悪女と善人
「ルル嬢、お願いがあるのですが」
「なんでしょう?」
聞く前に「はい、よろこんでー!」なとど言えるわけがなく。
たとえ相手が王弟であっても、「殿下のおっしゃることは絶対!」とはならないのだ。
「これから屋敷で食事をするときは、お付き合いいただけますか?」
庇護欲をかきたてられるような瞳で、懇願するように言ってくる。
ワイバーンを剣一本で倒せるようなお方が、どうしてこうも弱々しくお願いしてくるのか。
ギルベルトのように高圧的な態度だったら、すぐに「お断りします!」と言えるのに。
「な、なぜ、私なのですか?」
「それは、そういうふうに聞いてくるところに、好意を抱いているからでしょうか?」
エルク殿下がお願いすれば、大抵のことは皆「わかりました」と承知するという。
「けれどもなんでもかんでも無条件に叶えてももらう願いほど、つまらないものはないので」
つまり、私の慎重さが裏目に出てしまった、というわけなのか。
「他にも、そういう人はいると思いますよ」
「それがいないんですよ。王弟という立場の人間に、従わない者などごくごく稀です」
無意識のうちに、私はごくごく稀な者の範疇に飛び込んでいたようだ。
失敗した! と脳内で頭を抱える。
ミセス・ケーラーに助けを求めたかったのに、先ほどまで視界の端にあった姿がどこにもない。下級従僕達もいなくなっていた。
まさか仕組まれているのか、と思いつつも、そんなわけはないと心の中で否定した。
今後、エルク殿下が隠す情報について聞き出さなければならないのだ。
食事を共にするというのは、いい機会になるのだろう。
「私でよければ」
「ありがとうございます!」
エルク殿下はこの日一番の明るい笑みを浮かべ、何度も感謝の気持ちを伝えてくれた。
その後、ミセス・ケーラーがやってきて、上級使用人専用の使用人の間を案内してくれた。ここは第一休憩室とも呼ばれているらしい。
下級使用人達が利用するのは、第二休憩室だという。
第一、第二と共に半地下にあるという、使用人区画に位置するようだ。
第一休憩室の内部にはふかふかの絨毯が敷かれていて、暖炉に火も入り温かい。
大きなテーブルの上にはお茶とお菓子が用意されている。
そこには晩餐室で何度か見かけた執事の姿があった。
年頃は四十代後半くらいだろうか。銀縁眼鏡が鋭く光る、細身で長身の男性である。
「ルルさん、彼はフィリップ・デュッケ。下級従僕達を束ねるボス的な存在よ」
「その言い方だと聞こえが悪くないか?」
「あら、ごめんなさい」
あとからミスター・ヘルトもやってきて、和気あいあいとした様子で会話が盛り上がる。
皆、親切そうでホッと胸をなで下ろした。
何か聞きたいことがあればなんでも質問してくれ、というので以前働いていたというツィツェリエル嬢について聞いてみた。
「あの、以前ここでツィツェリエル嬢が働いていた、という話をエルク殿下からお聞きしたのですが」
彼女はどういう人なのか。どんなふうに働いていたのか。などと聞く予定だったのに、ミスター・ヘルトやミスター・デュッケは無言で立ち上がる。仕事を思い出した、とか言って去って行った。
「あ、あれ?」
ミセス・ケーラーだけが残り、なぜか「ごめんなさいね」と謝ってきた。
「ツィツェリエル嬢については、使用人の中では禁句なの」
まさか禁句扱いになっていたとは。そういえば先ほどテアに侍女としてやってきた貴族令嬢について聞いたとき、一瞬間があった。ツィツェリエル嬢について喋ることを禁じられていたので、あのように少しだけ反応が遅れたのだろう。
もう少し詳しく聞かないと。ミセス・ケーラーに質問する。
「どうしてツィツェリエル嬢について話すことを禁じているのですか?」
「……」
ミセス・ケーラーは眉を極限まで下げ、言いよどむ。
エルク殿下が話すツィツェリエル嬢はいいイメージだったが、使用人の間ではそうではなかったのだろうか?
ミスター・ヘルトは意を決したような表情を浮かべたあと、とんでもない真実について口にした。
「ツィツェリエル嬢はこの屋敷にいる多くの男性と関係を持っていたのよ」
「――!?」
エルク殿下だけでなく、ミスター・ヘルトにミスター・デュッケまでも手玉に取り、結婚の約束さえ取り付けていたという。
「皆からさまざまな品物を貢がせて、弄んで、夢中にさせて……。ヴェイマル家が彼女を連れて帰らなかったら、どうなっていたのか」
とんでもない悪女っぷりに言葉を失ってしまう。
なんでもツィツェリエル嬢がお屋敷で働き始めてから、下級従僕達の間でツィツェリエル嬢を取り合うような大げんかがあったらしい。そのときに、屋敷にいる男衆の多くと関係を持っていることが明らかになったのだという。
「そ、そのケンカが起きなければ、発覚しなかったのですね」
「ええ、そう」
エルク殿下だけツィツェリエル嬢のイメージがいいのは、その騒動について使用人達がひた隠しにしていたからなのだとか。
「な、なんて不憫な……」
その後、エルク殿下はツィツェリエル嬢に未練があるのか、いまだに独身だという。
兄である国王陛下は、「もう他国の王女がいいとか言わないから、誰かと結婚してくれ!!」と言っているらしい。
「エルク殿下はあなたに対してピンときたのではないか、と思っているの」
「ピン、というのは?」
「運命ってやつかしら?」
「う、運命?」
「そう。運命の伴侶ってやつよ」
ありえないです!! と力の限り叫んでしまう。
天と地がひっくり返っても、エルク殿下と私が結婚するなんて、あってはならないものだと思った。




