軍事裁判
1年後、ジョセフは軍の刑務所に収監されていた。味方を殺したという重大軍規違反に問われていたのだ。そして、今日は軍事裁判が行われる。ジョセフの罪状について審議されるのだ。だが、裁判は型通りに行うだけで、既に有罪は決まっている。もちろん、ジョセフは自分が罪を犯したとは思っていない。
(自分がやったことは正義だ。正義に殉ずるならそれも仕方なし……)
ジョセフは静かに被告人席に座る。ここから出るときは有罪が確定。その判決は死刑。縛り首か銃殺どちらかであろう。
「それでは、被告人ジョセフ・バリトン元中尉の罪状を憲兵官、朗読したまえ」
憲兵官は軍人が罪を犯した時に、その罪を立証する役割を担う。キツネ目でいいかにも意地悪そうな顔の憲兵官は、口元を歪めて罪状を述べる。ジョセフは知っている。この憲兵官は買収されて、正義を売り渡すクズであることを。
「はい。被告はスパーニャ、東部戦線、占領下のナルビクにおいて、ゲリラ掃討中であった、グナイゼフ少尉以下3名を突然、刺殺をしたものです」
そうやってジョセフの立っている被告席をゆっくりと歩き回る。座っているジョセフをまるで汚いものを見るように見下す。
「動機は被告が敵国フランドルより買収され、日頃より情報を流していたことがグナイゼフ少尉に露見したため、その口を封じるためだと思われます」
この事件を裁く裁判官は3名。軍事裁判なので軍の高級将校が行う。軍の司法局から派遣された初老の准将と2名の大佐、陸軍内務局の法制課長が務める。
「うむ。ごほん……。ジョセフ元中尉。君は今の罪状を認めるか?」
そう初老の准将がそう尋ねる。ジョセフは口をゆっくりと開いた。
「黙秘します」
「罪状認否まで黙秘するのは得策とは思えないが……」
裁判長はそう言って再度、答えるように促したが、ジョセフの答えは同じであった。無罪を主張してもそれはこの不正義の法廷では、通用しない。命欲しさに無罪を主張したと記録されるだけである。それは武人としての誇りが許さない。
「普通は無実だと主張するものですけどね」
にやにやと笑みを浮かべる次席裁判官の大佐。その大佐を鋭い目つきで睨むジョセフ。慌てて目を逸らす大佐。この大佐もジョセフは知っている。貴族出身の軍人である。その様子を面白そうに見ている法制課長もおそらく貴族側の人間であろう。
「それでは弁護人、何か?」
軍事裁判にも一応、弁護人が選定される。そのほとんどが形だけの弁護。大抵はこれまでの功績や情状酌量を訴えて死刑だけを回避することに終始する。ひどい場合は、憲兵官に追従することもある。ウェステリアの軍事裁判の弁護人なんてお飾りなのである。
ジョセフはこの法廷に入った時に自分の弁護士の顔を見ていない。法廷に入った時には下を向き、後は目を閉じていたからだ。
昨日まで気だるそうに話を聞き、義務感だけで来ていた弁護士から、別の人間に変わったとだけは聞いていた。何やら、自ら志願したそうで、ジョセフは世の中には変わった人間がいるのだと思っていたが、それだからといって、何か期待するということは一切なかった。
「私は被告の無実を主張します。それどころか、この件はウェステリア十字勲章に値するものだと主張します」
(な、なんだと!)
ここで初めてジョセフは自分の弁護人を見る。どこかで聞いたことがある声だ。そこには以前、自分が会ったことのある人間が立っていた。
「弁護人、アルバート司法省次官、今、何と言った?」
法廷中が驚きで沈黙し、あるものは唖然と口をぽかりとあけ、ある者は固まっている。無罪どころか勲章に与えるにあたる行為だと弁護人が主張したのだ、前代未聞という他ない。
「あ、あなたは……」
「お久しぶりです。ジョセフさん」
これでジョセフは今までの不可解なことの説明がついた。この事件は大陸派遣軍内で起きた事件であり、通常は派遣軍内で裁判は行われる。それが本国送還されて、国内での裁判である。異例といえば異例だ。
「この裁判、あなたが関わっていたのですか?」
「裁判を本国で行うだけで苦労しましたよ。現地なら速攻で処刑されていたでしょうからね。それでもまだ不利は変わりませんけどね」
アルバート・サヴォイ伯爵。司法省事務次官は、ジョセフが軍事裁判にかけられると耳にして、この事件を調べた。そして、あらゆる手を駆使して裁判を本国で行うように尽くしたのだ。
自分が弁護人になるのも手配した。司法省の次官が弁護人を引き受けるのは、異例中の異例だが、法には違反していない。
「裁判長。そもそも、これは罪になるのでしょうか?」
アルバートは怒り口調で弁論を続ける。ジョセフが殺したという3名。町に潜むゲリラの掃討なんて真っ赤な嘘。3人は民間人の家に押し入り、金品を強奪したばかりか、その家の娘を手込めにしようとしたのだ。そこへ駆けつけたジョセフが軍規に従ってその場で処刑したのだ。それを丁寧に立証していく。
「被告人はウェステリア陸軍法17条第1項に従い、士官の義務を果たしたに過ぎず、しかも、被告人は被害者とされるグナイゼフ少尉らに銃をとらせ、抵抗する権利まで付与しました。3人は被告人に同時に銃で攻撃しましたが、被告人を倒すに至らず、反撃で命を落としました。これはウェステリア貴族典範57条の決闘権に基づく、正しい処置にほかなりません」
そう言ってアルバートは数々の証拠を並べ立てる。そして憲兵官のでっちあげの証拠を全て潰していく。それに対して憲兵官はろくに反論することもできない。
それはそうだ。この裁判は適当にやっていてもジョセフの有罪、死刑は決まっている裁判だったはずなのだ。
「それでは弁護人。数々の証拠と論拠は説得力があるが、本官はなぜ被告人が被告人たる扱いを受けるのか、疑問に感じるのだが……」
そう言ったのは裁判長の准将。憲兵官から提出された証拠とやらが、全て捏造で事件そのものに疑問が湧いたのだろう。少なくとも、この裁判長にはまだ良心があるし、現地点では不当な圧力が彼にはかかっていないようだ。
「裁判長、それは決まっているじゃないですか。簡単ですよ。被害者とされるグナイゼフ少尉が宰相であるコンラッド公爵閣下の遠縁にあたるからです」
「な、なんと……」
「大貴族の親戚だろうが、軍規を破れば処罰されるのは当然のこと。これは大陸派遣軍の士気に関わるだけでなく、貴族と平民の争いにつながる危険な事件です。裁くのは法のみ。恣意的な力でネジ曲がれば国そのものを滅ぼしかねません。裁判長、この裁判、無罪判決こそが正しい。今こそ、正義を知らしめる時です」
アルバート次官はそう締めくくり、最終弁論を終えた。裁判長は休廷を命じて退出する。判決を他の2人と相談するのである。休憩時間にそっとアルバートはジョセフの席へ近づく。
「驚いた。あなたがコンラッド公爵に楯突くとは」
「私の正義のものさしは、法律ですよ。法に照らして判断する。そこに特権階級の恣意が入る余地はありませんよ」
「だが、あなた以外は全て公爵の顔色をうかがって私を死刑にしようとした。部隊の上官ですら、私を見放したのに……」
「国には権力を恐れない人間もまだまだいますよ」
「でも、いいんですか? 宰相を怒らせれば、あなたも失脚するかもしれません」
「それは心配なく。正義を貫いて失脚するなら、この国は滅びますよ。私は常に国が平和になるために全力を尽くすのみと常々考えています」
そう言ってウィンクした。そして小声でジョセフにささやく。
「無罪を勝ち取って、私の屋敷で息子が作ったメンチカツを食べましょう。あの料理は勝ったときに食すと最高なんですよ。肉汁がぶあっと……おっと、失礼」
「アルバート次官……」
「無罪の証明は完璧。この裁判を知る者はあなたの無罪は確信していますが、敵もプライドだけはありますからね。きっと最終の奥の手を使うでしょうね。もちろん、対抗手段はありますがね」
アルバートが振り返ると3名の裁判官が入室するところであった。その表情には硬さが残り、特に初老の裁判長は額から汗が流れ出ている。そして憲兵官はニヤニヤと笑っている。まるで結論はわかっているという感じだ。
「まずいですね。あれは裁判長も抱き込まれたようですよ。やはり、最終手段を使うしかないですね」
「最終手段ですか?」
「ええ。できれば使いたくなかったのですが……。ウェステリアの司法がここまで腐っているとは残念です」
そうアルバートはつぶやくとジョセフのいる被告席から、弁護人席に戻らず、スタスタと裁判長に近づいた。
「裁判長、それと2名の裁判官殿。出し忘れていた証拠の書類があるのです。このメモをご覧下さい」
そう言ってつかつかと近づき、一枚のメモを3人に見せる。それを見た裁判官の大佐と法制課長は真っ青になる。
「イテテテッツ……腹が痛い……」
「わ、わたしも急に気分が……」
「ど、どうしたんだね、君たち」
裁判長は二人の裁判官が体調の不良を訴えて、退出を願い出る。判決は3人の多数決で結審する。裁判長一人では裁判を終わらせることができない。
「裁判長、軍事法廷規則19条第3項に乗っ取り、裁判官の交代を請求します」
法廷には裁判官に何かあった時のために補助官がいる。規則19条はその補助官が代理を務められることが書いてある。
「そ、それでは裁判官を……」
「ま、待ってください……。それならば延期を……」
憲兵官が真っ青になって裁判長に訴える。だが、先ほどアルバートが見せたメモを裁判長も見ていた。裁判長もこの事態を打開するためには選択の余地はない。厳かに宣言する。
「補助官を裁判官として判決を下す。被告を有罪とするものは挙手を……」
3人とも挙げない。裁判長は冷や汗がたらたらと額から流れる。二人の補助官はずっと裁判の様子を聞いていたので、常識な判断を下す。
「それでは無罪だとするものは挙手を……」
2人が挙手する。これで決まりだがアルバートは手を挙げない裁判長をひと睨みする。それで裁判長は手を挙げた。
「裁判長、これで決まりですね」
「ううう……被告、ジョセフ・バリトンを無罪とする」
観念したように裁判長はそう判決を下した。放心状態で床に崩れ落ちる憲兵官。裁判を傍聴していた軍の関係者はある者はうなだれ、ある者は目立たぬように小さくガッツポーズをした。
「アルバートさん、一体、裁判官に何を見せたのですか?」
「ふふふ……。なに、こんなメモを見せただけですよ」
そう言ってアルバートは紙切れを見せた。それには一言こう書いてあった。
『最近、景気がいいですね。それについてじっくりお話が聞きたいものです。まあ、常識的な行動をしてくださればなかったことにできますが』
「これだけでビビるとは、残念ながら裁判官もかなり恥ずかしいことをしているということになりますね。実に嘆かわしい」
「それにしてもアルバート次官、彼らのことをいつ調べたのですか?」
「おや? いつ、私が彼らのことを知っていると言いましたか?」
「いや、でも……メモに……。え、まさかハッタリ?」
「駆け引きは度胸ですよ。裁判官はギャンブルには弱いようですね」
「……ククク……あなたは天才だ。そしてアルバート・サヴォイ伯爵……あなたは私の恩人でもある」
思わずアルバートの手を取るジョセフ。アルバートはそんなジョセフの肩を2,3回叩いた。そして、左手でガッツポーズを取る。それは無実の英雄を死なそうとした理不尽への勝利の証であった。
さあ、メンチカツの時間だ!




