第百三十八話 「ただいま」
【ファストトラベル】の使用により、僕たちの目の前の景色がガラリと切り替わる。
人波と喧騒に満たされた賑やかな街並みから、麦畑と草原に囲まれた村の光景が視界に広がった。
建ち並んだ木造りの民家。畑仕事をする村の大人たちと、走り回って遊ぶ村の子供たち。
草の香りが鼻腔をくすぐり、小鳥のさえずりが控えめに耳を打ち、ぽかぽかとした暖かさが使い慣れた毛布にくるまった時のような安心感を覚えさせる。
ここが僕の故郷の『クラシカル』の村。
六年前と何も変わっていない。
「ここがモニカさんの故郷ですか。空気がとても美味しいですね」
「なんだかあなたと同じでのんびりした雰囲気ですわね」
「それ褒めてる?」
まあのんびりしているのは事実なので否定はしないけど。
ヴィオラとミュゼットにも故郷の姿を見せることができて嬉しく思いながら、僕は懐かしさに浸る気持ちを振り払って告げた。
「じゃあさっそくだけど僕の家に向かおう。母さんは畑仕事で留守かもしれないけど、コルネットは家にいるはずだから」
「はい、お邪魔させていただきます。でも少し緊張しますね」
「何か菓子折りなど持ってくればよかったですわね」
「そんなに気を遣わないでいいから」
そんなことを言い合いながら、僕たちは村に足を踏み入れる。
そして土の均された道を歩いて民家を横切っていると、度々村の人たちとすれ違った。
けれど村人たちは特に僕たちの方に目を向けることもなく、気に留める様子がまったくない。
ここは田舎村ではあるけど、よく行商人やら旅人たちがやってくるので、よそ者に対して興味や警戒がほとんどないのだ。
加えて六年ぶりの帰省ということで僕の容姿も大きく変わっているため、おそらくアルモニカだと気付いていないのかもしれない。
まああと単純に、僕は別に村の人たちと仲が良かったわけではないので、気付かれていても話しかけられていないだけかもしれないけど。
悲しい思いで村を進んでいると、やがて木造りの二階建ての民家が見えた。
塗装が剥がれて所々から木面が見える薄赤色の屋根。
二階の開いた窓からは風に揺られた白いカーテンがチラチラとこちらを覗いている。
玄関先には大きい花びらが特徴の黄色い花がいくつか咲いていて、家主を出迎える侍女たちのように立ち並んでいる。
六年前と変わらない見慣れた景色に思わず顔を綻ばせると、それを見たヴィオラが尋ねてきた。
「もしかしてあちらがモニカさんのご実家ですか?」
「うん、そうだよ」
僕が幼少期を過ごした思い出深い家である。
一度は魔人の襲来のせいで一部が損壊してしまったが、程なくして修復が叶ったためその時の傷はパッと見ではわからない。
懐かしい気持ちをさらに加速させながら、いよいよ玄関前に僕は辿り着いたけれど……
「……」
ドアノブに触れようとした瞬間、思わず手を止めてしまった。
六年ぶりともなると、どうやって家に入ったらいいか迷ってしまう。
この家で暮らしていた時のように断りなく入ってしまおうか。
あるいは他人行儀にノックするか。
どちらが正しいのだろうかと迷って立ち尽くしていると……
「アルモニカ?」
不意に横から名前を呼ばれた。
僕は咄嗟にそちらを振り向く。
するとそこには、記憶を優しく撫でるような懐かしい姿があった。
銀色の長髪に薄青色の目。血の気の薄い青白い肌と細身の体。
大人しめのグレーのエプロンと革のサンダルは、素朴ながら安心感を覚えさせてくれる。
腕にはたった今取り込んだのだろう洗濯物らしき衣類が抱えられており、日常の一幕を切り取ったような光景に僕は思わず胸を撫で下ろした。
「……母さん」
間違いなく、目の前にいるのは六年ぶりに再会した母さんだった。
母さんは目を大きく見開いて固まっており、しばらく瞬きを繰り返したのち、状況を飲み込んで笑みを浮かべてくれる。
「突然帰ってくるものだから驚いたじゃないの。どうしたのよ急に?」
「あぁ、えっと……ちょっと報告したいことがあってさ」
と返す自分自身の声に、僕はつい違和感を覚えてしまう。
なんだかぎこちない返しになってしまった気がする。
僕っていつも、母さんとどう喋ってたっけ?
六年という歳月が記憶の蓋になり、かつヴィオラとミュゼットの前だからぎこちない話し方になってしまう。
そのせいで顔を熱くさせていると、母さんは静かに微笑んで言ってくれた。
「何か話があるなら、ひとまずうちに入りなさいよ。コルネットも喜ぶだろうし。お仲間さん? たちも一緒にね」
「う、うん、じゃあそうしようかな」
後ろにいるヴィオラとミュゼットにも目配せをして頷き合う。
先に家の中に入っていった母さんに続いて、僕たちも入ろうとすると、不意に母さんが足を止めてこちらを振り返った。
「あっ、言い忘れてたわ」
「……?」
「おかえりなさい、アルモニカ」
「……うん、ただいま」
その言葉を口にしたことで、ここで初めて六年ぶりに実家に帰ってきた感覚を味わうことができた。
僕たちのやり取りを微笑ましそうに眺めていたヴィオラとミュゼットも、続けて家に入ってくる。
「お、お邪魔します」
「ですわ」
ふたりは物珍しそうに家の中を見渡し始めて、そんな彼女たちに母さんは改まった様子で向き直った。
「たぶんふたりとも初めましてさんよね? 私はベルリラ・アニマート。アルモニカの母です」
「は、初めまして、私はヴィオラ・フェローチェって言います」
「わたくしはミュゼット・ブリランテですわ」
なんだか仲間のふたりと母さんが言葉を交わしている光景を不思議に感じる。
まさかこの三人が話している姿を見られるなんて。
寝ている時に見ている夢のような感覚と言うのだろうか。
人知れずそんな他愛のないことを考えていると、ふと母さんが不安げな顔でこちらを見た。
「アルモニカ、あなた確かホルンちゃんたちと一緒に旅をしてるはずじゃなかったかしら?」
「あっ、いやそれは……」
冒険者になるべくこの村を旅立った時、僕は幼馴染のホルンたちと一緒だった。
だから今もホルンたちと一緒に冒険しているはずだと思うのは当然のこと。
そして今、別の仲間と一緒にいるということは、何かしらの不幸があったのではないかと考えるのも自然なことだった。
母さんの表情から言わんとしていることを察して、僕はすぐにかぶりを振った。
「……色々と訳があってさ。今は別々に行動してるんだよ。とにかくホルンたちは死んだわけじゃないから心配しなくて大丈夫だよ」
「あらそうなの。それならよかったわ」
母さんはわかりやすく胸を撫で下ろす。
次いでヴィオラとミュゼットをリビングのテーブルに案内し、椅子に座らせながら不満げに続けた。
「まったく、たまに手紙寄こすくらいで全然顔見せないんだから、アルモニカが今どうしてるか母さんは何も知らないのよ。かと思えばひょっこり帰ってきて……」
「ごめん、忙しくて」
頭を掻きながら言い訳をこぼす。
すると母さんはヴィオラとミュゼットにお茶を出しながら微笑んだ。
「まあいいわ。とりあえず元気にやってるみたいだし。こんなに可愛らしいお仲間さんたちに囲まれてるなら、さぞ楽しくやっているでしょうから」
母さんがふたりの顔を覗き込んで笑みを深めると、ヴィオラとミュゼットは目を下げて頬を赤くした。
可愛らしいお仲間。嘘偽りのない真っ直ぐな褒め言葉に、見ているこちらも少し照れてしまう。
母さんは思ったことがすぐに顔と口に出る性格で、まったく嘘のつけない人間だ。
そしてその声を聞いた相手も、心からの言葉であることが不思議とわかり、ヴィオラとミュゼットはお世辞だと思わず照れてしまったのだ。
今まで色々な人に出会ってきたけど、やっぱり母さんほど“正直”な人間を僕は知らない。
「それで、報告したいことって何かしら?」
「あっ、そのことなんだけど」
まだ懐かしさに浸っていたい気持ちを押し殺しつつ、僕は先に伝えなければならないことを母さんに言った。
「コルネットの呪いを治すためのお金が、ようやく貯まったんだ」




