⑩
「「うわぁあああ」」
ゆがみを通り抜けた時の体勢が悪かったようで、俺はやわらかいものを抱きかかえる形で背中から着地した。
「え、涼!?」
「逢夢!」
「あの、ちょっとどいて」
「逢夢!」
さっきから俺の名前しか呼ばない。
半べそをかいている涼にいったんどいてもらって、立ち上がり体についた埃を払う。
「なんで涼もいるんだ?」
「だって……。やばいと思って逢夢を引っ張ろうと思ったらそのまま私も巻き込まれちゃった」
「そういうことか。一人だけの移動でゆがみが治まるって言っていたけれど、手をつないだりしていたらそれで一人とカウントされるのか」
それでは何人も手をつないだら、大移動が可能になるかもしれない。
「ねえ、そんなことよりどうやって帰るか考えようよ。なんで逢夢はそんなに冷静なの?」
過去に辛い目に合っている涼だ。冷静ではいられないのだろう。
「だってスマホがあるじゃないか。昨日こっち側に来た時、社長と電話してただろう? 今から電話すればいいし、ネットも繋がるんだからマップを見たらいい」
そう言ってポケットからスマホを取り出し、電源ボタンを押す。
画面が暗いままだ。
もう一度、電源ボタンを押しても変わらない。今度は長押しをしてみる。
なぜか画面は暗いまま変わらない。
「逢夢……。昨日はちゃんと輪くぐりをくぐったから使えるんだよ。ゆがみの移動は強い妖力とか磁力とかよくわかんないけど、電気系統はだめになっちゃうんだ……」
「な、なんだって!?」
たしかに、ひょんなことで巻き込まれちゃった人が、スマホなどで連絡を取ったら、こっち側の存在が露呈する。逆に今まで露呈していないということは、ゆがみに巻き込まれたら連絡ができないということでもあると考えられる。
「それに逢夢のように少なからず妖力を持っている人は無事だけど、そうじゃない人はゆがみを通っただけで死んじゃったりするんだよ」
「やばいじゃん」
「やばいよ……」
ゆがみ巻き込まれ経験者の涼は不安が強いのかいつもの張りはない。
出会って二日目だが、涼の良さは元気のあるところだと思う。
涼をこんなにしょんぼりさせるようじゃ男が廃るってやつだ。知らんけど。
どうせ連絡が取れるからと楽観視していたけれど、それができないとわかった今、俺も少し不安を覚える。でも涼の前では冷静でいよう。
「まあとりあえず、誰かに声をかけてみよう。そしてここがどこか聞いてみよう。何とかなるって」
「そ、そうだよね。う、うん。今回は二人だし、大丈夫だよね」
「おう。絶対帰ろうな」
「お、おけ」
涼も少しずつ調子を取り戻しているようだ。
俺も気を引き締め直す。
周りを見ると薄暗い路地裏のようだ。
建物は古い日本家屋ばかりなので、全然見当がつかない。
進むべき道がわからないので、直感に任せて歩き出す。
後ろをついてくる涼は、やはりまだ不安があるそうだ。肩をすぼめてきょろきょろとしている。
「ほら」
俺は涼に手を差し伸べる。
「え?」
「ほら。いいから」
「べ、別に子供じゃないんだから」
「じゃあいいけど」
「あ、いや、じゃ、まあ……」
そう言っておとなしくなった涼が俺の手を掴む。
ゆっくり歩き出した。
「そだ、逢夢。さっき誰かに話を聞こうって言ってたけど、それはだめだよ」
涼が思い出したように言う。
「なんで?」
「あっち側で私たちがゆがみでの移動を止めたのと同じで、こっち側に来るのもだめなの」
「そういうことか」
それから涼は不安ながらも一生懸命説明してくれた。
どうやら見つかったら最悪殺されるらしい。これはまじで最悪だ。
俺の考える案がことごと潰される。
帰れるのだろうか?
不安が募るが表に出さないように気をつける。
でもこっち側に人間が来ることは珍しいことではない。実際、昨日俺もこっち側に来ている。
だから目立たない行動をしていれば怪しまれないはずとのこと涼も言っていた。
平然を装っていれば現状の把握をすることができるかもしれない。
「それじゃあ涼を助けてくれた猫の妖怪って、本当に良い妖怪だったんだな」
「そ、もうあこがれの妖怪だよ」
涼の表情が明るくなった。
俺も少しうれしくなった。
路地裏をそうして歩いていると丁字路に突き当たった。
どうやら右側に人がいるようで、何やら声が聞こえた。
見られちゃまずいので、涼と二人、声を潜めてそーっと覗き込む。
うずくまる一つの影とそれを見下ろす二つの影。
光が少なくそれくらいしかわからない。
「てめぇ、逃げやがって」
奥にいる影がそう言いながら、うずくまる影を蹴っているのがわかった。
「す、すみません……。もうゆがみの先に守衛がいたんです……」
声と内容でわかった。さっき涼がゆがみの移動を止めた赤鬼だ。
「だからってのこのこ帰ってくるんじゃねぇよ」
どかどかと踏みつけるような音がする。
その度うずくまっている赤鬼は何度も「ごめんなさい」と言っている。
「そこらへんにしておけ」
今まで黙っていた手前の影が、低いどすの効いた声で言った。
「は、はい」
さっきまで赤鬼を痛めつけていた影は素直に従った。
様子を見ると、手前の影がボスなのだろう。上下関係がしっかりしているようだ。
「もうこいつには用はない。わかるな?」
「はい」
「しっかりやれ」
手下に命令すると、ボスの顔に光がともった。タバコに火をつけたようだ。
まるでトカゲのような顔をしていた。
目が合ったような気がした。
見てはいけないものを見てしまった。聞いてはいけないようなことを聞いてしまった。
涼も同じように思っているのか、動きが止まっている。
「ごめんなさぁああぎゃああああ」
赤鬼のさっきまでとは違う声が響いた。
その声で我に返った。
「涼、逃げよう」
俺はやばいトカゲのいる方とは反対側を指さして、涼の耳元で伝えた。
涼はいつになく真剣な表情をして、こくりと頷いた。
どちらかが合図せずとも、同時に駆け出した。




