エリンバラ市長の妨害
エリンバラ市を治める市長は、代々、この周辺の土地を支配していたアクトン侯爵家の当主が務めていた。新しい王による改革によって、領土の割譲や税負担の拡大など、その勢力は弱められていた。
しかし、昔ながらの血縁が重視される保守的な土地柄もあって、アクトン侯爵の力はまだまだ強く残っていた。
「侯爵閣下、郊外に駐屯するAZK連隊に中央から参謀が視察に来るという情報が入っております」
市庁舎における朝の会合の前に、そう秘書官から告げられてアクトン侯爵は眉をひそめた。彼は40後半の小太りの男で、背は低く姿格好には威厳は感じられない。
しかし、背の低さを補うシルクハットの高さと最高級の生地で作られた上着とシャツは上品な雰囲気を醸し出し、いいところの坊ちゃんという感じを見るものに与える。
(AZK連隊の連隊長はこちら側の人間だが、どう出るかは分からない。用心に越したことはない……)
ジョージ・アクトンという男自身は、坊ちゃん然とした見た目にも関わらず、頭の切れる人物であった。参謀が視察に来るという報告で、想定される事態をすばやく5つほど思い浮かべて、その対応策を考え出した。
「うむ。まずは私に面会を求めてくるであろう。だが、多忙を理由に断れ。それから、高級将校はともかく、AZK連隊の一般兵士は絶対に市の中に入れるな。伝染病対策とかなんとか理由を付けておけばよい」
「はっ。侯爵閣下、そのようにいたします」
「うむ。それでは会合を始めようではないか」
アクトン市長は、表の顔は保守派貴族に属する有力者であったが、裏ではゼーレ・カッツエの副リーダー的な立場であった。総統と呼ばれる現リーダーとは表向き協力していたが、期を見て取って代わろうという野心を秘めている男である。
ところがどういうわけか、自分の名前がゼーレ・カッツエとの関わりで出てしまい、今はAZK連隊の監視を受けているという立場である。
市長権限によって、AZK連隊の市への駐屯を拒否しているために、派遣軍は町の郊外に仮兵舎を建設して不便な生活を送っていたのだ。治安悪化を理由に兵士の町への立ち入りを禁止したのだ。
これは非合法スレスレの措置であり、彼自身が反逆者としてマークされているということの証拠にもなっているが、アクトン卿は意に介さなかった。
いざとなれば、兵権を掌握し、エリンバラの独立宣言でも出そうかということを目論んでもいた。その野望のためにはAZK連隊は邪魔なのである。
「奴らは消耗させておけ。いずれ兵を挙げた時に、真っ先に血祭りに上げて、士気を高める餌になってもらう」
アクトン卿はそう考えていた。現に今までもそのように命令していたので、郊外に陣を構えるAZK連隊は士気が下がり、その戦闘力は著しく低下しているように思われる。今のところ、彼の目論見どおりであった。
*
「AZK連隊総司令部参謀、ニコール大尉であります」
「AZK第2大隊長、ルーアン大佐です。大尉、ご視察に感謝しております」
ルーアン大佐は50代の老軍人。叩き上げの軍人で実戦経験も豊富な男だ。鼻の下に生やした立派なヒゲが特徴である。
ニコールは大尉でルーアンは大佐であるから、軍の階級では3階級もニコールが下ではあるが、レオンハルト司令の委任状を持参しており、総司令部の参謀ということで、この駐屯する大隊の指導を行うことができた。
「大佐、ここへ来るまでに大隊の住環境を見ましたが、結構大変ですね」
「お恥ずかしい限りですが、我々はもう1月以上も野営をしている状態です。目の前に快適な町があるというのに、野戦と同じ環境で兵士どものやる気が失われています。そして、この暑さ。特に北から来た連中は完全に参っているようです」
大隊の野営地は町の北門の外にあり、テントと簡単な小屋風の建物をいくつか建設した仮の野営地となっていた。今は夏であり、夜でも熱がこもり、最悪の環境となっていた。
ニコールはその様子を視察したのだが、兵士は軍服を脱いで上半身裸になり、ゴロンと横たわっているか、カード博打をしているかというような状態で覇気が感じられなかった。
宿舎も見たが風通しが悪く、また熱がこもりやすいこともあって、昼の間はとても住めたものではなかった。
「本日は部隊の駐屯地周辺を視察したいと思います」
そうニコールは許可を得ると、都から一緒にやってきた部下たちに計画どおり指示をしていく。ニコールがここへ来るときに連れてきたのは、副官のシャルロット少尉。護衛のカロン曹長と2名の兵士。夫の二徹にその助手のメイである。
「それでは二徹。私は部下を連れて、もっと適切な場所に陣替えできないか考えてみる。二徹は兵士の食生活が改善できないか考えてみてくれ」
「了解しました、大尉殿」
二徹は王宮料理アカデミーのE級厨士という肩書きで、ニコールについて来ている。E級厨士といっても、アカデミーへ出入りするために特別に与えられた称号であり、実際の社会的な身分は『専業主夫』である。
最初はニコールと一緒に仕事と聞いて、付いて行ってよいものだろうかと考えたが、AZK連隊のレオンハルト少将から、要請されたと聞いてニコールを助けるためだと考えて参加してきている。
軍隊は妻の職場だから、いろいろと気を遣う。家での『ニコちゃん』呼びを封印し、ここでは『大尉殿』と呼ぶようにしている。二徹の任務は食生活の改善。暑さで食欲が失せてしまった兵士たちに活力を取り戻させることだ。
二徹はメイと伴って、まずは駐屯軍の食事内容を調査することにした。すると、驚愕の事実が判明する。
AZK連隊 エリンバラ駐屯軍 食事メニュー
朝 パン 玉ねぎとベーコン《バービン》のスープ 酢キャベツ
昼 パン 目玉焼き チーズ オレンジ
夜 パン 干し肉のシチュー バナナ
「毎日、こんな感じですか?」
「はい。材料が限られているので、これの繰り返しです。夕飯に使う干し肉を使った料理にアレンジがあるくらいです」
二徹にそう炊事班の将校が説明をする。補給は1週間に一度、ファルスの都から届けられるが、届くものはほぼ同じ材料だそうだ。
「二徹様。新鮮な材料があまりないですね。食事は生活の中で楽しみの一つですけど、代わり映えしないメニューじゃ、兵隊さんたちも飽きてしまうと思います」
そうメイは子供ながらに駐屯する兵士たちをかわいそうに思ったようだ。彼らはこの食事で既に1ヶ月をここで過ごしているのだ。
「そうだな。パンは、毎日、宿営地で焼いているらしいけど、あとは都から届いた保存食を使った料理みたいだね。これじゃあ、いくら工夫してもベースが同じだから、どうしても代わり映えしないよね」
だが、これは炊事班の職務怠慢というわけでもなかった。聞くとエリンバラ市長による妨害が原因だということが判明したからだ。
「エリンバラの町で新鮮な食材を補給できればよいのですが、それができないのです」
そう炊事班の将校は説明した。エリンバラ市長の命令でAZK連隊の兵士は町に入ることができない。さらに町の住人はAZK連隊と商取引をしてはいけないという決まりもあるという。このせいで肉や魚、野菜といった新鮮な食材が得られないのだ。
(ニコちゃんが言っていたけど、エリンバラの市長はゼーレ・カッツエのメンバーだという疑いがますます深まったな……)
自分を害する軍に潔く補給を許すはずがない。もちろん、表向きは治安の悪化や、物価の安定といったもっともらしい言い訳をして、エリンバラ市民に説明していた。
エリンバラ市民からしてみれば、わけのわからない都の軍隊が町に入ってきたら、治安が悪化すると考える。市長の主張に流されてしまうのは仕方がないということもある。
「しかし、弱ったな。町で材料を調達できないとなると、兵士の皆さんに活力を取り戻すメニューは難しいなあ……」
「二徹様、都から材料を取り寄せてはどうでしょうか?」
「うむ。それも考えたけれど、軍隊は基本現地調達だからなあ。できれば、有事に備えてすぐに手に入る材料で料理できたらなあと思うんだ」
だが、いくら料理作りに才能があっても、材料がないとお手上げである。二徹とメイは陣地にいる兵士に聞き取り調査を行う。
「もう干し肉のシチューはいらないぜ……もう飽きた」
「パンはいいけど、味気ないんだよな」
「こう暑いと何も食べたくなくなるんだよね……」
「ああ、早く故郷へ帰りたい……」
「食べたいのは新鮮な材料で作った美味しい料理。肉はくどいから俺は食いたくない」
「そうだな……俺も豚とか牛の肉は食いたくない。鳥なら、香ばしくて食欲をそそるのがいいなあ」
「ああ、俺もその意見に賛成。だからといって、魚は食いたくないなあ」
大体、こんな感じの意見であった。夏バテで食欲がないからくどい料理はいらない。だけど、戦いに備えて精力をつけるものを食べさせたい。
「二徹様、難しいですね」
「そうだな。材料に制約があるのは痛いね」
食生活の改善のためにも現地での食料の調達というのが、今回の作戦の鍵であろう。町への探索と周辺の偵察をする必要がある。そんなことを考えていると、ニコールがシャルロット少尉やカロン曹長を伴って、視察から帰ってきた。どうやら、南の高台に登って周辺の土地の様子を把握したらしい。
「まず、陣地を移す。今はこの北エリアに駐屯地を作っているが、ここはエリンバラの正門があるエリアであるけれども、風通しも悪く、水はけも悪い。今の季節は住むには適さない土地だ」
ニコールはそう地図を広げて説明をする。エリンバラ市は豊かな自然に囲まれた土地にある。北東にはエリンバラ湖という大きな湖。そこからエリンバラ川が南へと流れている。それを中心に大小様々な湖や川が森や平原を流れていく。
南には小さな丘があり、ニコールはここに目を付けた。その丘までは木々や雑草で覆われてアクセスは悪いが、道を切り開き、整備すれば問題ない。それにこの丘は上からエリンバラの市内を見ることができるのだ。
南門は裏門にあたるが、ここの交通量も多く、いざとなったら、この門を突破して市内に進軍することもできる。
「南エリアは風通しもよく、湿気も少ない。この季節でも夜は快適に寝られるだろう」
「ちょっと、よろしいでしょうか……」
ニコールの説明に二徹は付け加えた。紙に床を高くした家の絵を簡単に描く。
「仮の兵舎を作られると思いますが、このような床を高くした感じにしますと、より快適に過ごせると思います。天井にも空気の取り入れ口を開けるとさらにいいです」
大隊長のルーアン大佐は、この二徹のアイデアに驚いたようであった。
「王立料理アカデミーの厨士殿は、建築の知識もおありなのか?」
「食は周りの環境がよいことで、美味しさも増すものです。どうせ、立て直すなら一考してくださると幸いです」
実のところ、このアイデアは二徹の生まれ変わる前の知識だ。熱帯の東南アジアの村に行けば、普通に見られる家である。床を高くすることで、その下を風が通り抜け、熱気や湿気を流してくれる。また、天井に風抜けを作っておくと、室内の風の循環が起こり、涼しくなる。できれば、風抜けは煙突のように高くしておくと効果的だ。
上昇気流が起きて空気を引っ張り、室内に微風をもたらし、体感温度を下げる。室内で寝苦しい夜を過ごす兵士にはありがたい。
「分かりました。すぐに陣替えをしましょう」
「あとは食生活の改善ですが、これはまだよい策がありません。食材の調達が重要課題ですが、エリンバラから調達できないのが痛いです」
目に前に大きな町があるのに、そこから食材が調達できないのは苦しい。それに町の周辺部の農家や市場関係者も買い手がAZK連隊となると売ってくれないのだ。どうやら、市長とその取り巻きが決めた条例があるらしい。
それに違反すると、エリンバラ市内で商売ができなくなるというとんでもない条例なのだ。だから、高値で買うと言っても、みんな残念そうに断るしかないのだ。
「わたしたちはエリンバラ市への立ち入りも拒まれていますし、市長への面会を希望してもスケジュールの都合とか言って、全然、取り合ってくれません。どうしましょう……」
ニコールの副官、シャルロット准尉は、このことで苦労をしている。エリンバラ市の対応は常にAZK連隊には冷たい。町を監視する……正確には市長を監視しているのであるが、敵として認知されていることは間違いない。
「相手がそうなら、こっちもやるしかないだろう。私が一般人としてエリンバラに潜り込み、偵察をしてくる」
「えーっ。隊長一人で、ですか?」
「隊長、せめて我々だけでも護衛に……」
シャルロット准尉とカロン曹長がそう言ったが、ニコールは拒否する。
「シャルロットはともかく、カロンでは人相が悪くて警戒される。お前たちは陣地の移動を手伝え」
「では、大尉。僕とメイは一緒に行きます。町での食材の調達方法を考えたいので……」
二徹はそう申し出た。食材の調達が不可能ということだが、実際にこの目で確かめたいと考えたのだ。それにニコールと夫婦で商人を装い、子供のメイを連れていれば疑われることはない。
「わかった。それでは明日の朝、二徹とメイちゃんと私で町の中を偵察してくる。これにて、解散とする」
ニコールはそう会議を締めた。




