第百三十九話 「妹」
母さんは僕からの報告を聞いて、僅かに目を見開いた。
僕自身、こんなにも早く5000万ノイズを貯められると思っていなかったので、母さんからしたら余計衝撃的に聞こえたことだろう。
しかし母さんは、すぐに落ち着いた様子に戻ると、不意に何かを思うように目を伏せた。
「……そう。お金、貯まったのね」
「……?」
母さんの頬に笑みは浮かんだまま。
けど心なしかその笑みからは、喜びの感情を強く感じず、僕は不安な気持ちで尋ねた。
「ど、どうしたの母さん? 嬉しくない?」
「ううん、そうじゃないの。コルネットの呪いを治すためのお金が貯まったんだもの、嬉しくないはずがないわ」
「じゃあ、どうして……?」
浮かない顔をしている理由を聞くと、母さんは僕の目を真っ直ぐに見つめて答えてくれた。
「嬉しいんだけどね、こんなに短い時間ですごい大金を稼いだってことは、アルモニカによっぽどの苦労をかけさせちゃったんだろうなって思ったのよ。本当は母親の私が、それをするべきだったのに」
「……」
息子に苦労をかけさせてしまったことを申し訳なく思っているらしい。
アニマート家は僕とコルネットが幼い時に、父親を病気で亡くした。
それ以来、女手一つで母さんが僕たちを育ててくれて、大切なこの家と僕たちをずっと守ってくれた。
だから今でも子供たちの問題は、全部自分が解決するべきだと母さんは考えている。
そんな母さんに無理をしてほしくないから、コルネットの呪いを治すためのお金は僕が稼ごうと思ったんだ。
だからこれは……
「……これは僕が好きでやったことだし、ここまで育てて守ってくれた母さんへの恩返しだから、母さんが気に病むことじゃないよ。それにね……」
「……?」
「苦労なんて全然してないから安心して。だって僕には、心強い仲間がいてくれたから」
そう言ってヴィオラとミュゼットを見ると、彼女たちは笑みと頷きを返してくれた。
僕には頼りになる仲間がいる。
その仲間たちのおかげで、あまり苦労をした覚えはない。
ホルンたちのパーティーを追い出された時はしんどかったけど、結果的にこうして信頼できる仲間に出会えて、充実した冒険ができたと僕は思っている。
「……そう、それならよかったわ」
笑みを交わし合う僕たちを見て、顔を曇らせていた母さんが安心するように微笑んだ。
次いで母さんは天井……厳密に言えば二階の方に目を向けて続ける。
「それじゃあ、コルネットにもお金のことを伝えなくちゃね。ついでに顔も見せてあげて、アルモニカ」
「うん、そうするよ」
何よりも本人が一番この報告を待ち望んでいるだろうから、僕はさっそくコルネットの部屋に向かおうとする。
二階に続く階段の方を振り向くと、同じタイミングで母さんがヴィオラたちに言った。
「ヴィオラちゃんとミュゼットちゃんも、ついでにコルネットに会ってあげて」
「えっ? いいんですか?」
「体調がすぐれない状態とお聞きしたのですが……?」
呪いで体が弱っている時に、大勢で部屋に押しかけてもいいものなのかと、ふたりは不安に思っているらしい。
しかし母さんは明るく笑って、二階へ続く階段を手で示した。
「いいのいいの。賑やかな方があの子も喜ぶだろうし、お兄ちゃんが今どんな人たちと旅してるのか、コルネットも気になってると思うから」
「で、では、お言葉に甘えて……」
「妹さんにご挨拶させていただきますわ」
母さんからすすめられたふたりは、椅子から立ち上がって僕について来てくれる。
懐かしいような新鮮なような気持ちでふたりと一緒に二階へ上がると、僕は思わず「うっ」と声を漏らしてしまった。
二階へ上がってすぐ目の前に、【アルモニカ】という札がかけられているドアを見つける。
僕の後ろからそれを見たヴィオラが、心なしか声音を高めて尋ねてきた。
「あっ、もしかしてこのお部屋って……?」
「……ぼ、僕が前に使ってた部屋」
「「へぇ……」」
ヴィオラとミュゼットの声が揃って響く。
ふたりは少しわくわくしたような表情をしているように見えて、必然僕の額には冷や汗が滲んできた。
きっとふたりは、好奇心から中を見たがっているはず。
確か見られて困るものはなかったはずだけど、子供の時に自分が過ごしていた部屋を見られるというのは純粋に恥ずかしい。
だからそそくさと自室の前を横切ると、ふたりは慌てた様子でついて来た。
思いがけない試練をひとつ乗り越えると、二階の廊下の最奥に、【コルネット】という札がかけられたドアが見えてくる。
その前で立ち止まると、僕は少し緊張した気持ちでドアをノックした。
コンコンコンッ。
「入っていいよ」
六年ぶりに聞いた妹の声。
懐かしさを覚えるよりも先に、その声が前よりも弱っているような印象を受けて心を痛める。
遅くなってしまったことを申し訳なく思いながら、僕は妹の部屋のドアをゆっくりと開いた。
最初に目に飛び込んできたのは、僅かに開けられた小さな窓と、風に揺られた白いカーテンだった。
その横には木製のベッドが置かれてあり、脚やボードは塗装によって白く輝いている。
床には小さな円卓とカーペットもあって、部屋の壁際に設置されている棚も含めてすべてが真っ白だった。
そんな白を基調とした部屋ではあったが、それ以上に肌の白さが際立つ少女が、ベッドで横になっている。
透明感のある長い銀髪に、陽の光を受けたサファイアのような明るい碧眼。
僅かに骨張った頬と首筋が痛ましく、毛布から出ている手も痩せこけて弱っている様子が強く伝わってくる。
それでも少女は僕と目が合うと、青白いその頬にゆっくりと笑みを浮かべた。
「やっぱり、お兄ちゃんだった」
「帰ってきてたの気付いてたの?」
「下から話し声、聞こえてたから。お兄ちゃん、帰ってきたんだろうなって」
どうやら二階に届くほど大きな声で話をしていたらしい。
今はコルネットと母さんがふたりで住んでいるから、下からの話し声が珍しくて余計に耳に入ってくるのだろう。
うるさくしてしまったことを申し訳なく思っていると、コルネットは母さんと同じく、思い出したように僕に言った。
「おかえり、お兄ちゃん。元気そうでよかった」
「……」
『そっちもね』と、とてもではないが返すことができなかった。




