ウェステリア王国副使
「大変です、子爵様、お嬢様~」
オージュロー子爵家に仕える老家令が、息を切らしてダイニングルームへと駆け込んでくる。さほど広くないダイニングテーブルを取り囲んで、子爵と夫人、それに娘のビアンカが朝食を取っているところであった。
「どうしたのですか、マルロさん」
優雅にティーカップを口に運んでそう尋ねたビアンカは、いつも落ち着いている家令の慌てぶりにも全く動じていない。一緒に食事をしていた子爵と夫人の方が動揺している様子で、年老いた家令を唖然と見ているだけであった。
「子爵様、先ほど……王宮から使者がいらっしゃいまして……子爵様にこれをと……ビアンカお嬢様に関することだそうです」
家令が持っているのは、王宮からの書状。丸められた紙が金色のリボンで縛られ、国王の刻印が押されている。
「こ、国王陛下が……か!?」
子爵に動揺が走る。自分のような小貴族に国王から直々の書状が届くなど、ほぼありえないことである。
「国王陛下がですか。もしや、私を王妃にするとかではないでしょうか?」
さすがビアンカ。どこまでもポジティブである。ただ、これまで国王から何かアプローチされたこともなく、それどころかウェステリア国王と直に会ったこともないから、さすがにそれはないなと内心では思っていた。
震える手でリボンを切り、書状を広げたオージュロー子爵。それを読んで驚きの声を上げた。
「ビ、ビアンカ……お、お召しだ……陛下が……陛下が……」
「え、お父様……まさか、ご冗談を……。いくら優れた美貌と知性、民衆にも愛されている私でも、いきなり今晩の伽にご所望とかでは心の準備が……」
少し恥じらったビアンカ。ハンカチで恥ずかしそうに顔を覆った。食卓には給仕として二千足の死神もいた。あまり裕福でないオージュロー家のビアンカ付きの下僕を拝命しているが、手が足りないときは給仕もしているのだ。
超一流の暗殺者である二千足の死神が、皿にスープを注ぎ、水をコップについで回っているのだ。最近はオージュロー子爵にも気に入られて、本の整理や庭の手入れまで手伝わされている。
(オ嬢ノ奴……伽ニ召サレルナドト、前時代的ナコトヲ……ア……)
昔なら好色な国王が貴族の娘を一夜の慰めに召し上げるなどということはあったかもしれないが、今の国王はそんなことはしない。もし、そうだったとしたら、王妃になりたいビアンカ、この機会を絶対に逃がさないだろう。
二千足の死神はビアンカの狙いがすぐに分かった。この国王が夜伽に自分を召すなどということを敢えて口に出したのは、両親への牽制だと悟ったからだ。
(ナルホド……オ嬢ハ書状ノ中身を察シテ、両親ノ心理上ノハードルヲ下ゲタトイウワケカ……。イツモナガラ、シタタカナ女ダ……ドレダケ、頭ノ回転ガ早イノヤラ)
ビアンカは国王からの書状が、自分に何かを命じるものだと思ったのだ。それで小市民的で決断ができない父親はともかく、保守的で娘は家にいるものだと日頃からビアンカの素行に反対的する母親に対する布石を打ったのだ。
国王から夜伽の命令という、母親なら絶対反対という事案を先に刷り込ませておけば、実際の命令がそれではない時には賛成しやすい。娘を傷モノにされるという不安から解放されれば、大概のことは認めると考えたのだ。
『ビアンカ・オージュロー子爵令嬢をウェステリア王国スパニア派遣団副大使に任ずる』
そう書状に書いてあった。
これにはさすがのビアンカも驚いた。
「わ、私が副大使ですって!」
(マジカ……国王……)
聞いていた二千足の死神も驚いた。もちろん、顔は布で隠しているから不覚にも少し驚いて顔色が変わったことはビアンカには悟られていない。
大陸の大国スパニアは長年に渡って内戦に明け暮れていた。傀儡の国王を操り、圧政をする王妃と摂政とそれに反対する革新派の貴族連合。その陣営に介入して内戦を激化させた隣国のフランドル。
国王派に加担したフランドルは大軍を派遣して、革新派貴族連合を地方へと追いやった。ところが、フランドルは王妃と国王を幽閉して暗殺。摂政が裏切ってフランドルと手を結んだ結果であった。フランドルは自国の王族を送り込んでスパニア王としたのだが、外国人の王に民衆が反対。各地でゲリラ戦が展開され、泥沼の内戦に突入してしまったのだ。
これに対して、ウェステリア王国の新国王は、大陸の安定こそが自国の平和を維持するという外交方針の元、民衆が支持する貴族連合を援助。ついには陸軍を派遣してフランドルの傀儡政権に対抗した。
この派遣軍の中で活躍したのが現在のレオンハルト大将なのだが、その話は別の機会にしておく。ウェステリア王国の援助もあって、革新派貴族連合はフランドル傀儡の王を追放し、ついには全土を掌握した。
今回はその内戦集結を決定づける会議の仲介をウェステリア王国が行うのだ。その重要な会議を取り仕切るのが正大使なのであるが、その副大使に素人の小娘に過ぎないビアンカが国王直々に命じられたのだ。
「正大使は宰相のクラーク公爵閣下だそうだ。今日、王宮へ出向き、認証を受けるとある。出発は明後日らしい。しかし、なぜ、ビアンカがそんなだいそれた役を……」
「あなた……これはどういうことですの……」
混乱している両親を尻目にビアンカはこれを人生のチャンスと捉えた。これが冗談でない以上、ウェステリア国王は自分のことをなぜか知っているということになる。自分に副大使が務まるか分からないが、この役を見事に務めれば王妃への道は確実に近くなるはずである。
「お父様、これは我がオージュロー家にとってはチャンスです。このお役目を私が果たせば、私は王妃になれるかもしれません」
「ビアンカ、またそんな夢みたいなことを……」
「あなたは身分相応の家に嫁げばよいのです。幸い、いろいろな貴族様からあなたを嫁にと望む声があるのですから、そこから選べばすむことです」
ビアンカの両親は、この賢くて美しい娘が自慢であったが、王妃になると明言して縁談を承知しないので困っていた。それでいて、この突然の重要ポストへの任命。もしかしたら、この娘は目標を達成してしまうのではないかと思い始めた。
「それでは王宮へ行く準備をします。母上、正装への着替えを手伝ってください。それとさる吉」
ビアンカは二千足の死神を呼びつける。やむ無く死神はビアンカの前へ進んで膝まづいた。
「ハイ……ビアンカオ嬢様……」
「あなた、王宮までの護衛を命じるわ。そしてスパニアへ連れて行ってあげます。あの国はあなたの生まれ故郷なのでしょう。ちょうどよかったわ。さる吉を専属のボディガードとします」
「ワタシガデスカ?」
これには二千足の死神も驚いた。ビアンカの自分への認識は、貧弱で肉体労働は不向きな哀れな男だ。ボディガードという役をするのにふさわしいと思われてはいないと思っていた。
(マサカ……我ノ正体ニ気ヅイタノカ……?)
二千足の死神はそう思った。賢いビアンカは死神の正体を知っており、今まで騙された振りをしていただけかもしれない。
「さる吉、誤解はしないことよ。あなたの力で私のボディガードが務まらないことは承知ですわ。でも、心配しないで。私は自分で自分の身は守れます。私のボディガードならば、スパニアへ行けるでしょう」
そう言ってビアンカはニヤニヤしている。二千足の死神の思惑は違ったが、ビアンカの優しい気持ちに不覚にも涙が出てしまった。
生まれ故郷のスパニアへ自分を合法的に連れて行こうという配慮なのである。
(コウイウコトヲスルカラ……困ルノダ……)
そう思いながらも、二千足の死神はもう一人の主君。アーネルト女侯爵にどうやって説明しようかと考えていた。あの黒衣の女主人は笑って許可するだろうとは思っていたが、もう二度とウェステリア王国へ戻って来れない予感がしていたのであった。




