと照れた顔をしながらも、おとなしく横になった。
「食うことをこれだけ楽しめるヤツも、なかなかいないよなあ」
セーハチは首をすくめながら、席を離れていく。
「どこいくんだ?」
「トイレ」
尋ねたゲンやんに、セーハチは振り返らずに答える。
ちょうどその時、庭先でトラ猫が一声鳴いた。




