98話 白と黒の精霊
遍く星々が、アポロン星系から見渡す全天を覆っている。
惑星デルポイの周辺から眺める宇宙は、夜の大都会から見上げる夜空に近しい光度ではあったが、光の強い星は相応に輝きを放っていた。
それら星々の光の中には、大抵の人間には見えない特別な星の輝きも存在する。アポロン星系において、最大の輝きを放つ特別な星の名は、ミラと呼ばれる。
ケルビエル要塞の司令官居住区内にあって、要塞外部映像を投影しておらずとも、特別な星はハルトの視界に映っていた。
10歳の姿に戻っているミラは、一時的に居住区を塗り替えて作り出した緑豊かな庭園で、ハルトの契約精霊であるアルフリーダが用意した椅子に腰掛けながら、テーブルに出されたティーカップをフォークの先端で軽く突いていた。
フォークの金属と、ティーカップの陶磁器がぶつかって奏でられる高音が、地平線の彼方にまで続く草原に響いていった。
見上げた星空は、アポロン星系から見えるであろう本来の宇宙が、磨りガラス越しであるかのように歪んで見えている。次元の歪みは、この空間がミラによって繋げられた精霊界との狭間である事を示していた。
「お前達は、何をやっているんだ」
「ご覧のとおり、優雅なお茶会ですけど?」
思わず突っ込みを入れたハルトに、ミラは平然と言い返した。
広い空間を独占して、ゆったりと過ごすひと時は、確かに優雅ではある。
だが根本的な問題として、なぜハルトの寝室を精霊界と繋げてまで、ミラとアルフリーダはお茶会をしているのか。そして優雅なお茶会と自称しながら、どうしてミラは、フォークでティーカップを突いているのか。
突っ込みを入れたところ、さらなる突っ込み処が増えたハルトは、質問を止めて3つある空席の1つに座した。
空席の1つが、ハルトのために用意されたものである事は、疑いない。
この空間の支配者は精霊帝ミラで、ハルトはミラの対等な直接契約者だ。席が1つならミラが座り、2つならミラとハルトが座る。
精霊帝ミラよりも格下の精霊王アルフリーダが座っている以上、ミラと対等なハルトが座れないと言う事にはならない。
着席したハルトに、微笑むアルフリーダが飲み物を差し出した。
「ハルト様もどうぞ。人間が飲めるものを煎れました」
「身体がおかしな事にはならないよな?」
ナーイアスの住む川や泉の水を飲むと、人間はたちどころに病が癒えると伝えられている。
この世界は、大人の姿がナーイアスであるミラの住処と繋がっており、ハルトは人体に及ぼすマイナス以外の影響も想像したのだ。
問われたアルフリーダは、僅かに間を置いて答えた。
「怪我や病気をし難くなりますが、寿命までは変わりません。お望みでしたらご用意できますが、ハルト様の魔力に影響を及ぼしますので、今は見送りますわ」
「そうか」
アルフリーダに頷いたハルトは、ティーカップを口元に運んだ。
梨のような瑞々しい果実を液体にしたような、仄かに甘い液体が、ハルトの喉元を通り過ぎていく。
液体を身体に入れたハルトは、果実の生命力が身体に染み渡るような感覚を得た。そして同時に、もしも寿命に影響するような物を飲んだ場合は、星の生命力を吸うのだろうと、精霊達の生態から勝手に推察した。
咽を潤して一息吐いたハルトは、姿勢を正してミラに視線を向けた。
「残り2席には、誰が来る」
誰も来ないのであれば、席を用意するはずも無い。おそらく誰かが来るのであろうが、それが誰であるのか、ハルトには予想が付かなかった。
少なくとも人間では無い事は、確定である。
この空間はミラの精霊界との狭間であり、直接契約者であるハルトを除いて、人間如きは足を踏み入れる資格が無い。ハルトの死後であれば、ハルトの血を引く子孫が招かれる可能性も無いとは言えないが、今はその時期では無い。
残り1席であれば、ハルトは精霊帝ジャネットを想像した。
ハルトと契約している精霊帝同士であり、互いの領域に転移門も繋げているために、訪問してもおかしくは無い。
同様の理由で、残り6席であれば、マクリール、アテナ、深城、アルテミス、ポダレイの5星系に領域を広げる5体の精霊王を想像した。それだけ集まれば、さぞや賑やかな事になるだろう。
中途半端な2席という数について、ミラと3体で組む時期があったフルールとレーアの姿をハルトが想像したところで、ようやくミラが口を開いた。
「ハルトさんは、マカオン星系にも精霊王の領域を作りたいけれど、手元から精霊が居なくなると困るのですよね」
問われたハルトは頷いて肯定した。
マカオン星系は、王国が支配する9星系のうち、王国民が住んでいない太陽系を除いて、唯一の領域化出来ていない星系だ。
住民は46億人で、最小であった事から後回しにされているが、可能であれば領域化したいと思っている。
何もかもハルトが責任を負う必要は無いと、ハルト自身は思っている。
王国が国家の方針として、「精霊王の数が足りないので、敵の邪霊王に領域化される危険性の高いマカオン星系を放棄して、領域化されている他星系に移住しろ」と命じたならば、実現するだろう。
モーリアック公爵が凄まじく反発するだろうが、おそらくハルトは押し通せる。それを実行しないのは、王国の総責任者である女王が、ユーナであるためだ。
マカオン星系の放棄は、ハルトが最善を尽くした結果とは言えないと、ハルトは自身の手持ちに在る精霊王アルフリーダの存在から自覚する。
やろうと思えば出来るのだ。
アルフリーダに領域を作らせないのは、敵側が邪霊王を有しており、戦場に出るハルトが精霊王を手放せないためだ。
現状でマカオン星系を領域化させた場合、ケルビエル要塞は敵星系に侵攻できなくなって、両勢力は停戦するだろう。天華側が国家魔力者を激増させて、ハルトが寿命を迎えた事が確認され、仮初めの平和が破局する数百年後まで。
短絡的なマカオン星系の領域化は、最終的なバッドエンドに至る道だと、ハルトは考えている。
「この2席の客を想像するに、精霊王に上がる可能性を秘めた上級精霊か」
『概ね、その通りです。ミラが手伝うのは、ジャネットの代わりですかね』
ディーテ星系に領域を繋げる精霊帝ジャネットは、これまでイスラフェルの精霊結晶を量産していた他、ハルトに上級精霊の精霊結晶も提供した。
だがアポロン星域会戦に赴く折、減産と上級の提供終了を告げている。
ジャネットが挙げた理由は、エネルギーの収支が見合わない事で、エネルギー源となっていた第二次ディーテ星域会戦で生まれた瘴気を消費したからだった。
そんなジャネットとミラを比べたハルトは、ミラがジャネット以上にエネルギーを得ていたようには思えなかった。
第二次ディーテ星域会戦では37億5000万人が犠牲になったが、アポロン星域会戦の死者は6000万人ほどだった。
両会戦では数十万隻ずつの天華艦も沈んでいるが、1隻に王国巡洋艦と同じ600人が乗艦していたとして、30万隻が沈んでも、戦死者は1億8000万人だ。
結局のところ、第二次ディーテ星域会戦の死者が圧倒的に多くなる。
「会戦の死者数は、ディーテの方が多いだろう。ミラのエネルギーは足りるのか」
ハルトが心配すると、ミラはティーカップを突いていたフォークを虚空に消して、静かに目を瞑り、深呼吸してから答えた。
『ミラは、アポロン星系の邪霊王を吸収しています』
「そうだった。ミラは、邪霊王を倒していたな」
見落としを指摘されたハルトは、ミラが有するエネルギー量の認識を改めた。
邪霊王1体が有していたエネルギーであれば、精霊王1体に匹敵する。
エネルギーの変換効率が100%ではなくとも、不足分はアポロン星系で犠牲になった6000万人の王国民間人、天華側に出た億単位の戦死者、そしてアポロン星系で倒した大量の邪霊達など大量に存在する。
ミラが保有するエネルギーはジャネットを大きく上回る程度では無く、精霊王1体すら作れるのではないか、と、ハルトは予想した。
『ミラはベジタリアンですから、旧連合3星系の未消化分、アポロン星系で集めた分、邪霊王から得た要らない分を注ぎ込んで、まずは上級精霊を1体作ります』
「それだけでも、最初から精霊王が生まれそうだな」
『条件が不足していますから、精霊王には成れません。個体の力だけは、精霊王並でしょうけれど』
天華ヘラクレスの同盟陣営が、フロージ共和国を使って邪霊王を生み出し、その邪霊王を使って王国が精霊王を生み出す。
アポロン星系にミラを投じた事を惜しんでいたハルトだったが、結果として敵側の邪霊王を消して、王国側に新たな精霊王を得られる事で、投資が黒字に転じたのかも知れないと思い直した。
ハルトが思考する間にも、ミラの説明は続く。
『単純にエネルギーだけ与えても、一般的な精霊になります。そこで野菜しか食べない特殊なミラの魔力と、ハルトさんから抽出した特異な魔力を掛け合わせて、その子に継承させます。そうすれば、特異な子が生まれると思いますよ』
ミラが称した特異な魔力について、ハルトには心当たりがあった。
それはタクラーム公爵家が魔法学院中等部に設置した装置で、ハルトに加算された100人分の魔力だ。
魔力の特性を継承するのだとすれば、純粋なハルトの魔力の他に、100人分の多様な性質がある。
「そんな事をして大丈夫なのか」
『伸びる性質を選別して生み出せるので、大丈夫ですよ。エネルギー量が多いほど、才能を押し上げる土台がしっかりするので、これだけ注げば期待できますね』
ハルトは人間を基準として、誕生前に行う遺伝子改良を想像した。
そして人間には未だ理解できずとも、精霊達には分かっているのだろうと判断したハルトは、ミラの行動を受け入れた。
「分かった。俺の魔力が下がらないのであれば、好きに抽出してくれ。それで席は2つ有るが、2体目はどうするんだ」
『2体目の子は、1体目に使わなかった浄化済みのエネルギーと、精霊神様の精霊結晶から1割のエネルギーを基に、お肉が空っぽになって純化したミラと、一度抽出してコツを掴んだハルトさんから再び魔力を抽出して、掛け合わせます』
「1体目よりも、さらに力を入れるんだな」
アポロン星域会戦において、恒星系のエネルギーを押さえた邪霊王から、ミラが領域を奪うために用いたエネルギーが1割だった。
1割で邪霊王を押し返せるエネルギー量であるのならば、それだけでも精霊王の力に匹敵する。しかも、精霊神のエネルギー結晶体から引き出すエネルギーは、低次元の力を混ぜないので圧倒的に上質だろう。
ハルトが気になったのは、2体を誕生させる方法を差別化した意図だった。
「1体目と2体目は、素材にする肉と野菜で、性質が変わるのか」
『肉と野菜では、全然違う料理になりますよね。それにお肉だけでも、完成する料理は千差万別です。ミラは昔から、誰もやらない事を意図的に選んで試しています。シャリーに与えたクロエも、その過程で生まれました』
イスから立ち上がったナーイアス姿のミラは、ハルトの隣まで歩み寄って左肩に右手を添えると、瞳を閉じて輝き始めた。
ミラが発する緑の輝きが、ハルトの魔力と混ざり合って白くなり、シャボン玉のように浮かび上がって、ふわふわと周囲へ漂っていく。ミラが生み出した白くて丸い塊は、弾けて消えたりはせず、増え続けて周囲を満たしていった。
ハルトの視界の半分が白く覆われた頃、白い輝きはようやく収縮していき、空席の1つに集約されて、白髪の少女を生み出した。
少女はD級精霊には頻繁に見られる中等生くらいの外見年齢で、紫色の瞳をして、服は青系統だった。
容姿はミラの子供らしくナーイアスか、川や泉に住む精霊あるいは下級女神のナーイアスで無くとも、川や泉には住まない同様の存在であるニュンペーであろうとハルトは考えた。非人間的な姿での顕現は、上級以上の精霊である事を表わしている。
「水属性が強いが、火属性も兼ね備えた紫の両属性と見せかけて、髪の色が白だからな。紫を併せ持った白の精霊で良いのか」
『大正解です。流石は、ルルのパパですね』
見た目から判断したハルトに、白髪の少女が笑顔で答えた。
いきなり「パパ」と父親呼ばわりされて、いつの間にか「ルル」という名前まで決まっていた事に、ハルトは二重に困惑した。
「俺は、パパなのか。そして名前は、いつ決まったんだ」
『パパは、パパですよ。そして名前は、パパが認識し易いものを、ルルが自分で考えて付けました』
子供らしく純粋な笑顔を向けるルルに、ハルトはたじろぎながらも、さらに疑問を持った。
ハルトが知る精霊は、最下級から生まれて、光のようにふわふわと大気を漂いながら徐々にエネルギーを蓄えて、やがて形になれるほどエネルギーを蓄えて下級に昇格する。
下級になった精霊は、小さな身体で最低限の顕現と、同じく最低限のコミュニケーションを覚えて契約が可能となり、活動していく内に力を蓄えて、機会を得て上位の存在へと昇格していく。
ディーテ星系のジャネットは中級精霊を量産しているが、あれは精霊界に居る中級精霊がハルト達の世界に顕現できるエネルギー結晶体を生成しているのだと認識している。
その亜種として、人間に対するアンドロイドのような精霊のコピーを生成して、戦闘艇操縦者用の精霊結晶を量産しているのだと考えている。
だがルルは、最初から精霊王並の上級精霊だった。
「ルルの知識と自我は、いつ身に付いたんだ」
『知識は、生まれる時にママが取捨選択して、継承されます。自我は、継承した知識や特性と、置かれた環境や立場で、存在し続けるために必要なものが初期形成されますね。これから成長して、それなりに変化もします』
「そうか。教えてくれてありがとう」
『いえいえ、どういたしまして』
精霊から見て低次元生命体のハルトに教えてくれたのは、ルルが自分をハルトの娘だと考えているからだろう。
ルルが教えて良い範囲なのかとハルトは若干の不安を持ったが、同席しているミラとアルフリーダは、特に何も指摘しなかった。
『ではでは、契約ですね』
「そうだな。頼む」
『はいっ、成立しましたよ』
ルルがポンと両手を合わせて、ハルトとB級精霊ルルとの契約が呆気なく成立した。
誕生した娘の様子を観察していたミラは、総評を下す。
『特異が生まれたので、目論見通りに成功ですね。特異は、属性の型に収まらない力を持った精霊です。実はシャリーに渡したクロエも、特異だったりしますが』
「そういう事は、早く言え」
大人なナーイアス姿のミラは、急な告白に対して思わず突っ込みを入れたハルトに一切取り合わず、再びハルトの左肩に右手を添えた。そして今度は、左手に紫の精霊結晶を握り締めている。
『それでは、2体目を生み出します』
「ああ、やってくれ」
左肩から全身に伝わる軽い倦怠感が、魔力を引き出される感覚を伝えた。
すると今度はミラの周囲から、黒い霧のようなものが発生して周囲を覆い、光を遮って、狭間の世界を薄暗く染め始めた。
昼間から夕暮れを越えて、夜の帳が降りていく。
3体の精霊が3色の輝きを灯す中、空席に4つ目の黒い光が現われて、3体の精霊の光に陰りを差した。
4体目の精霊が現われると、周囲の暗闇が急速に彼女に吸い込まれて、世界に昼の明るさが戻っていった。
世界に戻った光に安堵したハルトは、新たに生まれたルルの妹に視線を向けた。
彼女の外見年齢は、ルルとは大差の無い中等生くらいだ。
髪は黒色で、瞳も黒。服の色はブラウンで、フリル付の古風なゴシック・アンド・ロリータだが、属性で考えれば黒になる。
「黒色は、創造の属性だったか」
周囲を見渡しながら、何気なくゲームで得た知識を口にしたハルトに、精霊達からの回答は無かった。
大人でクールなミラが、顔面蒼白になって硬直している。
優雅にお茶会をしていたアルフリーダは、時を止めたように身動ぎしない。
ルルは紫の瞳を猫のように見開いて、右手の人差し指をクルクルと回しながら、無限のループに陥っていた。
挙動不審な3体に代わって動いたのは、4体目の黒い精霊の少女だった。
『初めまして、お父様。わたしはマヤです』
「ああ、こちらこそ初めまして。よろしく頼む」
明るいルルに対して、マヤは落ち着いた雰囲気を纏っていた。
よろしく頼んだハルトに頷いて応じたマヤは、ハルトに向かって軽く手を伸ばしてから答えた。
『契約しました。それと、お姉様と同じ事を言いますね』
「何だ?」
『流石は、お父様ですね。どこで創造の属性を知ったのでしょう』
マヤはハルトの内面を観察するかのように、黒い瞳を静かに向けた。


























