⑮
俺らを乗せた妖気機関車は、がたんごとんと音を立て、煙突からもくもくと紫色の妖気を吐き出して、東京方面へと順調に向かっていた。
おっちゃんのおかげで希望が持て、元気になった涼は、松本駅を出発する前に「ちょっと待って」と言って汽車を飛び出し、売店で紙袋いっぱいにお菓子やおつまみを抱えて戻ってきた。
俺の換金したお金だということを忘れているのだろうか。
しかしそのおかげで、午後一時に松本駅を出発してから三時間、車窓を楽しみながら静かに汽車での旅行気分を味わうことが出来た。状況が違うのであれば、途中で停まった甲府駅で下車して二人で観光でもしたかった、というのが本音だ。
「木の造りの乗り物っていいよね」
窓側に座る涼が車内を見渡しながら言った。
「そうだな。こんなのあっち側じゃあほとんど乗れないな」
俺もつられて周りを見渡す。
席は車両の後ろの方。二人掛けのシートが通路を挟んで二列で並んでいる。
角度を変えられない直角の背もたれから、角の生えた頭や、ちょんまげなどがひょっこりと見える。
この景色もあっち側じゃあ見られないとしみじみ思う。
視線を涼に戻すと、おかきをぼりぼり食べていた。鰹節とかは食べないのかな、なんて思った。
「いやあ、何とかなりそうでよかったよかった」
口の横におかきの欠片をつけた涼が言う。
俺は「そうだね」と言っておかきの欠片をつまむ。
涼は「えへへ」と笑っていた。
つられて俺も笑ってしまったが、それで逆に気が緩んでいることに気が付いた。
今は逃亡の身だ。気を引き締めねばならない。
そこで、おっちゃんの話を聞いた時に思いついたことを涼に話すことにした。
「そう言えば涼、転移石なんだけど、今持ってる?」
「持ってるよ」
そう言って胸の間に手を突っ込んだ。
「ああ、今は出さなくていい」
「そ? で、転移石がどうかした?」
「うん。おっちゃんが転移石は行きと帰りで印が付くって話してくれたでしょ? だったら俺と涼の石を交換すれば、行き帰りが逆になるんじゃないかなって思ったんだ」
「え、どゆこと?」
涼は俺の言葉にぽかんとしていた。
「えっとね――」
人間の俺は転移石の利用開始があっち側から、猫娘の涼の利用開始はこっち側から。
つまり俺がこっち側にいる場合は正式には“行き”の印が付いているはず。そして涼がこっちにいる場合は正式には“帰り”の印が付いているはず。
それが今はゆがみの巻き込まれによって逆になっている。
だとしたら、俺と涼で転移石を交換すれば、所持する転移石の印としては問題がなくなるのではないかと考えた。
俺はきっかり六駅分を使って涼にわかるように説明した。
「そゆことか……」
「ただこれにも懸念点があって、例えば転移石はこっち側でしか入手できないものだとしたら、利用開始場所に関係なく、こっち側スタートとなるから、交換しても意味はない」
「それはあるかも」
涼もそこらへんははっきりとはわからないようだ。
「でも少しでも防御策はとっておきたい」
何かあったときのために、考えられることはしておきたいと思う。
しかし涼はこの件に対して消極的なようだ。
「で、でも私、今の転移石に愛着あるし……」
「愛着?」
俺が聞き返すと涼は胸の間から転移石取り出して、周りに見られないように俺に見せてくれた。
俺の持っているものと同じ色で同じ形のものだ。卵くらいの大きさの白っぽい石。
行き帰りの印は確認できない。やはり専用の妖具が必要のようだ。
愛着があると言っても俺のと何ら変わりがない。たぶん廉次郎さんやばなりんさんも同じものを持っているのだろう。
そんな俺の気持ちを察知したのだろうか。涼はゆっくりと転移石をひっくり返した。
そこには可愛らしい目とωのマーク、そしてぴょんと三角の耳、左右に三本ずつひげが、マジックかなんかでいたずら書きされていた。
仕事の備品に何しとんねん。
あ、いや、でもわからない。これは涼の私物かも知れない。うん、飲み込もう。
「なるほど。これは愛着が湧くな」
「でしょ? 上手く描けたから交換はやだな」
「そ、そっか。うん。そうだね。この方法は諦めよう。戻ったら椚田社長にどうにかしてもらおう」
「そうしよう」
笑顔の涼。こんな顔をされたら無理矢理交換なんてできない。
それにもうすぐ山梨を抜ける。この調子だったらあと数十分、あと二駅で関東に入れるはずだ。
この路線だと、山梨県の最後は上野原駅で、次からは神奈川県の藤野駅。それ以降は関東圏内。一安心できる。
そう思った時だった。前の車両から俺らの乗る車両に移動してきた人が目に入った。
車掌さんのような人と、もう一人いた。
それは黒い兵隊みたいな服を着ていた。
「涼、今邏卒が入ってきたぞ」
俺は隣でぼりぼり金平糖を食べている涼に耳打ちをした。
「え!? 嘘でしょ!?」
驚くのも無理もない。俺も油断していた。
俺は通路にそっと顔を出して邏卒の様子を伺った。
どうやら乗客一人一人に声をかけて、車掌は切符の確認を、そして邏卒はそいつが怪しくないかを確認しているようだった。
鉄道警察隊みたいなものか? そこらへんはよくわからないけれど、俺たちにとっては非常に良くない状況と言える。
俺は今スーツというあっち側の格好をしているのだから、転移石を見せてくれと言われてもおかしくない。
「涼、車両を移動しよう」
少しでも時間を稼ぎたい。
数十分稼げたら、藤野駅に着く。そしたらそこで下車すれば輪くぐりを見つけられるかもしれない。
俺は涼の手を取るとそっと席を立ち、邏卒たちが来た車両とは反対の後ろの車両へと移動した。




